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仏教者のことば(1)
立正佼成会会長 庭野日敬

 日日是好日(にちにちこれこうにち)
 雲門禅師・中国(碧巌録第六則)

無限の生命を持つ名句

 唐時代の名僧雲門禅師がある日、講堂に集まった弟子たちに言いました。
 「十五日以前のことは問わない。十五日以後のことを一句で言ってみよ」
 十五日以前というのは過去のことです。十五日以後というのは未来の意味です。つまりこの問いは「これから先のそなたたちの生きざまを、一言で言ってごらん」という意味です。
 弟子たちは俊秀ぞろいでしたが、一句で言えとなるとなかなか答えが出てきません。みんな押し黙っていました。そこで雲門禅師はみんなに代わって答えを出しました。
 「日日是好日」
 来る日も来る日も好い日ばかり……というのです。禅の問答や文句には意味のつかみにくいものがたくさんありますが、これなどは例外中の例外で、だれにも分かりやすく、しかも鮮烈な印象を残す名句です。以来千年以上もたった今日でも、いや、これから時代がどう変わろうとも、「生命をもつことば」としてわれわれに無限の教訓と勇気を与えてくれるでしょう。
 人間の心は、その場その場の状況によって左右されやすいもので、朝起きて天気がよければ「ああ気持のいい日だ」と感じ、雨がシトシト降っておれば「うっとうしいなあ」と思いがちです。今日はゴルフに行くのだという朝は心が浮き浮きし、税務署に出頭する日だなと思い出すと、とたんに気が重くなります。
 そういう心のありようはまるで浮き草のようなものです。大地にしっかと根をおろしていない、頼りない生きざまです。それに対して「日日是好日」の悟りは、その場その場の感情やちっぽけな自己中心の考え方から一歩抜け出して、「自分はまぎれもなく宇宙の一片なのだ。宇宙の大いなる生命に生かされているのだ。だから今日を精いっぱい生きればそれでいいんだ」という、しっかりした人間観と自己認識の上に立つ心のありようなのです。これでこそ、毎日毎日が有り難くなるのです。

人生を変える座右の銘

 ある駆け出しの記者が、気むずかしいことで有名な作家に執筆の依頼に行くことになりました。面会の約束を取りつけたその日があいにくの台風で、電車も止まり、タクシーも通りません。しかし、彼は重い気を取り直し、レーンコートをビショ濡れにさせながら、約束の時間どおり相手の邸の玄関に立ちました。すると、その作家は「こんな日によく来たね」と上機嫌で迎え、執筆の依頼も快く承知してくれました。これが「日日是好日」の生き方です。
 人生にはいろいろなことがあります。得意の日もあれば挫折の夜もあります。病気をすることもありましょうし、災難に遭うこともありましょう。しかしどんな失意のときも、困難の日にも「これが人生なんだ」という悟りを持ち勇を鼓してその状況を乗り越えていけば、その人はひとまわりずつ大きくなっていくこと請け合いです。
 中国の古典『大学』に出ていることですが、殷(いん)の湯王は、銅製の洗面器に「まことに日に新(あらた)にせば、日日新に、また日に新なり」と彫りつけ、毎朝顔を洗うごとに一日一日自分を新しく成長させていくことを、自身に言い聞かせたそうです。
 それに見習って、あなたも、あるいは洗面所に、あるいは鏡の傍に「日日是好日」と書いた紙を貼りつけておかれたらどうでしょう。あるいは、一日中いつでも、フト思い出してはこの句を口に出して唱えるようにしたらどうでしょう。きっとあなたの人生を明るく変えるに違いないと思います。
題字 田岡正堂

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