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心が変われば世界が変わる
 ―一念三千の現代的展開―(41)
 立正佼成会会長 庭野日敬

心を変えて世界を変えよう

宇宙法に合致した大道を

 今まで、数十回にわたっていろいろとお話をしてまいりましたが、とにかく、長い信仰生活を続けておりますと、仏法に不思議なしとか奇跡はないなどと申しますものの、不思議なことに出合うものであります。もちろん、それが信仰の目的ではないにしても、「なるほど、霊魂は不滅なんだなあ」といったことや、単なる常識では推し量れないような結果に遭偶して、驚かされることがあります。それはそれで素直に信仰しておりますと有難く納得できるものであります。臨終の状態から蘇生した話とか、その間に霊界らしきところに行ってきた本人の報告などを聞くことはたびたびあります。こうしたさまざまな話によって、宗教の説く教えの中で最も信じ難い(人間生き通し)ということも、ほぼ納得されたことと思います。
 そこで、これまでに研究してきたことをまとめて、結論を出すことにしましょう。
 一念三千の法門は、つまるところ、人間の心はどうにでも変えることができるもので、心を変えることによって仏界から地獄界までどこへでも行ける可能性があることを教えたものです。では、われわれは自分の心をどのように変えたらいいのでしょうか。一言にして言えば、真・善・美・聖の方向へもっていく努力をすればいいのです。それが、宇宙法に合致した人間の生き方の大道であるからです。その宇宙法とはどんなものか。根本の根本を言いますと――

 (1)人間を含めたこの世の万物万象は、宇宙の大生命が具体的な形をとって現れたものにほかならない。従って、万物万象は元はただ一つであり、すべては同胞である。
 (2)人間を含めた万物万象は、現象の上では必ず変化し、生滅する。しかし、その奥にある生命エネルギーは、宇宙の大生命の分流であるから永遠不滅である。
 (3)人間を含めたこの世の万物万象は、一つとして孤立しているものはなく、すべてが相依相関、持ちつ持たれつ、生かしつ生かされつしながら共生しているのである。

真・善・美・聖をめざして

 (真)というのは、このような宇宙法そのものであり、最も大きな意味の真理であります。
 (善)というのは、このような宇宙法に合致した心のもち方や行動をいうのです。日常生活における善・悪は、時代や民族によって異なることも多々ありますが、この根本は不変なのです。特に(万物は持ちつ持たれつして存在している)という真実に合致する心ばえや行動が善、それに反する心や行動が悪であると断定していいでしょう。
 (美)というのは、このような宇宙法に合致した自然現象や人間の造出物に対して、直観的に起こす快い純粋感情です。そういう感情を起こす最大原因は、(調和)であると言われていますが、もともとこの宇宙が大調和の世界であるからには、その一部分である個々の現象においても(調和)こそが美の根源であると言っていいでしょう。
 (聖)というのは魂が清まった状態を言います。真・善・美より、さらに高次元の心霊の世界において、高い完成度を示している状態です。われわれは、この聖の世界にこそ人間の本当の価値があることを悟り、その世界にあこがれ、そこに安住したい、と望まなければなりません。聖の世界こそが、人間の達すべき最高の境地なのです。
 この境地に達するためには――生まれつき純粋に素直な心をもつ人は別として――宗教によるよりほかに道はありません。宗教の教えを学び、行ずることによってこそ、こうした本当に人間らしい、価値ある人間になることができるのです。

まず布施を行ずることから

 と言えば、大変難しいことのようですが、あながちそうでもないのです。前(三十七回)にも述べましたように、大乗仏教では在家の信仰者の心得の第一に「理屈はあとでいいから、まず布施を実行してごらんなさい」と教えています。布施というのは、いろんな形で人さまのために尽くすことですが、そのような行いをしますと、なんとも言えぬ快い気持になります。その気持は、物質や肉体に即した快感と違って、心が洗われるような快さです。つまり、魂が喜ぶのです。心霊が清まった喜びです(なぜ、そんな気持になるかと言えば、人さまに尽くす行為は(万物は持ちつ持たれつして存在している)という宇宙法に合致しているからです)。
 現代人はあまりにも物質にとらわれた生活をしているために、この魂の喜び、心霊の清まりの快さというものを忘却し去っています。物の獲得に狂奔すれば当然の成り行きとして、他はどうなってもいいという利己心が増長し、その利己心と利己心が衝突して争いが起こり、心の安まることはありません。その争いが国家規模に拡大すれば戦争となり、獲得に狂奔した物も、金も、地位も、そして生命までも、無に帰してしまうのです。なんという空(むな)しいことでしょう。
 今や、人類はそのような危機に直面しています。この危機を救うのは(人間の心)を(物に即した喜び)から(魂の喜び)へ、と転換させるほかに道はないのです。「一九八〇年代は宗教の時代である」と叫ばれているのは、そうした意味にほかなりません。
 幸い仏教は、科学時代の今日の人々にもよく理解できる教えです。宇宙法にぴったり合致した教えです。多くの人がこの教えを本当に理解し、その一端でも(先に挙げた布施だけでも)行ずるようになれば、世の中はガラリと変わってくるはずです。(心が変われば世界が変わる)というのは、このことなのです。この大転回をめざして、われわれ仏教徒は不惜身命の働きをしなければなりません。それがわれわれ自身を生かす道でもあるし、日本という国を生かす道でもあるし、人類全体を生かす道でもあるのです。(おわり)

 臼杵の石仏
 絵 増谷直樹

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