心が変われば世界が変わる
―一念三千の現代的展開―(34)
立正佼成会会長 庭野日敬
心の通じ合いの不思議
だれにもある心の通じ合い
きょうはあの叔母さんが遊びに来られるような気がする……なんとなくそんな思いが念頭をかすめた。すると、案の定ヒョイと訪ねてこられた……そのような経験は、だれにもあるでしょう。二、三人で、ある人のことを話し合っているとき、当の本人がフラリと現れて、「噂をすれば影だなあ」と笑ってしまう……そんなこともよくあります。永年の夫婦仲ならば、夫が「今夜あたりスキヤキで一杯やりたいな」と考えながら帰宅してみると、チャンとその用意ができていた、というような経験もあるはずです。
たいていの人は「偶然の一致さ」と軽く一蹴してしまいますが、少しでも(心)の問題に関心のある人だと、「いや、何かあるぞ」という疑問を起こすはずです。正しい疑問です。確かに「何かある」のです。むかしはこのようなはたらきを(虫の知らせ)とか(以心伝心)という言葉で片付けていましたが、現代になってから学問的に研究され、そうしたはたらきの実在が証明され、テレパシー(遠隔感応)と名づけられました。
最初の実験者はアメリカのデューク大学にいたライン博士夫妻で、+≋☆□○の五つの図形を書いたカード(ESPカードという)を用意し、実験者がそのカードを一枚ずつ取り上げて図形を見ると、意識に与えられたその刺激を、別室にいる被実験者が心に感じ取って図形を言い当てるという実験です。これを何千回と繰り返すことによって、その的中の確率の上から、偶然ばかりでなく、遠隔感応という心のはたらきがあることを証明したのでした。
心は肉体を離れて活動できる
これが始まりで、音声とか、言葉とか、表情とか、といったようなものを通さず、冥々のうちに人と人との間に心の伝達が行われること、心霊が肉体とは独立に活動することが科学的に実証され、こんな問題には懐疑的な学者でさえ、それを承認するようになりました。
現在では、宇宙船と地上との交信にテレパシーを利用しようという研究さえ始まっているそうです。聞くところによりますと、超能力研究の盛んなソ連で、約三千五百キロ離れたモスクワとシベリアのノボシビルスクの間でESPカードを使ってテレパシーの実験をしたところ、ある超能力は二十枚全部を言い当てたといいます。
私はなにもこのような超能力を称揚したり、奨励したりするつもりはありません。ただ、人間にはだれにも、強弱の差こそあれ、このような能力をもっていることを知ってもらいたいのです。心を変えることによって人を変え、境遇を変える(一念三千)の理も、このような能力があればこそ成り立つのです。
冒頭にあげた心の通じ合いの事例は、あなたにもそんな覚えがあるでしょう。ということは、あなたにもそのような能力がある証拠です。その能力を少しでも強め、善い方向へ使うようにすれば、あなたの周囲の人々の幸せを増し、あなた自身をも高めることができるのです。
(善い方向へ使う)とわざわざ言ったのは、世の中にはときたま強い念力をもつ人がいて、そんな人が「あんな奴死んじまえ」などと人を呪う心をもてば、てきめんに相手が不幸に陥るという実例があるからです。
(善い方向へ使う)というのは、人の幸せを念ずることです。もちろん言葉や行動によってその不幸から救ってあげようとする努力も大切です。しかし、実際問題として、言葉や行動によってその不幸から救ってあげようとする努力も大切です。しかし、実際問題として、言葉や行動だけでは及びもつかぬ場合がしばしばあります。また、頑固な人はかえってそれに反発し、寄せつけぬこともあります。
そんなときは、「仏さま、どうかあの人を幸せの道へ導いてください」と心から祈ってあげるほかありません。そうした祈りは、一念三千の理によって必ず通ずるのです。もし、通じなければ、あなたの(心の力)がまだ微弱であるからなのです。
念力は(行)によって強まる
言論や実際行動によって人を救い、世を明るくする努力は信仰者でなくてもできます。そうした表面に現れる努力の底に、祈りの力、心霊の力が加わってこそ、信仰者と言えるのです。その意味で、(心の力=念力)を強めることはやはり大切なのです。
それならば、心の力を強めるにはどうしたらいいのか。行(ぎょう)よりほかに方法はありません。
無心になって唱題する。読経三昧に入る。さらに進んでは、水垢離をとる。滝に打たれる。あるいは、端坐して一心に仏を念ずる、そうした行を積めば積むほど、念力というものは強まっていくものです。
むかしから、聖者と言われる人は今で言う超能力者でした。お釈迦さまも、イエス・キリストもそうでした。しかし、一般の信仰者はそこまで行かなくてもいいのです。ただ、心の力を少しでも強くし、人を幸せにしてあげたいという祈りが相手に通じ、相手を動かすことができるように努力することは、大乗の信仰者としては不可欠の条件でありましょう。(つづく)
ガンダーラ仏
絵 増谷直樹
―一念三千の現代的展開―(34)
立正佼成会会長 庭野日敬
心の通じ合いの不思議
だれにもある心の通じ合い
きょうはあの叔母さんが遊びに来られるような気がする……なんとなくそんな思いが念頭をかすめた。すると、案の定ヒョイと訪ねてこられた……そのような経験は、だれにもあるでしょう。二、三人で、ある人のことを話し合っているとき、当の本人がフラリと現れて、「噂をすれば影だなあ」と笑ってしまう……そんなこともよくあります。永年の夫婦仲ならば、夫が「今夜あたりスキヤキで一杯やりたいな」と考えながら帰宅してみると、チャンとその用意ができていた、というような経験もあるはずです。
たいていの人は「偶然の一致さ」と軽く一蹴してしまいますが、少しでも(心)の問題に関心のある人だと、「いや、何かあるぞ」という疑問を起こすはずです。正しい疑問です。確かに「何かある」のです。むかしはこのようなはたらきを(虫の知らせ)とか(以心伝心)という言葉で片付けていましたが、現代になってから学問的に研究され、そうしたはたらきの実在が証明され、テレパシー(遠隔感応)と名づけられました。
最初の実験者はアメリカのデューク大学にいたライン博士夫妻で、+≋☆□○の五つの図形を書いたカード(ESPカードという)を用意し、実験者がそのカードを一枚ずつ取り上げて図形を見ると、意識に与えられたその刺激を、別室にいる被実験者が心に感じ取って図形を言い当てるという実験です。これを何千回と繰り返すことによって、その的中の確率の上から、偶然ばかりでなく、遠隔感応という心のはたらきがあることを証明したのでした。
心は肉体を離れて活動できる
これが始まりで、音声とか、言葉とか、表情とか、といったようなものを通さず、冥々のうちに人と人との間に心の伝達が行われること、心霊が肉体とは独立に活動することが科学的に実証され、こんな問題には懐疑的な学者でさえ、それを承認するようになりました。
現在では、宇宙船と地上との交信にテレパシーを利用しようという研究さえ始まっているそうです。聞くところによりますと、超能力研究の盛んなソ連で、約三千五百キロ離れたモスクワとシベリアのノボシビルスクの間でESPカードを使ってテレパシーの実験をしたところ、ある超能力は二十枚全部を言い当てたといいます。
私はなにもこのような超能力を称揚したり、奨励したりするつもりはありません。ただ、人間にはだれにも、強弱の差こそあれ、このような能力をもっていることを知ってもらいたいのです。心を変えることによって人を変え、境遇を変える(一念三千)の理も、このような能力があればこそ成り立つのです。
冒頭にあげた心の通じ合いの事例は、あなたにもそんな覚えがあるでしょう。ということは、あなたにもそのような能力がある証拠です。その能力を少しでも強め、善い方向へ使うようにすれば、あなたの周囲の人々の幸せを増し、あなた自身をも高めることができるのです。
(善い方向へ使う)とわざわざ言ったのは、世の中にはときたま強い念力をもつ人がいて、そんな人が「あんな奴死んじまえ」などと人を呪う心をもてば、てきめんに相手が不幸に陥るという実例があるからです。
(善い方向へ使う)というのは、人の幸せを念ずることです。もちろん言葉や行動によってその不幸から救ってあげようとする努力も大切です。しかし、実際問題として、言葉や行動によってその不幸から救ってあげようとする努力も大切です。しかし、実際問題として、言葉や行動だけでは及びもつかぬ場合がしばしばあります。また、頑固な人はかえってそれに反発し、寄せつけぬこともあります。
そんなときは、「仏さま、どうかあの人を幸せの道へ導いてください」と心から祈ってあげるほかありません。そうした祈りは、一念三千の理によって必ず通ずるのです。もし、通じなければ、あなたの(心の力)がまだ微弱であるからなのです。
念力は(行)によって強まる
言論や実際行動によって人を救い、世を明るくする努力は信仰者でなくてもできます。そうした表面に現れる努力の底に、祈りの力、心霊の力が加わってこそ、信仰者と言えるのです。その意味で、(心の力=念力)を強めることはやはり大切なのです。
それならば、心の力を強めるにはどうしたらいいのか。行(ぎょう)よりほかに方法はありません。
無心になって唱題する。読経三昧に入る。さらに進んでは、水垢離をとる。滝に打たれる。あるいは、端坐して一心に仏を念ずる、そうした行を積めば積むほど、念力というものは強まっていくものです。
むかしから、聖者と言われる人は今で言う超能力者でした。お釈迦さまも、イエス・キリストもそうでした。しかし、一般の信仰者はそこまで行かなくてもいいのです。ただ、心の力を少しでも強くし、人を幸せにしてあげたいという祈りが相手に通じ、相手を動かすことができるように努力することは、大乗の信仰者としては不可欠の条件でありましょう。(つづく)
ガンダーラ仏
絵 増谷直樹