心が変われば世界が変わる
―一念三千の現代的展開―(35)
立正佼成会会長 庭野日敬
虫にも植物にも心は通ずる
生物は電気的霊気を発散
エール大学のH・S・バー博士を中心とする研究者たちが、十二年間さまざまな実験を繰り返した結果、次のような結論を得、一九四四年に発表されました。
「すべての生物は、からだの周辺に電気的な霊気を発散し、それに包まれている。そして、生命力は宇宙の全構成と連絡している」
からだの周辺に電気的な霊気を発散しているという事実からして、非常に霊力の強い聖者の絵像などに見られる後光・円光も、お釈迦さまの額の白毫(びゃくごう)から発した光明も、絵そらごとではないことがわかります。そして、そうした電気的な霊気が宇宙を構成するすべてのものと連絡しているということから、遠く離れている人と人との間の心の通じ合いも説明できますし、また一念が三千を変えるという天台の教えも納得がいきます。
羽アリを動かしたお九字
三千とは宇宙の全構成をいうのですから、単に人間と人間のつながりばかりでなく、他の動物とも、植物とも、無生物とも心の連絡があり、人間の精神力によって相手を変えることができる……という理論が成り立ちます。犬やネコのペットをかわいがっている人や、牛・馬を手塩にかけて育てている人などは、こちらの意思や感情がそうした動物たちによく伝わることを確認しているはずです。
下等動物といわれる生きものになればなるほど、そのような伝達は難しくなります。しかし、念力の強い人は、虫のようなものでさえ動かすことができるのです。わたしどもの会の脇祖・故長沼妙佼先生は霊能の強い方でしたが、ある夏、こんなことがありました。当時、妙佼先生はお店をやっておられましたが、家の土台にシロアリが巣食い、成虫となった羽アリがわき、一メートル幅ぐらいの列をつくって、座敷へゾロゾロ入ってきたのです。一生懸命に掃き出しても、あとからあとから入ってきます。
それを見て、店の若い衆の一人が「おばさんがどんなに大した信仰者だって、この羽アリをどうすることもできないでしょう」とからかいました。この若い衆は、いつも信仰というものをケナしてばかりいる男でしたので、妙佼先生は「よし、それではいま、いなくしてみよう」と言い、ご宝前の前に座り、一心にお願いされました。「この男に信仰のありがたいことを悟らせるために、どうぞ不思議をお見せください」。こうお願いして、羽アリの列に向かって、エイッ、エイッとお九字を切りました。すると、羽アリはクルリと向きを変えて、ゾロゾロ出て行ったのです。これには、その若い衆もびっくりし、以後、ピタリと悪口を言わなくなりました。
憎むなかれ罵るなかれ
それならば、植物にも心はあるのか、あるならば人間の心が通ずるはずだが……という疑問が当然起こってくるでしょう。ところが、確かにあるのです。一番顕著な実例は、ニューヨークのクライブ・バクスター氏の実験で、これは日本でもいろいろ新聞・雑誌に報道されましたのでご承知かもしれませんが、事のついでに紹介しておきましょう。
バクスター氏は嘘発見検査官養成学校の校長ですが、フト思いついて、ドラセナという観葉植物について嘘発見器をセットしてみました。そして何かドラセナに刺激を与えなくてはと考え、「よし、火をつけてやろう」と考えたそうです。するとそのとたんに、なんとメーターの針がピクリと動いたのです。瞬間、バクスター氏は「植物にも心がある」ことを直感し、それから積極的に研究し始めました。
例えば、部屋の中にあるいろいろな植物を、一人の男に棒でビシビシたたいて回らせました。それから、数人の人を一人ずつその部屋に入らせ、最後にくだんの男を入らせました。すると、他の人が入ったときは、メーターの針は少しも動かなかったのに、さんざんにたたいた男が入ってくると、針はものすごく揺れ動いたのでした。憎しみか恐れかわかりませんが、植物たちはその男に対して敏感な反応を示したのでした。
アメリカ人は、物質万能主義とばかり片付けてはならないのであって、精神とか心霊とかに深い関心をもつ人は案外多いのです。農業者でも、例えば、野菜・草花・苗木などを精神力で見事に生育させる実験をやっている人がたくさんあります。例えば、トマトの苗を二列に分けて植え、一方には毎日愛の言葉をかけてやり、一方には「バカヤロウ」などと罵りつづけていると、前者はいきいきと育って立派な実をつけ、後者はいじけた茎葉になって実も小さく、味も悪くなるそうです。
このように、虫にも、植物にも心があり、人間の心はそれに通ずるのです。ましてや人間同士に通じないことは絶対にありません。ですから、かりそめにも人をひどく憎んだり、罵ったりしてはなりません。それは一種の殺生です。間接的な、緩慢な殺生です。直接殺さなくても、これはやはり殺性の罪なのです。(つづく)
童子の頭部(浄瑠璃寺)
絵 増谷直樹
―一念三千の現代的展開―(35)
立正佼成会会長 庭野日敬
虫にも植物にも心は通ずる
生物は電気的霊気を発散
エール大学のH・S・バー博士を中心とする研究者たちが、十二年間さまざまな実験を繰り返した結果、次のような結論を得、一九四四年に発表されました。
「すべての生物は、からだの周辺に電気的な霊気を発散し、それに包まれている。そして、生命力は宇宙の全構成と連絡している」
からだの周辺に電気的な霊気を発散しているという事実からして、非常に霊力の強い聖者の絵像などに見られる後光・円光も、お釈迦さまの額の白毫(びゃくごう)から発した光明も、絵そらごとではないことがわかります。そして、そうした電気的な霊気が宇宙を構成するすべてのものと連絡しているということから、遠く離れている人と人との間の心の通じ合いも説明できますし、また一念が三千を変えるという天台の教えも納得がいきます。
羽アリを動かしたお九字
三千とは宇宙の全構成をいうのですから、単に人間と人間のつながりばかりでなく、他の動物とも、植物とも、無生物とも心の連絡があり、人間の精神力によって相手を変えることができる……という理論が成り立ちます。犬やネコのペットをかわいがっている人や、牛・馬を手塩にかけて育てている人などは、こちらの意思や感情がそうした動物たちによく伝わることを確認しているはずです。
下等動物といわれる生きものになればなるほど、そのような伝達は難しくなります。しかし、念力の強い人は、虫のようなものでさえ動かすことができるのです。わたしどもの会の脇祖・故長沼妙佼先生は霊能の強い方でしたが、ある夏、こんなことがありました。当時、妙佼先生はお店をやっておられましたが、家の土台にシロアリが巣食い、成虫となった羽アリがわき、一メートル幅ぐらいの列をつくって、座敷へゾロゾロ入ってきたのです。一生懸命に掃き出しても、あとからあとから入ってきます。
それを見て、店の若い衆の一人が「おばさんがどんなに大した信仰者だって、この羽アリをどうすることもできないでしょう」とからかいました。この若い衆は、いつも信仰というものをケナしてばかりいる男でしたので、妙佼先生は「よし、それではいま、いなくしてみよう」と言い、ご宝前の前に座り、一心にお願いされました。「この男に信仰のありがたいことを悟らせるために、どうぞ不思議をお見せください」。こうお願いして、羽アリの列に向かって、エイッ、エイッとお九字を切りました。すると、羽アリはクルリと向きを変えて、ゾロゾロ出て行ったのです。これには、その若い衆もびっくりし、以後、ピタリと悪口を言わなくなりました。
憎むなかれ罵るなかれ
それならば、植物にも心はあるのか、あるならば人間の心が通ずるはずだが……という疑問が当然起こってくるでしょう。ところが、確かにあるのです。一番顕著な実例は、ニューヨークのクライブ・バクスター氏の実験で、これは日本でもいろいろ新聞・雑誌に報道されましたのでご承知かもしれませんが、事のついでに紹介しておきましょう。
バクスター氏は嘘発見検査官養成学校の校長ですが、フト思いついて、ドラセナという観葉植物について嘘発見器をセットしてみました。そして何かドラセナに刺激を与えなくてはと考え、「よし、火をつけてやろう」と考えたそうです。するとそのとたんに、なんとメーターの針がピクリと動いたのです。瞬間、バクスター氏は「植物にも心がある」ことを直感し、それから積極的に研究し始めました。
例えば、部屋の中にあるいろいろな植物を、一人の男に棒でビシビシたたいて回らせました。それから、数人の人を一人ずつその部屋に入らせ、最後にくだんの男を入らせました。すると、他の人が入ったときは、メーターの針は少しも動かなかったのに、さんざんにたたいた男が入ってくると、針はものすごく揺れ動いたのでした。憎しみか恐れかわかりませんが、植物たちはその男に対して敏感な反応を示したのでした。
アメリカ人は、物質万能主義とばかり片付けてはならないのであって、精神とか心霊とかに深い関心をもつ人は案外多いのです。農業者でも、例えば、野菜・草花・苗木などを精神力で見事に生育させる実験をやっている人がたくさんあります。例えば、トマトの苗を二列に分けて植え、一方には毎日愛の言葉をかけてやり、一方には「バカヤロウ」などと罵りつづけていると、前者はいきいきと育って立派な実をつけ、後者はいじけた茎葉になって実も小さく、味も悪くなるそうです。
このように、虫にも、植物にも心があり、人間の心はそれに通ずるのです。ましてや人間同士に通じないことは絶対にありません。ですから、かりそめにも人をひどく憎んだり、罵ったりしてはなりません。それは一種の殺生です。間接的な、緩慢な殺生です。直接殺さなくても、これはやはり殺性の罪なのです。(つづく)
童子の頭部(浄瑠璃寺)
絵 増谷直樹