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心が変われば世界が変わる
 ―一念三千の現代的展開―(14)
 立正佼成会会長 庭野日敬

心が変われば容貌も変わる

自分の顔に責任をもて

 心が変わればからだも変わるのなら、からだの一部であり、心の窓である顔が変わらないはずはありません。絶対に変わるのです。
 テレビの普及のおかげで、世の中のさまざまな人の顔を、まるで面と向かって対座しているように見ることができますが、学者には学者らしい顔があり、教師には教師らしい顔があり、お医者さんにはお医者さんらしい顔があることが如実にわかります。これは、永年の職業が独特の顔つきをつくり上げたのです。
 お相撲さんの社会は、十五、六歳のころから部屋に弟子入りし、親方と一緒に生活しながら訓練されるのが普通ですが、そうして育った力士は、顔つきやからだの所作が、どことなく総帥の親方に似てくるものです。春日野型とか、時津風型とか。また、むかしは、大家(たいけ)の女中さんは少女のころから奉公に来てお嫁に行くまで勤めたものですが、そうして永年一つの家にいますと、顔つきがどことなくその家の奥さんに似てきたものでした。不思議なものです。
 リンカーンの「自分の顔に責任を」という言葉は有名ですが、それにはこういういきさつがあるのです。リンカーンが大統領になったとき一人の友人が、「よく切れる男がいる、側近に使ってくれないか」と頼んできました。面会してみてリンカーンは採用を断りました。友人が「どこがよくなかったのかね」と尋ねると、「顔つきが気に入らなかった」との答え。「顔つきで決めるなんて……」と抗議すると、リンカーンは毅然として「人間、四十になれば、自分の顔に責任をもたねばならないんだよ」と言ったというのです。

愚か者でも立派な顔に

 それを踏まえてか、警句の名人大宅荘一氏は、「男の顔は履歴書である」と言いました。確かにその通りです。またテレビの話をしますが、例えば国会の赤じゅうたんの上を濶歩する人たちの中にも、いかにも品のない顔がずいぶんありますね。反対に、農村の篤農家や隠れた郷土史家などに実に立派な顔の人を見受けます。本当に「顔は心の窓」であると思います。
 仏典にもいろいろな例が出てきます。例えば、自分の名前さえ覚えられないバカ者であった周陀(シュリハンドク)が、お釈迦さまのお言いつけ通り祇園精舎の掃除をしながら「塵を払わん、垢を除かん」という一偈をセッセと覚えようとしているうちに、いつしかスガスガしい一つの三昧の境地に達しました。長い間会わなかった兄の離婆多(りはた)がある日訪ねていくと、弟の顔つきが打って変わって尊げに見えました。兄は思わず「お前、悟ったな」と叫んだそうです。まったく手に負えなかったバカ者でも、こういう変化を遂げるのです。
 仏教の理想は、心身ともに仏さまのようになることです。そのために、仏さまのお顔やお姿の尊さを「三十二相・八十種好」などと、くわしく挙げて賛嘆しているのです。お釈迦さまが衆生を教化なさる念願も、法華経の如来寿量品の偈にありますように、「毎(つね)に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと」ということです。仏心だけでは不十分なのです。仏身を成就して、初めて人間の理想が達成されるのです。

仏心があれば仏相が出る

 私が尊敬し親しくさせて頂いている清水寺の大西良慶老師が、『大法輪(五四・七)』の『坐禅和讃講話』の中にこんなことをお話ししていらっしゃいました。「別にお母さんのお腹から出る時に華族で出てくる……そんなことあらへん。やっぱりあたりまえの人間で出てくる。けれども心の中に五摂家(藤原氏の中の近衛・九条・二条・一条・鷹司の五家)やったら五摂家、関白さん、大名やったら殿さまの子や。あんたも大きくなったら何万石の殿さまにならんならぬのやちゅうので仕上げると、かっこう悪うても殿様の風格をもった者になってくる。そやよって、わしらみたいな者はあかん……もう貧乏人で、食うや食わずで……そんなことばっかり思うてたら、その顔見ても食うや食わずの顔になるの。食わいでもかまへんよって、食うてるような顔して、千万長者のような心構えをもって悠々としてたら、必ずそういう相に現れて出てくるに決まったる。本来仏やと思うてたら、仏の相が出てくるに決まったる」。
 まことにありがたく拝読させて頂きました。お互いさま、できるだけ卑しいことや不正なことを思わず、「自分は本来仏子である、仏性の持ち主である」ということを、時に応じては思い出し、それを心に刻み込みたいものです。そうすれば顔の造作の美醜にかかわらず、必ず立派な相が滲み出てきて、人にも尊ばれ、親しまれるようになるのです。これは間違いのない真実なのです。
(つづく)
 菩薩の頭部(ガンダーラ)
 絵 増谷直樹

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