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しかし、え、いろいろの具体策として、こういうああいうということをいっても仏教のようにそういう、はっきりとしたですね、「諸苦の所因は 貪欲これ本なり」と。わたしどもはまあ、お互いさまにですね、例えば、共産主義というものは絶対争いなんて起こらない、理論で割り切れて、それに賛成したものは争いがないとこういうことを豪語したところの共産党がですね、マルクス主義がどうでしょう、現在ではもう、ソ連と中共が割れてきちゃった。こういうことになるとやっぱりですね、共産党も絶対理論で、ま、結ばれて、イデオロギーで結ばれて絶対別れないっていうこといい切れない。資本主義はけんかをする、戦争をする、一つの何になるけれども、社会主義、共産主義は絶対ないとこういっていたのがそうもいかない。ちゃんとそういうものは世の中へ出てきた、これはどこの主義でもイデオロギーでもですね、人間がやっぱりそこだと思うんです。やっぱり国が違うというと国の、損得ということがある、利害ということになるというと、中共とですね、ソ連がやっぱり一国を、統治するところの毛沢東とフルシチョフとでは、やっぱり国の利益という立場んなると、ああいうことにならざるを得ないと思うん。
 これを見ても、貪欲(とんよく)がもとになっておるということがはっきりしてるわけです。ま、そういうこと、われわれはもう教義の上では、2,500年前にお釈迦さまお悟りを開いてピタッとこうお示しになってるんですね。これはあのキリスト教のほうでは具体的のことから一生懸命取り上げて、根本理はわからんけれども具体的に行こうとしてる。仏教のほうでは、理の上ではわかっているけれども、やらんでいるっていうことんなると、これは仏教のほうが罪がちょっと深いようの気がしますな。わたしどもわかっていてやらないというの、まあ歌でも、わかっちゃいるけどやめらんねえっていう歌ありますから(一同 笑)、仕方がないっていえば仕方がないですけれども、そういうような意味で、わたしども仏教徒はですね、本当にこの際、謙虚の態度で、仏さまのこのみ教えというものをもういっぺん、真剣にその、仏の恩情をよく心に感じてですね、ちゃんとこういう形で、人間がこういうふうの改革をして、こういうふうな、われわれの三毒を滅して、そしてもう円満の人になれば、争わんでいい世界ができるんだと、いうことをお教えになってるわけであります。
 どうか、そういう意味で、皆さまはもうすでにそういうことに気がついて、それを実践してるんでありますけど、わたしども自体、自分自体が、ということでなしに、もっと多くの人に、この仏法の法則っというものを守らせるということに、もっと力を入れたならば、必ず、社会はもっと明るいですね。

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