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ところが、戦争始めてしまうとですね、やっぱりこれはそのなんとか、日本(にほん)の戦争っていうのは正しいんだと、ま、こういうふうにその、やりたいのがこれは人間の、人情だと思うんであります。
 ですから、核兵器持っている国はやっぱりそういう意味では、禁止という言葉を非常にその、アメリカのこの軍縮局長さんは、頭にだいぶきたようでありますから、もう禁止って言葉が気に入らなかったら引っ込めてもいいんだと。こういうもの必要のない世界創ろうっていうのがわたしどもの考えなんだと。まあいうことで、だんだん説明していくうちに、おしまいには、とうとうまあ、その、アメリカという国だけが、世界中どこの国にも軍縮局というようのものをこしらって積極的に軍縮問題に取っ組んで政府がやってるところは、見当たらないじゃないかと。アメリカだけがこういうわけで一生懸命でやってるんだというようのことで、だいぶこの軍縮という問題に対しては、禁止っていう問題をアメリカへ持って行くというとすぐ、ソ連をどうするんだと。まあ、いうことで、これ、ま、ちょうどわたしどもの戦争中の意思と同じことでありまして、ましては局長というお役があって、軍縮局というところに席を置かれる方にしては当然のことだと思うんで。ま、そういう意味では、もう、向こうのいうことよくわかりましたし、いろいろお話をしてるうちに、やっぱり主旨においては一致してんだと。しかし、これを具体的にということになると、そこに非常に問題だと。まあ、そういうことで、ま、そこでわたしども宗教家のできることというのは、そういうものを必要のない、お互いの相互理解、いままでは宗教家が、なかなかよその教団のいうこととか、ほかの人の、ことを聞かないっというのが、宗教家の、いままで過去の宗教家はそういう宗教家であったと。ところが、これからの宗教家はそういうことでなくて、壁を、壊して、橋を架けなければならない。お互いに橋を架けて交流し合って、行ったり来たりして、そして手をつないで、本当の平和を築くというそういう、核兵器のいらないような世界を招来させる方法を考えていかなくちゃならないんじゃないかと。そのいちばん原動力になる心の問題の解決を、まず宗教家が受け持ってやろうっていうようのことで、ようやく話が、向こうが納得してくれたわけであります。
 (咳払い)ま、しかし、持ってる人は気の毒だとこうわたし心配して、あのー、最近に出る時に、やめなさい、やめていただきたいなんといってお願いするのでなく、持ってるほう気の毒だから、そういう気の毒の状態をだれかが声掛けないというともう振り上げた拳(こぶし)を下ろすとこがなくて困ってるとおなしように困るだろうから、早くその、核兵器の禁止って問題をその大きく、世界中の人類から声が出て、え、そして、いま現在持ってる国だけで、もう、あとの国はそういうようのをこしらえる必要ないようの状態を早くつくってもらいたいっていうことを、願っているんじゃないかと。

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