仏教者のことば56
仏道は、初発心のときも仏道なり、成正覚のときも仏道なり、初中後ともに仏道なり。たとえば万里をゆくものの、一歩も千里のうちなり、千歩も千里のうちなり、初一歩と千歩とことなれども、千里のおなじきがごとし。
道元禅師・日本(…仏教者のことば57
生死即涅槃と体するを名づけて定となし、
煩悩即菩提に達するを慧となす。
天台大師・中国(法華玄義九)仏教者のことば58
親によき物を与えんと思いて、せめてやるものなくば、一日に二三度笑みて向え。
日蓮聖人・日本(上野殿御消息)仏教者のことば59
唯一の権利--そしてこれは仏教徒にとって同時に義務でもある--は、仏陀が覚りに達するために歩めと教えた道(中略)、そして自分で歩んでみて真理であることに気づいた道を、万人の前に提供することに外(ほか)ならない。
C・…仏教者のことば60
一切ノ法ハタダ道理トイウニ文字ガモツナリ。其外ニハナニモナキ也。ヒガコトノ道理ナルヲ、シリワカツコトノキワマレル大事ニテアルナリ。
慈円大僧正・日本(愚管抄巻七)仏教者のことば61
他力ということ、易行(いぎょう)などともいうが、実は容易なことではない。他力といったら、自分は微塵もなしに、全部あなたまかせに、まかせなければならない。
沢木興道・日本(禅とは何か)仏教者のことば62
ここに縁あって来た人は、縁くらい恐ろしいものはないのですから、どうぞひとつこれからさきざき、三日でも竜沢寺の飯を食っておった、あああの人は違うというように、すべてやっていただかねばならん。お願い申すことはそれよりない。
…仏教者のことば63
克己の人には人格の深みがあり、さらに人格の深みから品位が生ずる。品位から光輝が生じ、またその光輝から威信が生ずる。
ナーガールジュナ・インド(ラトナーヴァリー)仏教者のことば64
返す返すも今に忘れぬ事は、頸切られんとせし時、殿は供して馬の口に付きて泣き悲しみ給いしをば、いかなる世にも忘れ難し。たとい殿の罪深くして地獄に入り給わば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏のこしらえさせ給うとも、用い参らせ候べからず。…
仏教者のことば65
「お坊さま、このお経の教えは、つまりわたくしも観音さまになれということでございますね」
二宮金次郎・日本(『二宮尊徳』)仏教者のことば66
「わたしは貴僧に招待されて来たのではなく、ヤソ教に招待されて来たのですから、その悪口は言えません」
山崎辨栄上人・日本(仏教布教大系第十九巻)仏教者のことば67
一切世間の治生産業、ことごとく取り用いて我が実相智印となす。
慈雲尊者・日本(『人と為る道』)仏教者のことば68
アクのあるのを愛という。アクのないのを慈悲という。慈悲は平等であって、愛の方は区別がある。こっちが愛したかて、向こうが愛してくれなかったら、これは成立しない。けど、向こうがどうであろうが、言うこと聞いても聞かいでも、…
仏教者のことば70
合掌。私の全生涯の仕事はこの経をあなたのお手許に届け、そしてその中にある仏意にふれて、あなたが無上道に入られんことをお願いする外ありません。
昭和八年九月二十一日
臨終の日に於て
宮沢賢治・日本