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『庭野日鑛会長のこころ』~書初めから~
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76 件中の 1 件目~ 18 件目を表示
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サムネイル
交成新聞 真実顕現
【写真】
大聖堂 第三期工事
【写真】
手に法華三部経を持ち説法
【写真】
第3回全国青年部親善競技大会
【写真】
第3回全国青年部親善競技大会
【写真】
第3回全国青年部親善競技大会
【写真】
第3回全国青年部親善競技大会 バレーボール
【写真】
ブラジルへ出発
【写真】
開祖 (19580822A) 帰朝挨拶
【音声】
開祖 (19580822A) 帰朝挨拶
1
...法話コード=開祖-1958-08-22-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=帰朝挨拶 日 時=1958(昭和33)年8月22日 録音分=4分 場 所=行学園バルコニー 出席者=庭野日敬会長 長沼理事長 岡野教務部長 参集者 掲 載=『交成』1958(昭和33)年10月号60頁 見出等 ...
開祖 (19580822A) 帰朝挨拶
2
...○司会 (一同 拍手)ただいまは、理事長さんよりごあいさつをちょうだいさしていただきました。 それでは、会長先生にお願い致します。会長先生のお言葉を拝聴さしていただきます。(一同 拍手) ○庭野会長 (咳払い)皆さま、留守中をいろいろ皆さま方の、大(だい)なる和の結合によりまして、交成会は留守中といえどもますます盛んなることを、いま理事長が申されたように、新聞、または皆さまのお手紙によって聞きながら、2カ月半ものあいだを、楽々と、わたくしどもの出発の目的、所期の目的を達成のために、歩かしていただきました。 幸いに、この2カ月半のあいだに、わたくしが特に、ただ、ひと言(ひとこと)皆さまに覚えておいていただきたいということを、ここに申し上げさしていただきます。 わたくしどもは、日本人(にほんじん)として生まれたということが、無上の喜びであるということであります。 どんな南米の奥地にまいりましても、その先端に、開拓団の、いちばん先端におる方は、ほとんど日本人(にほんじん)でありました。あの広いブラジルに、すでに先端を切って日本人(にほんじん)が活躍しておる。あるブラジル人の方のお話を聞きますと、ブラジルは、建国の始まりに誤りであった、と、こういう冗談のようなことでありますけれども、非常にこれには意義があると思うのであります。もしブラジルに400(よんひゃく)年前に日本人(にほんじん)が入って建国しておったら、いまのブラジルはアメリカをしのぐような発展をしておったろうと。ところがポルトガル人によって、この建国されたことが誤りである、と、こういうようのことをブラジルのお方が、おっしやって方があるのであります。それほど日本人(にほんじん)の、開拓力、創造力、その優秀性というものをわたくしどもはつぶさに拝見さしていただきました。 わたしどもは決して、特別に日本人(にほんじん)が優位であるとか優秀であるかということを、驕慢の気持ちでこれを受け入れてはならんのでありますけれども、しかし実際において、28カ国の国民が集って、ひとつも人種の差別のないあの平等の立場において、日本人(にほんじん)の優秀性を、この50年祭の、官民一体となっての、あの大祭を通して、日本人(にほんじん)の優秀性を物語るということを、つぶさに拝見さしていただいたのであります。 どうか、わたくしどもは、この最大の喜びであるところの、日本(にほん)の国民に生まれまして、日本(にほん)の血を受けたところのわたくしどもは、いよいよ真の仏教徒として、宗教移民を今後ますます、わたくしどもの力によって正しい立派な人を、あの平等である、人種の差別のない南米に発展するときに、世界の平和をもたらす何かのお役に立つことと確信を致しておる次第でございます。 どうぞ、ますます、わたくしどものこの異体同心の精神をもちまして、法華経の教義にわたくしどもは恥じないような立派の仏徒として、仏教徒としての精進をお願い申し上げまして、簡単でございますが、ごあいさつに代えます。ありがとう存じました。(一同 拍手) ○司会 ただいまは、会長先生より親しく、お、え、拝聴さしていただきました。 それではここで、岡野教務部長さんの音頭を、いただきまして、万歳を三唱させていただきます。...
交成1958年11月号お会式
【機関紙誌】
『交成』1958年11月号巻頭口絵本部お会式特集
佼成新聞 1958年11月25日 大聖堂各階構造
【機関紙誌】
人間釈尊51
【機関紙誌】
心身の大医王・釈尊
人間釈尊51
心身の大医王・釈尊
1
...人間釈尊(51) 立正佼成会会長 庭野日敬 心身の大医王・釈尊 「手当て」で病比丘が快癒 前回に引き続き、釈尊が名医であられたことについて、もう少し述べてみましょう。 祇園精舎におられた時のことです。比丘たちはみんな町の居士(こじ=在家の男性信者)の屋敷に招待され、精舎はガランとしていました。釈尊はおひとりで比丘たちの房を見て回られました。 ところが、ある部屋で病気の比丘が、自分のもらした大小便にまみれながらうんうん呻(うな)っていました。世尊が、 「どうしたのだ。どこが悪いのか」 とお尋ねになると、 「腹病でございます。苦しくてたまりません」 「だれも看病してくれる者はいないのか」 「はい。わたくしがいつも他人の世話をしたことがございませんので……」 「そうか。よろしい。わたしが治してあげよう」 世尊はさっそく比丘の傍らに座られ、その身体に手を当ててさすっておやりになりました。すると、たちまち苦痛は去り、心身共に安らかになりました。 これは、十誦律巻二八に出ている実話ですが、世尊が触手療法の名手でもあられたことを物語っています。大聖者にはこのような能力が具わっており、イエス・キリストも患者の頭をなでられただけで、病気を退散せしめられたことが、聖書に明記されています。 また、言葉だけで病気を治された例もたくさんあります。キリストが、足なえの人に「立って歩め」と言われたら、即座に足が立ったことが、これまた聖書にあります。 釈尊も、前(35回)に書きましたように、気の錯乱したバターチャーラーという女に、 「妹よ、気を確かに持て」 と言われたその一言で、たちまち正気に返ったという記録があります。 ところがわれわれ凡夫にも、キリストや釈尊のような大聖者には及びもつかないけれど、そうした能力が潜在していることを知っておくべきでしょう。 頭が痛ければ、ひとりでに額を押さえます。「手当て」という言葉はそこから出ているといわれています。また、言葉の力にしても、病人に対する心からの励ましの言葉がどれぐらいその生命力を鼓舞するか、計り知れないものがあるのです。 現実の功徳の大切さ さて、さきの病比丘に対する釈尊のその後の処置が、これまた実に尊くも有り難いものでした。 やおら病比丘を助け起こし、外へ連れ出された世尊は、顔じゅうの唾や鼻水をふき取られ糞にまみれた衣を脱がせて洗濯した衣に着せ替えておやりになりました。また、部屋もきれいに掃除され、新しい草を敷いてその上に座せしめられました。そして、次のようにお諭しになりました。 「そなたは今後、人間としてのまことの道を求めることにもっともっと励むのだよ。それを怠れば、またこのような苦痛を覚えることがある。精進第一と心がけよ」 その比丘は心の中につくづくと考えました。(あえて原文のまま記しましょう) 「『いま仏の威神力を以て、我が身を摩するに当(まさ)に手を下したもう時、我が身の苦痛即ち除療し身心安楽なり』と。是の比丘、仏の大恩を念じ、善心を生じ、清浄の位を得、種々願を立つ」 この比丘はついに阿羅漢(一切の煩悩を除き尽くした人)の位を得たといいます。 この一連の経過は、われわれ後世の仏弟子としてよくよく吟味し、見習わなければならないことだと思います。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊52
【機関紙誌】
戒律も柔軟に合理的に
人間釈尊52
戒律も柔軟に合理的に
1
...人間釈尊(52) 立正佼成会会長 庭野日敬 戒律も柔軟に合理的に 病人は葫を食べてよい 釈尊教団にはたくさんの戒律がありました。毎度説明しますように、「戒」というのはもともと「良い生活習慣」という意味で、それを身につけることによって次第に人格を向上せしめようという目的の定めでした。「律」というのは教団の秩序と、清潔と、平和を維持するための掟(おきて)でした。 その「律」にしても最初から制定されたものではなく、比丘たちの中でよくない行為をしたものがあるごとに、世尊が「今後こんなことをしてはならぬ」と戒められたことから起こったもので、いわば自然発生的な掟だったのです。 それだけに、一部の基本的な「律」は別として、日常生活に関する細かい定めはけっして絶対的なものではなく、お釈迦さまは時と、人と、場合に応じて一時的にお許しになったり、永久的に改変されたりしました。そのように、大変柔軟で合理的なお心の持ち主でもあられたのです。その二、三例をあげましょう。 ある比丘がやせこけて寝込んでいるのをごらんになった世尊が、 「どうしてそんなにやせ衰えているのか」 とお尋ねになりますと、 「どうにも食欲がないのでございます」 「何か特別に食べたいものはないかね」 「わたくしは俗人でしたころ葫(ニンニク)を常用しておりましたが、こちらでは禁止されておりますので……」 ニラとかネギとかニンニクの類は強精作用があって修行を妨げるのでタブーとなっていました。しかし、体力の衰えた病比丘となれば、それがプラスに作用することを世尊はちゃんとご存じだったのです。そこで、即座に全教団に布令されました。 「今日より病比丘に限ってニラ・ニンニクの類を食することを許す」と。 温かい慈悲と透徹した智慧 世尊が鹿野苑に滞在しておられたときのことです。比丘の中に病人が続出し、六十人にも達しました。在俗のとき医師だった比丘がいて、懸命に看護していましたが、肝心のその医比丘が疲労こんぱいしてしまいました。お釈迦さまが心配され、 「そなたが寝込んだら病人たちが困る。なにかそなたが過労に陥らない手だてはないものかね」 と尋ねられました。すると、 「けっして看病疲れではございません。ここからハラナイ(ベナレス)の町までは半由旬(はんゆじゅん=約二キロ)ありますが、毎日薬を求めに行くのに疲れるのでございます」 という答えでした。 「そうか。薬は買いためて何日ぐらい保(も)つものかね」 「生酥(ミルク)・酥(チーズ)・油・蜜(みつ)などの類ですから、七日間は保ちます」 教団の掟としては、食物を蓄えることを固く禁じていました。物に対する執着心を起こさせないためだったのでしょう。しかし、六十人もの病人を助けるためとなれば話は別です。世尊はただちに、 「病気の比丘のための薬は七日間に限って蓄えることを許す。ただし、七日を過ぎたら残りは必ず捨てること。けっして服用してはならぬ」 と命ぜられました。 お釈迦さまは仏陀であると同時に、あくまでも人間であられました。そして、人間を限りなく愛するお方でありました。とりわけ、病者をいたわる慈悲心はことさら深かったようです。 その慈悲心も、透徹した智慧に裏打ちされたものであったことに、われわれは深い感銘を覚えざるをえません。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊53
【機関紙誌】
初めて五戒を授けられた人
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