善に徹した生き方にははかり知れない力がある
シンガポールでは、やはり自由ということ──人間は誰しもがみんな自由を望むわけです。不自由を望む人なんかいないわけです。ところが自由にしておくというと、みんなでたらめでうまく事が治まらない──そこで、たとえばタバコの吸いがらをですね、ポイッと投げ捨てる。吸いがらを外へ投げるということは、街をそれだけ汚すことであり、うっかりしていると火災にもなりかねない問題で、悪であります。こういう悪は見つかりしだい、五百ドルの罰金をとられるのです。罰金という言葉はあまり響きがよくありませんが、罰則がないと人間はやっぱり、勝手に何でもポンポン放り投げたりして、街を汚しても平気でいる。
五百ドルというとアメリカドルで十五万円ですが、むこうのはアメリカドルの半分ぐらいですから、七万五千円ぐらいになります。とにかく、それだけの罰金を徴収されるわけです。ですから、誰も簡単に捨てなくなってきたんですね。しかし、そんなに罰則、罰則とやったら反感を持つんではないかと思うのですが、二百三十万の国民が全く政府を信頼してですね。これでこそ人間らしい生活になるのだという心意気で、みなさんが政府の方針に参画してですね。もうまちがったことをした者は、片っぱしから捕まえて罰則にかける。まあ罰則がなければなおらんというのが、まことに心細い次第ですけれども、罰則がみんなの支持を受けて、罰するほうの政府に、ほんとうの信頼をもっているという状態は、私は非常にすばらしいことではないかと、そう思うわけです。
日本の政治の流れを変えなきゃいかんというので、自民党はみっともない金権政治の汚なさを暴露して、そして今度は同じ自民党のなかでも、最も清潔な人であるという三木さんを選び出したわけです。
三木さんは政治の流れを変えるといって、たいへんに題目はすばらしいし、イメージ・チェンジにはまことにうまくいったんです。人気がなく、国民には信用のない政治家がいたけれど、与党が割合に地方選挙で、ある程度の成績をおさめて、まず一応、一安心という結果になったわけです。われわれは国のなかで、ごたごたが起きるのを望んでいるわけではありませんから、まあ政治がなだらかにうまくいってくれることを願っておりますけれども、いっこうにこれはまたはっきりできない。いろいろなこといってみても、なかなか国民一人ひとりの自覚が変わるということ、そして議員諸公の頭も切り換えると──洗脳しなきゃならんという、まったくそれは三木さんのお題目の通りの方向に変えて、きれいな踏み出しをしなけりゃならないと思うのであります。しかし、それはなかなか不可能なのであります。