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5
...父・母のこと 一 父の重吉は、一口に言えば実直な人間だった。百姓仕事を黙々とやっていた。 私が小さいころは、借金などがあって家の経済事情はそうとうに苦しかったらしいが、父がせっせと荒地を開墾して田畑をふやし、それでずいぶん楽になったのだと聞いている。 無口で、きびしくて、かわいがってもらった記憶などほとんどないけれども、…
6
...大自然にいだかれて 一 生きがい……人間にとって、これほどたいせつなものはないのに、その生きがいとはどんなものかということになりますと、なかなかつかみにくく、表現しがたい嘆きをおぼえます。 それは、意識と無意識のちょうど中間あたりのところを上下している浮沈子のようなものだと、私は感じています。しかも、人により、年齢により、環境により、場合によって、…
7
...ふるさとの生活 一 私の村は山の中だったけれども、なかなか眺めがよかった。東南のほうには清水峠・中将岳・八箇峠の峰々が連なり、そのはるか向こうに越後三山の一つとして名高い八海山がそびえていた。西の方には薬師岳・黒姫山を望むことができた。 菅沼からさらに一キロばかり山奥へ行ったところに、直径二百メートルほどの蓮池があり、大池といった。…
8
...庭野家の家風 一 私は新潟県の山奥の純農家に生まれました。裕福では決してないが、さりとて食うに困るということもないていどの暮らしでした。したがって、一家じゅうがマメに働きました。働かざるを得なかったのです。母も、忙しい田畑仕事の合間に、越後上布の原料である麻糸をつくったり、蚕を飼ったりして、現金収入を計っていました。私たち子どもも学校から帰れば、…
9
...祖父の薫育 一 大家族の中心となる存在は、祖父でした。ノンビリした、愉快な性格の人で、私ども孫たちをとてもかわいがってくれました。それも、今思い出してみますと、いわゆる、チヤホヤ甘やかすというかわいがりかたではなく、そのなかに一本の筋金が通っていたように思われます。 四つか五つの遊びざかりのころは、冬になると、…
10
...菅沼と庭野家 一 菅沼には、昔は四十二戸の農家があった。耕地面積は田畑合わせて二十六ヘクタールである。一戸当たりの面積は、昔風にいえば五反歩しかない。祖父が若いころには白い米のごはんを食べるのは、一年のうち三日ぐらいで、稗めしや大根の葉を煮込んだめしを常食とし、夜は松の根を灯して囲炉裏ばたで緒を撚って、なりわいの足しにしたという。 …
11
...暮らしぶり 一 私のうちは大家族でしたから、母の役はたいへんだったと思います。機も織れば、蚕も飼っていました。お針もよくやりました。私の兄弟は、男の子は五人ですが、それだけでなく、家じゅうの者の針仕事を、全部引き受けてやっていました。 それも、今の人には想像もつかないことでしょうが、着物など、私どもは、上から下までおなじ縞、…
12
...家事の手伝い 一 農家の子は、ずいぶん小さいときから生産活動の手伝いをさせられます。(中略)それを辛いとも思わなければ、不服にも感じませんでした。農家の子にとっては、まったくあたりまえのことだったからです。朝になると、お日さまが出て、夕方になると、お星さまが輝きだすのとおなじように、天然自然のことだったのです。(中略) …
13
...小学生の頃 一 私がかよった小学校は、生徒は百人ほどいましたが、先生は校長と代用教員のふたりだけでした。校長先生が四年生から六年生までを受け持ち、代用教員の先生は、一年生から三年生を受け持って一つの大きな教室で教えたのです。そんなわけで、国語を教えるときでも、巻一から巻十二までの教科書を、順を追っていかないで、三年生のときは四年の国語を教え、…
14
...師の恩 一 私の家は小さな農家で、兄弟も多く、経済的に恵まれてませんでしたから、十歳ぐらいでいっぱしの手伝いをさせられ、からだで百姓を経験いたしました。そのようななかで学校へ行き、勉強できる時間が与えられるのですから、登校できるのがうれしく、その気持ちで先生の教えられることを聞くわけですから、先生を神さまのように敬ったものです。いわば、…
15
...竹馬の友 一 私は小さいときから背が高く、(中略)相撲でも、徒競走でも一番だったし、それやこれやで、いつのまにかクラスの大将格になった。 勉強のほうは、まあ中以上といったところだったが、だんだんできるようになって、四年生のころからはずっと二番だった。一番は、仲が良かった高橋宗太郎君で、家は大池部落にあったが、代々秀才の家柄というか、…
16
...家業と人間形成 一 小学校時代、私が学校から帰ると「家にきたら仕事しろ。勉強は学校でしてくるだけで上等だ」といわれるので、九歳になるころから、親から命じられた家の仕事の一端をしなければならなかったわけです。 (昭和52年08月【求道】) 家には馬や牛を飼っていたので、朝早く草刈りもしなくてはならない。養蚕もやっていたから、…
17
...百姓は楽し 一 小学校を卒業すると、家ではもはや半人まえ以上の働き手として期待している。卒業式がすむと、まず雪の消えていない山林にはいって、ボイの伐り出しだ。私どもの田舎ではこの作業を〈春木山〉と呼んでいるが、この時期に次の一冬をしのぐための燃料を用意しておくのだ。 それから、部落共同の〈道割り〉、田んぼの苗代づくり、代掻き、田植え、…
18
...青年期の体験 一 土地の慣わしで、数え年十五歳になると青年団の仲間入りをしなければならなかった。今では二十歳で成人となるわけだが、当時の農村では、十五歳になれば、たしかに成人並みに近い働きをしたもので、けっして早くはなかったようだ。(中略) 青年団員にならせてもらった私は、その実はまだ子どもであったけれども、なんだかおとなになったような気がして…
19
...願いをもって働く 一 米の取り入れが終わってから、中津川の水力工事に働きに行った。〈冬扶持かせぎ〉といって、雪に閉じこめられる期間によそへ出て働くのが土地の習わしで、前の年は撚糸工場に行ったのだが、ことしは一つ思いっきり骨の折れる仕事で自分を試してみたいとう気持ちもあって、十六の若者には、ちょっと無理なその仕事を志望したわけだった。 中津川は、…
20
...上京のとき 一 新潟県の山の中の貧乏百姓の次男坊に生まれた私ですから、家にいたのでは、とうていりっぱな百姓にはなれないのです。なぜかというと、小さな百姓だけに、もし兄から田畑を分けてもらって半分ずつにしたら、子どもを教育するどころではなく、生活も困難になってしまうからです。それも、男の兄弟が五人もいたので、兄に全部の財産をそっくり渡すためには、…
21
...関東大震災に遭遇して〈災害に対峙する心構え〉 一 あとで思えば、十一時五十八分、主人が、「もうそろそろ昼食にしようか」と言ったので、仕事にひとくぎりつけよう───と思ったとたん、ゴーッという地鳴りがし始めた。 おやと思う間もなく、家じゅうがグラグラッと揺れ出した。一瞬にして、落ちた壁土の埃があたりにもうもうと立ちこめ、その中で棚の物は落ちる、…
22
...傍を楽にする働き〈職業観・勤労観〉 一 私が(中略)炭屋に奉公したときには、それまで田舎で畑仕事をしても平気だった手に、アカギレができたものでした。夜おそく血の流れる手で、一生懸命にマキ割りをしていたころがなつかしく思い出されます。そのころはまだ子どもですから、なんになるという具体的な目標はなくても、…
23
...働く喜び 一 日本の中央の東京、そして、東京の中央でもある日本橋。とにかく、日本の政治の中心地である東京の真ん中だということで、あこがれて田舎から出てきたのですが、関東大震災を経験したあとは考え直しました。 東京の中心だけに、このあたりには空き地もなければ、逃げ場も隠れ場もありません。震災が起こったとき、…
24
...奉公とは世間に仕えること 一 中野の石原さんという、炭屋に奉公して働いていましたが、同郷の同じ年ごろの友人が、休みの日に遊びにきて話すのを聞くと、こっちが十五円の月給なのに、向こうは四十円ももらっているのです。それに仕事も楽で、働く時間も短いことを聞くと、正直な話、「割に合わんなあ」と感じたこともありました。それでも、…
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