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法華三部経の要点 ◇◇2
立正佼成会会長 庭野日敬

法華経はなぜ「諸経の王」といわれるのか

仏さまの教えを一つに統合

 むかしから「法華経は諸経の王」と呼ばれてきています。なぜでしょうか。
 第一には、前回で述べたようにこのお経はお釈迦さまのお説きになったさまざまな教えの底にある真精神を掘り起こし、形のうえで別々になっていた教えを見事に一つに統合したものである、ということです。
 さらに、その内容を見ますと、この宇宙のすべてのものごとのありようから、そのなかで人間はどう生きねばならないかという現実の指針までが、あますところなく述べ尽くされているのです。
 現実に生きるわれわれには、さまざまな苦しみや悩みがつきまとっています。そうしたものごとに突き当たるごとにこのお経を読み返してみますと、おのずからそこに解決の道がひらけてくるのであって、このことはわたしの法華経信仰六十年の体験から、確信をもって申し上げることができます。
 また、このお経には、「仏さまはいつもそばにいて、われわれを導いてくださる」ことと「すべての人は仏さまの実の子であり、だれもが仏さまと同じになれる」ことが教えられています。この真実を魂の底までしみこませ仏さまの心のごとくに実践すれば、現実の苦しみに振り回されることのない自由自在の境地に達しえられるのです。そこがまたこの上もなく有り難いのです。

生きる喜びを与える経典

 そのような真実を、このお経はただ理論的に解説するのでなく、劇的な譬え話や美しい文学的な表現で説いてありますので、読んでいくうちに人間として生きる喜びに全身の血が躍動するのを覚えざるをえません。
 しかも、たんに個人としての喜びだけでなく、縁あって触れ合う人々を仏道に導き、幸せな社会、平和な世界を築き上げねばならぬという使命感のようなものが燃え上がり、ほんとうの生きがいがわいてくるのです。そうしたエネルギーに充ち満ちていることも「諸経の王」といわれる大きな理由の一つでありましょう。
 ですから、多くの重要な仏典を中国語に訳した鳩摩羅什(前回参照)が、インドで仏教を学んで帰国するとき、師の須梨耶蘇摩(しゅりやそま)がとくに法華経を授け、「この経典は東北に縁あり。なんじ慎んで伝弘(でんぐ)せよ」と告げたのでした。
 また、中国においても、小釈迦といわれた天台大師が、あらゆる仏典を学び尽くした結果、「仏陀の真意はこの法華経にある」と断じて、このお経を中心にして仏教を説きひろめました。それがいわゆる天台宗です。
 日本に渡ってからも、わが国仏教の始祖である聖徳太子がこのお経の精神を基にして「十七条の憲法」をお定めになったことはだれ知らぬ者もないでしょう。
 時代が下って、伝教大師最澄が比叡山に延暦寺を建て、わが国仏教の中興の祖となりましたが、大師の信仰の中心となったのも法華経でした。
 そして、後に念仏の教えをひろめた法然上人も、親鸞上人も、この比叡山で学んだ人でした。ですから、法華経を所依(しょえ)の経典とはしていない浄土宗の教えも、その奥の奥には法華経の精神がこもっていることは間違いありません。
 わが国最高の法華経行者日蓮聖人は、十二年間比叡山その他のお寺であらゆる仏典を学び尽くした結果、法華経こそは仏教の神髄であるという信念に達し、この教えを説きひろめるために命をかけられたのでした。
 このように、インド・中国・日本の最高の宗教者たちがこぞってこの経を賛仰している事実からしても、法華経が諸経の王であると断じていいのであります。


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