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人間釈尊(58)
立正佼成会会長 庭野日敬

砂の供養を快く受けられた

世尊の鉢の中に砂を

 ある朝お釈迦さまは阿難を連れて王舎城に托鉢に出かけられました。
 城門を入るとすぐに少しばかりの広場があり、周りにはニグルダの木やセンダンの木が茂っており、双思鳥が美しい声でさえずっています。
 その広場のまん中で二人の子供が砂遊びをしていました。ジャヤという子とビジャヤという子でした。
 無心に砂いじりをしていたビジャヤがふと目を上げると、見るからに神々しい沙門が鉢を持って歩いて来られます。そのお顔からは金色の光が差し渡っているように見えました。
 「あ、仏さまだ」
 ビジャヤは直感しました。
 「何か供養申し上げなければ」
 そう思ったビジャヤは、両手に砂をすくい上げると、お釈迦さまの鉢の中へ入れ、手を合わせて拝むのでした。そして、かわいい顔を真っすぐにお釈迦さまの方へ向けて、きれいな声で偈(げ=詩)を詠んだのです。
  仏さまのおからだからは
  美しい光が出ています
  仏さまのお顔は
  金いろに輝いています
  尊いお方よ
  ここに砂をさしあげます
  わたしをお救いくださいませ
 お釈迦さまはニッコリとほほ笑まれ、快くその供養をお受けになり、静かに立ち去って行かれました。

子の無邪気と世尊の温かさ

 阿難は世尊のお心をはかりかねながら、ついて歩いていましたが、とうとうたまりかねて、
 「世尊は、いま砂の供養をお受けになり、ニッコリお笑いになりました。諸仏は何か特別な因縁があった時、お笑いになると聞いていますが、世尊はどうしていまお笑いになったのですか」
 とお尋ねしますと、お釈迦さまは、
 「わたしが入滅してから百年後に、この童子はパレンプ村に生まれて、姓を孔雀といい、名を阿育というであろう。のちに大王となって天下を治め、また仏の遺骨を広く分かち、八万四千の塔を建てて供養するであろう。そのことが見えてきたから微笑が浮かんだのである」
 そうおおせられた世尊は、
 「阿難よ。この童子が捧げた砂を竹林精舎の経行処(きょうぎょうしょ)にまいておくれ」
 と命ぜられました。
 これがアショカ大王出生の予言であると言われていますが、予言うんぬんはまずさしおくとして、このエピソードに現れた子供の無邪気な行為とお釈迦さまのお心の温かさに、限りない懐かしさを覚えずにはおられません。
 と同時に頭に浮かぶのは、法華経方便品にある「万善成仏」の教えです。
 昔ある童子が遊びの中で砂を集めて仏塔をつくった……その子はすでに仏道を成じた。
 ある童子はたわむれに、木の枝や自分の指で砂の上に仏の絵をかいた……その子も次第に功徳を積み、大悲心を具えるようになって、ついに仏道を成じた。
 このように、小さな仏縁がいつかは大きい実を結ぶのだということを、アショカ王出世の予言に託しておおせられたのではないかと、わたしにはそう思われてなりません。
 いずれにしても、砂を差し上げた子供の純粋な心を微笑をもって受けられたお釈迦さまの人間味に、われわれの心もほのぼのと温かくなるのを覚えるではありませんか。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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