人間釈尊(48)
立正佼成会会長 庭野日敬
持戒者は天に生まれる
飢渇しても殺生せず
お釈迦さまが祇園精舎にお住まいのときのことです。
マガダ国王舎城で出家したばかりの二人の比丘が、仏陀にお目にかかって直接に法をうかがいたいと思い、舎衛国へと旅立ちました。
両国の中間には人跡絶えた広漠たる荒野があり、二人がそこにさしかかったのはちょうど一年中で最も暑熱が激しく、しかも雨が一滴も降らない時期で、川も泉もすっかり渇(か)れ果てていました。
いつ体力が尽きてしまうか、いつバッタリ倒れるかという限界状況にありましたが、ただ仏さまを拝したいという一心から、気力だけでよろよろと歩いていました。
ところが、珍しく数本の木立があり、その下に古い泉の跡があってほんの少し水がたまっていました。やれ嬉(うれ)しやと飲もうとしたところ、その水には小さな虫がいっぱいわいていたのです。
「ああ、ダメだ。仏陀の戒めの第一に不殺生ということがある。この水を飲めば虫たちを殺すことになる。ああ、飲めない。飲んではならない」
と一人が言えば、もう一人は、
「いや、わたしは飲む。飲んで命をつないで仏さまのお目にかかる」
と言う。
「そうか。わたしは殺生戒を犯さずに死んで善処に生まれよう」
そう言ったかと思うと、その場に倒れて息を引き取りました。すると、その霊はたちまちにして忉利天(とうりてん)に昇りました。そして、そこから花と香を持って地上に降り、お釈迦さまのもとへ参って礼拝することができました。
自然を大殺生する現代人
もう一人は、水を飲んだおかげで命をとりとめ、疲労こんぱいしながら祇園精舎にたどりつきました。そしてお釈迦さまを拝してから、
「わたくしには一人の連れがございましたが、途中で死んでしまいました。どうぞその比丘のことも思いやってくださいませ」
と泣き泣き申し上げました。お釈迦さまは、
「知っている。その比丘はそなたより先にここに参っている。あそこにいる神々しい天人がそなたの連れであるぞ」
とおおせられ、さらにご自分の胸を開いてそこを指し示され、
「そなたは戒を守らずに、わたしのこの身体を見に来たのだ。そなたはわたしの前にいるようでも、じつはわたしの心からは万里も離れているのだよ」
とおおせられました。その比丘は自分の考えの至らなかったことをつくづくと悔い、いつまでもそこにうなだれていたのでした。
これは法句比喩経第一に出ている話ですが、肉体生命を大事にする現代の風潮からすれば、生き残ったほうの比丘の肩を持つ人のほうが多いかもしれません。
しかしわたしは、これは個人個人が殺生戒を守るか守らぬかの問題を超え、そして二千五百年前のインドの一地域での出来事を超え、人類と大自然との共存関係の大切さを底に秘められた教えと受け取りたいと思うのです。
二十世紀末の人類は、七、八十年間の短い人生の安楽のために大自然界のあらゆる生きものを虫けらのように殺生してはばかりません。そればかりか、土・水・空気といった無機物までをほしいままに殺生しています。そういった所業がどんな結果を生むかは想像に難くありません。
仏典には往々にして現実離れしたような話がありますが、このような受け取り方をすれば、八万四千の法門すべてが現実の教えとなることと思うのです。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
持戒者は天に生まれる
飢渇しても殺生せず
お釈迦さまが祇園精舎にお住まいのときのことです。
マガダ国王舎城で出家したばかりの二人の比丘が、仏陀にお目にかかって直接に法をうかがいたいと思い、舎衛国へと旅立ちました。
両国の中間には人跡絶えた広漠たる荒野があり、二人がそこにさしかかったのはちょうど一年中で最も暑熱が激しく、しかも雨が一滴も降らない時期で、川も泉もすっかり渇(か)れ果てていました。
いつ体力が尽きてしまうか、いつバッタリ倒れるかという限界状況にありましたが、ただ仏さまを拝したいという一心から、気力だけでよろよろと歩いていました。
ところが、珍しく数本の木立があり、その下に古い泉の跡があってほんの少し水がたまっていました。やれ嬉(うれ)しやと飲もうとしたところ、その水には小さな虫がいっぱいわいていたのです。
「ああ、ダメだ。仏陀の戒めの第一に不殺生ということがある。この水を飲めば虫たちを殺すことになる。ああ、飲めない。飲んではならない」
と一人が言えば、もう一人は、
「いや、わたしは飲む。飲んで命をつないで仏さまのお目にかかる」
と言う。
「そうか。わたしは殺生戒を犯さずに死んで善処に生まれよう」
そう言ったかと思うと、その場に倒れて息を引き取りました。すると、その霊はたちまちにして忉利天(とうりてん)に昇りました。そして、そこから花と香を持って地上に降り、お釈迦さまのもとへ参って礼拝することができました。
自然を大殺生する現代人
もう一人は、水を飲んだおかげで命をとりとめ、疲労こんぱいしながら祇園精舎にたどりつきました。そしてお釈迦さまを拝してから、
「わたくしには一人の連れがございましたが、途中で死んでしまいました。どうぞその比丘のことも思いやってくださいませ」
と泣き泣き申し上げました。お釈迦さまは、
「知っている。その比丘はそなたより先にここに参っている。あそこにいる神々しい天人がそなたの連れであるぞ」
とおおせられ、さらにご自分の胸を開いてそこを指し示され、
「そなたは戒を守らずに、わたしのこの身体を見に来たのだ。そなたはわたしの前にいるようでも、じつはわたしの心からは万里も離れているのだよ」
とおおせられました。その比丘は自分の考えの至らなかったことをつくづくと悔い、いつまでもそこにうなだれていたのでした。
これは法句比喩経第一に出ている話ですが、肉体生命を大事にする現代の風潮からすれば、生き残ったほうの比丘の肩を持つ人のほうが多いかもしれません。
しかしわたしは、これは個人個人が殺生戒を守るか守らぬかの問題を超え、そして二千五百年前のインドの一地域での出来事を超え、人類と大自然との共存関係の大切さを底に秘められた教えと受け取りたいと思うのです。
二十世紀末の人類は、七、八十年間の短い人生の安楽のために大自然界のあらゆる生きものを虫けらのように殺生してはばかりません。そればかりか、土・水・空気といった無機物までをほしいままに殺生しています。そういった所業がどんな結果を生むかは想像に難くありません。
仏典には往々にして現実離れしたような話がありますが、このような受け取り方をすれば、八万四千の法門すべてが現実の教えとなることと思うのです。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎