人間釈尊(47)
立正佼成会会長 庭野日敬
身を調えるのが最高の修行
技の習得に専念する青年
一人のバラモンの青年がおりました。頭がよく、たいそう器用で、どんなことでもよく覚える天才型の人間でした。
二十歳のとき、――この世の技術という技術をすべて身につけよう。でなければ、すぐれた人間とはいえないのだ――と考えました。
富豪の子でしたから、金と暇に飽かせて次から次へと師匠に就き、音楽から、書道から、馬術から、着物の裁断・衣装のデザイン、料理の技術まで習い、それらをすっかり身につけました。
それにもあき足らず、諸国をめぐって珍しい技があれば残らず習得しようと決意し、旅に出ました。
ある町を通りかかると、矢作り職人が矢を作っていました。その手際の鮮やかなことは目を見張るばかりで、買い手は列をつくっており、争って求めていくのでした。
青年は、――よし、この技を覚えよう――と考え、弟子入りしました。そして、しばらく修業しているうちに師匠をしのぐほどの腕前になりました。彼は謝礼のお金を差し出してそこを辞し、また旅へ出ました。
大きな川にさしかかりました。舟でその川を渡ったのですが、その船頭の舟の操りかたの巧みさは、ほれぼれするほどでした。向こう岸に着くと、さっそく船頭に頼みこんで弟子にしてもらいました。
桿(さお)のさし方、櫓(ろ)の漕ぎ方など、毎日懸命に練習した結果、師の船頭も及ばぬほどの腕前に達しました。そこで、謝礼を上げてそこを去り、また旅を続けました。
ある国にさしかかったとき、国王の宮殿を見る機会がありました。じつに立派な建築で、とりわけ軒や柱に施された彫刻の見事さにはただ感嘆するばかりでした。
青年は、その宮殿を造った大工を探し出して弟子入りし、設計から施工、そして装飾の技術まであらゆる技を習得しました。これまた棟梁をしのぐほどの技量となりましたので、厚く謝礼してそこを去りました。
ただ歩いておられる釈尊に
このようにしてその青年は十六の国々を回り、ありとあらゆる学芸・技術を習い覚え、天下に自分ほど偉い人間はないと肩をそびやかしながら、故郷へ帰ろうとしていました。
たまたま舎衛城に入ろうとして、祇園精舎の前を通りかかりました。
お釈迦さまは、この青年がいい素質は持ってはいるけれど、一つだけ欠けたものがあるのを神通力でお見通しになり、その青年の前へと歩いて行かれました。
それまで仏道の沙門を見たことがなかった青年は、粗末な衣をまとって静かに歩いて来られるその姿の神々しさに、思わず見とれてしまいました。
「失礼ですが、あなたはどんなお方でしょうか」と尋ねると、お釈迦さまは、
「わたしは身を調(ととの)える人である」
とお答えになりました。
「身を調えるとはどんなことですか」
お釈迦さまは偈を説いてお聞かせになりました。
治水者は水を導き、矢作りは矢を矯(た)め直し、木工は木を調える。賢者は、おのれの身を調えるのである
もともと利発なその青年は、心を調え行いを調えることが人間にとっていちばん大事な修行であり、最も価値あることであることをその場で悟り、お弟子の一人に加えて頂くようお願いし、お許しを得たのでありました。そして非常に高い境地に達したということです。(この偈は法句経八〇番に収録されています)
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
身を調えるのが最高の修行
技の習得に専念する青年
一人のバラモンの青年がおりました。頭がよく、たいそう器用で、どんなことでもよく覚える天才型の人間でした。
二十歳のとき、――この世の技術という技術をすべて身につけよう。でなければ、すぐれた人間とはいえないのだ――と考えました。
富豪の子でしたから、金と暇に飽かせて次から次へと師匠に就き、音楽から、書道から、馬術から、着物の裁断・衣装のデザイン、料理の技術まで習い、それらをすっかり身につけました。
それにもあき足らず、諸国をめぐって珍しい技があれば残らず習得しようと決意し、旅に出ました。
ある町を通りかかると、矢作り職人が矢を作っていました。その手際の鮮やかなことは目を見張るばかりで、買い手は列をつくっており、争って求めていくのでした。
青年は、――よし、この技を覚えよう――と考え、弟子入りしました。そして、しばらく修業しているうちに師匠をしのぐほどの腕前になりました。彼は謝礼のお金を差し出してそこを辞し、また旅へ出ました。
大きな川にさしかかりました。舟でその川を渡ったのですが、その船頭の舟の操りかたの巧みさは、ほれぼれするほどでした。向こう岸に着くと、さっそく船頭に頼みこんで弟子にしてもらいました。
桿(さお)のさし方、櫓(ろ)の漕ぎ方など、毎日懸命に練習した結果、師の船頭も及ばぬほどの腕前に達しました。そこで、謝礼を上げてそこを去り、また旅を続けました。
ある国にさしかかったとき、国王の宮殿を見る機会がありました。じつに立派な建築で、とりわけ軒や柱に施された彫刻の見事さにはただ感嘆するばかりでした。
青年は、その宮殿を造った大工を探し出して弟子入りし、設計から施工、そして装飾の技術まであらゆる技を習得しました。これまた棟梁をしのぐほどの技量となりましたので、厚く謝礼してそこを去りました。
ただ歩いておられる釈尊に
このようにしてその青年は十六の国々を回り、ありとあらゆる学芸・技術を習い覚え、天下に自分ほど偉い人間はないと肩をそびやかしながら、故郷へ帰ろうとしていました。
たまたま舎衛城に入ろうとして、祇園精舎の前を通りかかりました。
お釈迦さまは、この青年がいい素質は持ってはいるけれど、一つだけ欠けたものがあるのを神通力でお見通しになり、その青年の前へと歩いて行かれました。
それまで仏道の沙門を見たことがなかった青年は、粗末な衣をまとって静かに歩いて来られるその姿の神々しさに、思わず見とれてしまいました。
「失礼ですが、あなたはどんなお方でしょうか」と尋ねると、お釈迦さまは、
「わたしは身を調(ととの)える人である」
とお答えになりました。
「身を調えるとはどんなことですか」
お釈迦さまは偈を説いてお聞かせになりました。
治水者は水を導き、矢作りは矢を矯(た)め直し、木工は木を調える。賢者は、おのれの身を調えるのである
もともと利発なその青年は、心を調え行いを調えることが人間にとっていちばん大事な修行であり、最も価値あることであることをその場で悟り、お弟子の一人に加えて頂くようお願いし、お許しを得たのでありました。そして非常に高い境地に達したということです。(この偈は法句経八〇番に収録されています)
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎