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人間釈尊(28)
立正佼成会会長 庭野日敬

釈尊一日のお暮らしは

食事は一日に一度

 わたしどもはお釈迦さまのたくさんの教えを学び、数々の教化の実例を聞き、さまざまな逸話を読んで、お釈迦さまの全体像はある程度頭の中にえがいていますが、さて実際にどんな一日をお暮らしになっていたか、それをまとまった形では知らされていませんでした。ところが、幸いにも中村元先生が、精舎にお住まいの場合の一日をあらゆる文献からまとめて『ゴータマ・ブッダ』という本に発表されていますので、おおむねそれに基づいて一日のご日課を紹介させて頂くことにしましょう。
 インドの人たちは早起きですが、お釈迦さまもずいぶん早くお目覚めだったようです。そして口をすすがれてから、ご自分の部屋で静かにひとときを過ごされました。おそらくしばしの瞑想にお入りになっておられたのでしょう。
 托鉢の時間が来ると、外出用の衣に着がえて、町や村へ出かけられます。お一人の場合もありますし、弟子たちをお連れになることもありました。
 町や村の人たちは、おいでになるのを待ち受けていて、お釈迦さまを拝しては鉄鉢の中にお米、その他の食物を入れてさしあげます。お釈迦さまは黙然としてそれをお受けになります。
 人びとは布施をさせて頂く、そして功徳を積ませて頂くという気持ちでさしあげるのであって、恵むなどという気持ちは毛頭ありません。お釈迦さまも、その布施を黙然としてお受けになり、頭一つお下げになりません。礼などを言えば、せっかくの布施の功徳が消えてしまうという理念からです。現在もその風は東南アジア諸国の僧侶と信者との間に残されています。
 弟子たちを引き連れて托鉢される場合は、町や村の人びとは「わたくしには十人の沙門さまに供養させてください」「わたくしには二十人を」といったふうに、争うようにして布施の受納をお願いしたといいます。
 精舎にお帰りになりますと、受けられた食物で食事をおとりになります。あるいは信者の招待で、その家で供養を受けられることもありました。その場合は、そこに集まった人びとに法をお説きになってから、精舎にお帰りになります。いずれにしても、食事は一日にその一回きりだったのです。

瞑想と説法の午後と夜

 精舎に帰られたお釈迦さまは、お弟子たちに戒を与えられたり、瞑想の指導などをされます。それをうかがってからお弟子たちは、森へ行ったり、丘に登ったりして、それぞれの修行に入ります。
 お釈迦さまは、気が向けば横になられます。そして疲れがとれると、起き上がって「世を見つめる瞑想」に入られます。
 そうしているうちに在家の信者たちが香や花などの供物を持ってお参りに来ます。お釈迦さまはそれらの人びとに、やさしく法を説いておやりになるのです。
 その後、浴室に入って水を浴びられることもあり、そしてふたたび居室に入って座禅瞑想をされます。
 夜になると、修行僧たちが個人的な指導を受けに来ます。それに対して一々ていねいにお答えになり、ご指導をされます。
 もう少し夜が更けると、神々が降りて来てさまざまな質問を発したり、ご指導を受けたりしたことがしばしばあったといいます。
 もっと夜が更けると、長い一日の疲れをとるためにそぞろ歩きをなさり、それからおやすみになります。右脇を下にした、いわゆる「獅子臥」の姿勢で眠りにおはいりになるのです。
 これが人間釈尊の一日だったのです。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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