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経典のことば(17)
立正佼成会会長 庭野日敬

むかしの人たちはこういう宝物のために、お互いに傷つけあい、殺しあい、盗み、欺し、嘘をつき、それが原因で生まれ変わり死に変わりの中で苦しみを増大させ、大地獄に落ちたそうだよ。
(仏説弥勒大成仏経)

実現しつつある予言

 標記のことばは、弥勒仏が出現される未来の世の人びとが、だれでも自由に出入りできる宝物の蔵を見物しながら、話し合うことばです。彼らは美しく輝く宝物を見ても、それを鑑賞するだけで、欲しいとか私有したいとかいう心を起こさないのです。そして、物欲のためにさまざまな悪行をなし自ら不幸におちいった過去の人間たちを、ほんとうに気の毒な人たちだ……と感じているわけです。
 このお経はお釈迦さまが舎利弗その他の弟子たちに説かれたものですが、その中には二十世紀のわれわれがオヤと思い当たるような予言の数々が述べられています。
 まず、「未来世の都は道幅がたいへん広く、路上は油を塗ったように平らかで、人びとが歩きまわっても塵が立たない」とあります。アスファルトで舗装した現代都市の道路そっくりではありませんか。
 次に、「街路のあちこちに明珠の柱があって、その光は太陽のように四方を照らし、夜でも真昼のように明るい」とあります。明珠というのはつまり何百燭光の電灯のことでしょう。
 また、「人びとが大小便をすると地面が割れて中に吸いこみ、吸いこんだあとは元どおりにふさがり、その上に赤い蓮の花が生じていやな臭いを覆ってしまう」とも述べられています。現代の家庭の水洗便所と、そこに飾られているホンコン・フラワーや芳香剤などを思い合わせてみると、思わずほほ笑まざるをえません。

精神の時代が来る

 このお経には、精神的に高い境地に達した人々との様子も、さまざまに予言されています。現代の人間がそこまで到達するには今後何十年、何百年かかるか、まことに気が遠くなる思いがしますが、しかし、物質面の予言がどうやら実現しているような現状からおしはかれば、いつかはそうなるに違いないと思われます。いや、そのように努力するのが人間らしい積極的な生き方でありましょう。
 その努力の方向を知るために、精神面の予言も、二、三しるしてみることにします。
 「人びとはいつも慈しみの心を持ち、恭敬和順で、官能をほどほどに抑制するであろう。そして語ることばは謙遜であろう」
 この恭敬というのは、見えざる大いなる存在を敬い畏れる心でありましょう。和順というのは、まわりの人々と相和し仲よくすることでありましょう。
 「人びとは不殺生戒をたもち、肉食をしないので、官能が平静で、顔かたちは美しくて威厳があり、天の童子のようであろう」
 戦争をしない、殺しあいをしない世界の人びとの気高い様子が目に見えるようです。
 「その時代の人間は、年老いて身が衰えれば、ひとりでに山林の木の下に行き、安らかに、楽しく仏を念じながら命を終え、死後に多くの者は幸せに満ちた霊界または諸仏のみもとに生まれ変わるであろう」
 死も自然のままであり、そういう死こそがその後の安楽をもたらすことを教えていると思います。
 「老若男女にかかわらず、遠くにいたままで、仏法のふしぎな力によって自由に相会うことができるであろう」
 いわゆるテレパシーや霊視がごく通常のこととなるという予言でありましょう。
 総合的に見て物の時代が終わって精神の時代が来ることを、この経は予言しているものと思われます。
題字と絵 難波淳郎

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