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仏教者のことば(28)
立正佼成会会長 庭野日敬

 人のかくす事をあからさまにいう。
 おしはかりの事を真実になしていう。
 いきもつきあわせず物いう。
 このんでから言葉をつかう。
 学者くさきはなし。
 良寛禅師・日本(良寛禅師戒語)

現代人こそこの戒めを

 これらの言葉は、良寛さんが折に触れて、心やすい人たちに書き与えた話し方の戒めを、晩年の弟子であった貞心尼が書いた『蓮の露』という本の中に集めたものから抜き出したものです。戒めといえば、いかにもいかめしく、良寛さんの人柄に似つかわしくない感じがしますので、むしろ「こういう話し方はわたしは好きでない」という程度に言われたものと受け取ったほうがよさそうです。
 といえば、良寛さんの主観に過ぎないようですけれども、そうではありません。二十世紀末のわれわれにとって、まさにピシリと当てはまる痛切な教訓なのであります。
 「人のかくす事をあからさまにいう」
 たとえば週刊誌などが、どうでもいいような芸能人等のかくしごとを書き立てるのも、それでしょう。週刊誌は、かりにも「公器」と名づけられるものだから許されるのかもしれませんが、もし個人がこんなことをしたら、たちまち「下品な人間」というか「安心できない人」といわれるでしょう。
 「おしはかりの事を真実になしていう」
 新聞・雑誌などでも特ダネ扱いで、よくこんなことをやりますが、個人だとそれを聞く人の範囲が狭いせいか、ウヤムヤになってしまうことが多いのです。しかし、そんな無責任なことを言えば、つまりは自分自身の人格(誠実さ)を傷つけるのです。心に刻んでおきたいことです。

今流行の話し方への反省

 「いきもつきあわせず物いう」
 これがいま若い人たちの間で流行しています。テレビやラジオの影響でしょう。テレビやラジオは分刻み、秒刻みの仕事ですから、いわゆるタレントはつい早口で、息もつかず物を言います。一般の人がそんな話しぶりを真似ると、いかにも軽薄な、はしたない感じを人に与えます。友だちとの雑談ぐらいなら構わないでしょうが、仕事の上とか、相談ごととか、人を説得しなければならぬ大事な用件のときそれをしたら、こちらの意思がハッキリ伝わらぬばかりか、相手の軽蔑を買うという大きな損失を招きましょう。
 適当な間(ま)を取り、一語一句に心をこめて話しますと、言外にこちらの誠意が相手の胸に響き、そこに説得力が生まれるのです。
 「このんでから言葉をつかう」
 から(唐)言葉は、今日でいえば外来語です。世界は狭くなりましたから、たとえばワンピースのように日本語になってしまったのや、デジタルのようにそのままのほうが通用する語はどしどし使っていいでしょうが、話す相手が理解できないような外国語を連発するのは、失礼であるばかりでなく、鼻持ちならぬ感じを与えます。良寛さんの時代にもそんな人がいたのでしょう。
 「学者くさきはなし」
 学者臭い、通人臭い、宗教家臭い、とにかく「臭い」のは必ず反感を買います。布教の時など、よほど気をつけたいものです。
 教養人でありながら、そして、タレントに類する人でありながら、以上の戒めを自然に守っている好例は、日曜の朝の「世界の旅」の兼高かおるさんの話しっぷりです。昔の日本婦人の淑(しと)やかさと、現代女性の歯切れのよさとユーモアを兼ね備えた、じつに美しい日本語を話す人だと、いつも感心して聞いています。
題字 田岡正堂

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