仏教者のことば(2)
立正佼成会会長 庭野日敬
二種の衆生あり。来りて菩薩に向かい、一は恭敬供養(くぎょうくよう)し、二は瞋(いか)り罵(ののし)り打ち害す。そのとき菩薩はその心よく忍び、敬養(けいよう)の衆生を愛せず、加悪の衆生を瞋らず。
ナーガールジュナ・インド(大智度論一四・二四)
忍辱の二つの意味
現代語に意訳しますと、こうなります。「自分を救い導こうとする菩薩に対する衆生の態度には、大別して二種類がある。一つはその菩薩を尊敬し、ていねいにもてなす。他の一つは、いらぬお世話だと怒り、悪口を言い、はなはだしきは打ったり傷つけたりする。そのとき菩薩は心を動揺させることなく、自分を敬い供養してくれる衆生に対しても得意になったり、特別な愛着を持ったりせず、また自分に悪感情をいだき、反発の行為を加える衆生に対しても怒ることがない」
ここで注目すべきは、前者の場合です。わたしが若いころ恩師新井助信先生に法華経の講義を聞いていたとき、「忍辱という教えには、外部から加えられる迫害を耐え忍ぶことと同時に、褒められたり敬われたりしても有頂天にならないことも含んでいるのです。むしろ、こっちのほうが難しいんですよ」と教えられました。後に、それがこの『大智度論』に典拠を持っていることを知りました。
『大智度論』は、八宗の高祖といわれるナーガールジュナ(龍樹菩薩)の主著で、大乗仏教を理解するためには不可欠の書とされているものです。ここに掲げたことばは、その中の、忍辱について解説した章の一節ですが、新井先生も言われたとおり、まず得意のときに天狗にならないことから説き起こしてあります。
すなわち――提婆達多が阿難から神通の法を伝授されるや、たちまちおごりの心を生じ、自分の教団を作ろうとして王子阿闍世(あじゃせ)をたぶらかして後援者にした。阿闍世は提婆のために立派な精舎を建て、毎日たくさんの供物をささげた。ますます得意になった提婆は、明らかにお釈迦さまに反逆する態度を取り、ついに自ら墓穴を掘った――と、最大の実例として挙げてあります。
現代にも提婆は多い
現代においても、この戒めはそのまま通用しましょう。役所においても、会社においても、その他の団体においても、ある高い地位を得ればついおごりの心が生じます。しかもその周りには、おのれの利益や出世のために媚びへつらう人間が寄ってくるので、ますます真実を見る眼がくらみ、ズルズルと転落の道をたどった実例は、最近いやというほど新聞紙上を賑わしているではありませんか。日蓮聖人も喝破しておられます。「愚人にほめられたるは第一の恥なり(開目抄下)」と。
明治三十八年の日本海の大海戦で、勝利を得て以来、司令長官だった東郷大将の人気は、国の内外を問わずたいへんなものでした。大将の肖像を撮った写真屋が絵ハガキにして売り出したところ、飛ぶように売れました。
それを聞いた大将は困ったことだと思い、その写真屋に行って、原板を譲ってくれるよう頼みました。写真屋は「閣下のお望みなら断るわけにはまいりませんが、こちらも商売でございますから、相当の代金を頂きませんと……」と言います。いくらかと聞けば、二十円との要求、今のお金でいえば五十万円ぐらいにも当たりましょうか。
大将は清貧の人でしたが、大枚二十円を出して原板を買い取ってしまいました。このような人だったからこそ、「聖将」と呼ばれ、名誉ある一生を送ったのでした。総理大臣になろうと思えば、いつでもなれる人だったでしょうが、政界とは一切関係を持つことをしませんでした。得意な時に有頂天にならない人の典型というべきでありましょう。
題字 田岡正堂
立正佼成会会長 庭野日敬
二種の衆生あり。来りて菩薩に向かい、一は恭敬供養(くぎょうくよう)し、二は瞋(いか)り罵(ののし)り打ち害す。そのとき菩薩はその心よく忍び、敬養(けいよう)の衆生を愛せず、加悪の衆生を瞋らず。
ナーガールジュナ・インド(大智度論一四・二四)
忍辱の二つの意味
現代語に意訳しますと、こうなります。「自分を救い導こうとする菩薩に対する衆生の態度には、大別して二種類がある。一つはその菩薩を尊敬し、ていねいにもてなす。他の一つは、いらぬお世話だと怒り、悪口を言い、はなはだしきは打ったり傷つけたりする。そのとき菩薩は心を動揺させることなく、自分を敬い供養してくれる衆生に対しても得意になったり、特別な愛着を持ったりせず、また自分に悪感情をいだき、反発の行為を加える衆生に対しても怒ることがない」
ここで注目すべきは、前者の場合です。わたしが若いころ恩師新井助信先生に法華経の講義を聞いていたとき、「忍辱という教えには、外部から加えられる迫害を耐え忍ぶことと同時に、褒められたり敬われたりしても有頂天にならないことも含んでいるのです。むしろ、こっちのほうが難しいんですよ」と教えられました。後に、それがこの『大智度論』に典拠を持っていることを知りました。
『大智度論』は、八宗の高祖といわれるナーガールジュナ(龍樹菩薩)の主著で、大乗仏教を理解するためには不可欠の書とされているものです。ここに掲げたことばは、その中の、忍辱について解説した章の一節ですが、新井先生も言われたとおり、まず得意のときに天狗にならないことから説き起こしてあります。
すなわち――提婆達多が阿難から神通の法を伝授されるや、たちまちおごりの心を生じ、自分の教団を作ろうとして王子阿闍世(あじゃせ)をたぶらかして後援者にした。阿闍世は提婆のために立派な精舎を建て、毎日たくさんの供物をささげた。ますます得意になった提婆は、明らかにお釈迦さまに反逆する態度を取り、ついに自ら墓穴を掘った――と、最大の実例として挙げてあります。
現代にも提婆は多い
現代においても、この戒めはそのまま通用しましょう。役所においても、会社においても、その他の団体においても、ある高い地位を得ればついおごりの心が生じます。しかもその周りには、おのれの利益や出世のために媚びへつらう人間が寄ってくるので、ますます真実を見る眼がくらみ、ズルズルと転落の道をたどった実例は、最近いやというほど新聞紙上を賑わしているではありませんか。日蓮聖人も喝破しておられます。「愚人にほめられたるは第一の恥なり(開目抄下)」と。
明治三十八年の日本海の大海戦で、勝利を得て以来、司令長官だった東郷大将の人気は、国の内外を問わずたいへんなものでした。大将の肖像を撮った写真屋が絵ハガキにして売り出したところ、飛ぶように売れました。
それを聞いた大将は困ったことだと思い、その写真屋に行って、原板を譲ってくれるよう頼みました。写真屋は「閣下のお望みなら断るわけにはまいりませんが、こちらも商売でございますから、相当の代金を頂きませんと……」と言います。いくらかと聞けば、二十円との要求、今のお金でいえば五十万円ぐらいにも当たりましょうか。
大将は清貧の人でしたが、大枚二十円を出して原板を買い取ってしまいました。このような人だったからこそ、「聖将」と呼ばれ、名誉ある一生を送ったのでした。総理大臣になろうと思えば、いつでもなれる人だったでしょうが、政界とは一切関係を持つことをしませんでした。得意な時に有頂天にならない人の典型というべきでありましょう。
題字 田岡正堂