心が変われば世界が変わる
―一念三千の現代的展開―(15)
立正佼成会会長 庭野日敬
心が変われば人生も変わる
見る自己と見られる自己
これまで(心が変わればからだが変わる)ことについてお話ししてきましたが、ここで少し角度を変えて、(心が変われば人生も変わる)ということと、(どうすれば心を変えることができるか)ということについて考えていってみたいと思います。
さて、前々回に(自己の中にもう一人の自己がいる)という真実について少し触れました。この(もう一人の自己)というのは、つきつめていくと、禅の公案にある(父母未生以前における本来の面目)であり、宇宙の大いなるいのちと同体の(仏性)のことであり、たいへん深遠で、にわかにとらえ難い問題となってきますので、そこへ達する入り口として、ひとまず(見られる自己と見る自己)とに分けて考えていくことにしましょう。
芭蕉の句に
馬ぼくぼく我をゑ(絵)に見る夏野哉
というのがあります。芭蕉の乗った馬がボクボクとあまり威勢のよくない音を立てながら、日盛りの夏野を歩いています。芭蕉は心の中で、ずっと離れた場所にもう一人の自分を置き、馬に揺られて旅をしている自分の姿を一幅の絵として眺めてみたのです。
どんな気分の絵として眺めたのか、それは芭蕉に聞いてみなければわからないのですけれども、ただハッキリしていることは、もう一人の芭蕉が(見る自己)となり、現実の自分を(見られる自己)としていることです。
ここでは芸術創作の一手段となっているわけですが、心のこうした働かせ方は、人生にとってもたいへん大事なものなのであります。
人間の人間たる最大の条件
虫や、魚や、鳥や、獣には、心があるとしても、自分の生命を守り、自分の欲求をいちずに遂げようとする本能的な心だけでありましょう。もちろん、人間にもそうした本能的な心は旺盛なのですが、別にもう一つの心があって、その本能的な心を客観的にみつめることができるのです。つまり、(見る自己)が別にあるということです。これが畜生と人間とを分ける最大の条件であって、これがあってこそ人間らしい人間と言えるのです。(良心)という言葉があります。(反省)ということも言われます。それらはつまり、この(見る自己)の働きにほかならないのです。
幕末から明治にかけて豪僧の名が高かった原坦山(たんざん)師は、若いころには昌平黌(江戸幕府の学校)で儒教を学んでいました。そのころ、深い仲だった女に裏切られたのに激怒し、殺そうと思ってその家に行きました。ところが女が留守だったので、帰りを待ちながらフト机の上にあった本をパラパラめくってみると、女色を戒めた文章が目に入りました。それを読んでいるうちに自分の愚かさに猛然たる悔悟の念がわき、そこを飛び出して再び女に近づくことがなかったということです。
じつに危ないところでした。そのまま推移すれば、痴情の果ての人殺しとして死罪は免れず、世の笑い者になったでしょう。
ただ一瞬に(見る自己)が目を覚まして、道を踏み外そうとしている(見られる自己)を正視したおかげで、人生が一八〇度変わってしまったのでした。
見る自己を常に働かすこと
この回心はあまりに劇的なものなので、普通の人間には縁遠い事例のように感ずる人があるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。われわれは、ともすれば何事かに溺れたり、邪まなことに興味を持ったりして、たとえ犯罪のような大それたことはしないまでも、人生の横道に逸れてしまったり、天から与えられた持ち分を伸ばすことなく一生を終わったりする危険な岐路には、日常いつも直面しているのです。したがって、常にこの(見る自己)を働かすか否かが、大小にかかわらず人生の分岐点になるのだ、と知らなければなりません。
伊達政宗は名器といわれる茶碗を愛用していましたが、ある日それを手に取って惚れぼれと眺めているうちに、フト取り落としてしまいました。幸い膝の上に落ちて無事でしたが、政宗はそれを取り上げるや突然庭の石に叩きつけてしまいました。家臣たちが驚き騒ぐのに向かって政宗は「茶碗を落とそうとした時、わたしはハッとした。武将たるものが、わずか茶碗ごときに胆を冷やすとはじつに恥ずかしいことだ。だから、その源を断ったのだ」と笑って言ったそうです。つまり政宗は、とっさに(見る自己)を働かせて、一つの分岐点を無事の道へと切り抜けていったわけです。
(つづく)
笛を吹く天子(東大寺燈籠)
絵 増谷直樹
―一念三千の現代的展開―(15)
立正佼成会会長 庭野日敬
心が変われば人生も変わる
見る自己と見られる自己
これまで(心が変わればからだが変わる)ことについてお話ししてきましたが、ここで少し角度を変えて、(心が変われば人生も変わる)ということと、(どうすれば心を変えることができるか)ということについて考えていってみたいと思います。
さて、前々回に(自己の中にもう一人の自己がいる)という真実について少し触れました。この(もう一人の自己)というのは、つきつめていくと、禅の公案にある(父母未生以前における本来の面目)であり、宇宙の大いなるいのちと同体の(仏性)のことであり、たいへん深遠で、にわかにとらえ難い問題となってきますので、そこへ達する入り口として、ひとまず(見られる自己と見る自己)とに分けて考えていくことにしましょう。
芭蕉の句に
馬ぼくぼく我をゑ(絵)に見る夏野哉
というのがあります。芭蕉の乗った馬がボクボクとあまり威勢のよくない音を立てながら、日盛りの夏野を歩いています。芭蕉は心の中で、ずっと離れた場所にもう一人の自分を置き、馬に揺られて旅をしている自分の姿を一幅の絵として眺めてみたのです。
どんな気分の絵として眺めたのか、それは芭蕉に聞いてみなければわからないのですけれども、ただハッキリしていることは、もう一人の芭蕉が(見る自己)となり、現実の自分を(見られる自己)としていることです。
ここでは芸術創作の一手段となっているわけですが、心のこうした働かせ方は、人生にとってもたいへん大事なものなのであります。
人間の人間たる最大の条件
虫や、魚や、鳥や、獣には、心があるとしても、自分の生命を守り、自分の欲求をいちずに遂げようとする本能的な心だけでありましょう。もちろん、人間にもそうした本能的な心は旺盛なのですが、別にもう一つの心があって、その本能的な心を客観的にみつめることができるのです。つまり、(見る自己)が別にあるということです。これが畜生と人間とを分ける最大の条件であって、これがあってこそ人間らしい人間と言えるのです。(良心)という言葉があります。(反省)ということも言われます。それらはつまり、この(見る自己)の働きにほかならないのです。
幕末から明治にかけて豪僧の名が高かった原坦山(たんざん)師は、若いころには昌平黌(江戸幕府の学校)で儒教を学んでいました。そのころ、深い仲だった女に裏切られたのに激怒し、殺そうと思ってその家に行きました。ところが女が留守だったので、帰りを待ちながらフト机の上にあった本をパラパラめくってみると、女色を戒めた文章が目に入りました。それを読んでいるうちに自分の愚かさに猛然たる悔悟の念がわき、そこを飛び出して再び女に近づくことがなかったということです。
じつに危ないところでした。そのまま推移すれば、痴情の果ての人殺しとして死罪は免れず、世の笑い者になったでしょう。
ただ一瞬に(見る自己)が目を覚まして、道を踏み外そうとしている(見られる自己)を正視したおかげで、人生が一八〇度変わってしまったのでした。
見る自己を常に働かすこと
この回心はあまりに劇的なものなので、普通の人間には縁遠い事例のように感ずる人があるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。われわれは、ともすれば何事かに溺れたり、邪まなことに興味を持ったりして、たとえ犯罪のような大それたことはしないまでも、人生の横道に逸れてしまったり、天から与えられた持ち分を伸ばすことなく一生を終わったりする危険な岐路には、日常いつも直面しているのです。したがって、常にこの(見る自己)を働かすか否かが、大小にかかわらず人生の分岐点になるのだ、と知らなければなりません。
伊達政宗は名器といわれる茶碗を愛用していましたが、ある日それを手に取って惚れぼれと眺めているうちに、フト取り落としてしまいました。幸い膝の上に落ちて無事でしたが、政宗はそれを取り上げるや突然庭の石に叩きつけてしまいました。家臣たちが驚き騒ぐのに向かって政宗は「茶碗を落とそうとした時、わたしはハッとした。武将たるものが、わずか茶碗ごときに胆を冷やすとはじつに恥ずかしいことだ。だから、その源を断ったのだ」と笑って言ったそうです。つまり政宗は、とっさに(見る自己)を働かせて、一つの分岐点を無事の道へと切り抜けていったわけです。
(つづく)
笛を吹く天子(東大寺燈籠)
絵 増谷直樹