心が変われば世界が変わる
―一念三千の現代的展開―(3)
立正佼成会会長 庭野日敬
懺悔によって病気が治るのは
心の抑圧を解き放つことで
心と身体の関係を掘り下げて考え、分析し、そこから得た理論を応用して病気を治すことをやり始めたのは、ウィーン(オーストリア)の精神病医フロイト博士です。その前に、同じウィーンのある開業医が、ヒステリーの少女に催眠術をかけて、病気の誘因になった事件を思い出させ、それをくわしく語らせたところ病状が消えてしまうことを発見しました。
それにヒントを得て、フロイト博士はその開業医と協力してこの問題を追求していった結果、ヒステリーは心の奥底に残る古傷が原因であることを突き止めたのでした。ヒステリーというのは、体の器官にはなんらの障害はないのに、機能(はたらき)に障害が起こる病気です。耳が聞こえなくなったり、咽喉に何かつかえたようでモノがのみ込めなくなったり、手足がこわばって動かなくなったり、原因不明の頭痛がしたり、突然気を失ったりするのですが、耳や咽喉や手足を調べてみても何の異常もないのが特徴で、女子に多い病気です。
フロイト博士は、その病気の原因は、ある時に受けた屈辱とか、恐怖とか、悲哀とかいうような心の痛みが、本人は忘れてしまったつもりでも、心の奥底の無意識の中に抑圧された形で残っているので、それがうごめき出して身体的症状へと転換するのだ、と考えたのです。従って、その抑圧され、閉じこめられた心の痛みを放出させてしまえば、ヒステリーは治る、ということを発見したのです。
ところが、前記のように催眠術を応用するのには欠陥があることがわかり、フロイト博士は、患者にいろいろな質問をして連想を起こさせたり、「何でもいいから、心に思い浮かべることをドンドン話しなさい」と言って止めどもなくおしゃべりをさせたり、あるいは見た夢を語らせたりして、その患者の言葉の中から心の奥にひそむコンプレックス(抑圧されたために起こった心のシコリ・結ぼれ)を見つけ、その抑圧を解き放つことによって、見事にヒステリーを治していったのでした。現在でもアメリカなどには、このような方法で主としてヒステリーやノイローゼや神経系統の病気を治療する、いわゆる(精神分析医)が開業しているのです。
さて、こう考えてきますと、どうしても宗教における(懺悔)というものをもう一度考え直さねばならなくなります。
殻をかぶった生活から決別
(懺悔なくして宗教なし)という言葉があるくらい、あらゆる宗教において懺悔ということを大切にしますが、どうもそれが中途半端な受け取り方をされているように思われてなりません。すなわち(犯した過ちや心の罪を懺悔することによって心を洗い清める)というその(心)を、単に表面の心(顕在意識)の世界のことのように受け取っているのではないか、と考えられるのです。
もちろん、表面の心を洗い清めることも大切なことです。世俗の世界においては、人間は自分の心身の罪・醜さ・弱点・悩みなどを他人の前にさらけ出すことは、実際上なかなかむずかしいことで、多少とも殻をかぶって暮らしています。殻をかぶっていると、心は自由自在ではありませんから、本当の幸せを感じることができません。また、心に殻をかぶせることが習慣になりますと、常になにがしかの欺瞞をなしていることになりますから、本当の人格が育ちません。それゆえ、素っ裸になれる宗教の世界において指導者や同信者たちに、過去の行いの過ちや、現在の内心の罪などを洗いざらい懺悔することによって、心の自由自在を得、解放感を味わい、本当の人間らしい幸福を享受することができます。と同時に、本当の人格も育っていくのです。
真の姿に心を透徹させる
ところが、懺悔には、そうした表面の心の洗い清めだけでなく、もっと重大なはたらきがあるのです。それは『懺悔経』の別名を持つ『仏説観普賢菩薩行法経』をしっかりと読めば必ずわかるはずです。
例えば、「懺悔清浄なること己りなば普賢菩薩復更に現前して行・住・坐・臥に其の側を離れず。乃至夢の中にも常に為に法を説かん」とあります。深層心理学者の分析によりますと、夢というものは(意識が眠っている間に、かくれた世界(無意識)に閉じこめられたさまざまな経験や思いが活発に働き出し、その動きを睡眠中の意識が把握し、記憶したもの)だそうです。ですから、起きている時は考えもしなかった大胆不敵なことや罪深い行いを、夢の中ではするわけです。ところが、ここに述べられた信仰者は、起きている時も普賢菩薩と共にある実感をもっていますし、夢の中でも普賢菩薩を見るというのですから、無意識の世界までも清められていることになります。
また、「一弾指の頃(あいだ)に百万億阿僧祗劫の生死の罪を除却せん」とあります。これは、人間がまだアミーバのような原生動物だったころから積んできた無数の罪が、無意識の中に累積しているのを、一瞬の間に消滅できるというのです。つまり、無意識の世界の大掃除ができるわけです。
先に述べた精神分析医の治療法は、無意識の世界の局部的な掃除をするものですが、もっと広く、もっと深く、底の底まで大掃除するのが宗教の懺悔であります。しかもその極致は「若し懺悔せんと欲せば端坐して実相を思え」とありますように、この世の成り立ちの真の姿に心を透徹させることだ、とあります。この(真の姿)とは何か。それは追い追い明らかにしていくことにしましょう。
(つづく)
わらう僧の頭部
絵 増谷直樹
―一念三千の現代的展開―(3)
立正佼成会会長 庭野日敬
懺悔によって病気が治るのは
心の抑圧を解き放つことで
心と身体の関係を掘り下げて考え、分析し、そこから得た理論を応用して病気を治すことをやり始めたのは、ウィーン(オーストリア)の精神病医フロイト博士です。その前に、同じウィーンのある開業医が、ヒステリーの少女に催眠術をかけて、病気の誘因になった事件を思い出させ、それをくわしく語らせたところ病状が消えてしまうことを発見しました。
それにヒントを得て、フロイト博士はその開業医と協力してこの問題を追求していった結果、ヒステリーは心の奥底に残る古傷が原因であることを突き止めたのでした。ヒステリーというのは、体の器官にはなんらの障害はないのに、機能(はたらき)に障害が起こる病気です。耳が聞こえなくなったり、咽喉に何かつかえたようでモノがのみ込めなくなったり、手足がこわばって動かなくなったり、原因不明の頭痛がしたり、突然気を失ったりするのですが、耳や咽喉や手足を調べてみても何の異常もないのが特徴で、女子に多い病気です。
フロイト博士は、その病気の原因は、ある時に受けた屈辱とか、恐怖とか、悲哀とかいうような心の痛みが、本人は忘れてしまったつもりでも、心の奥底の無意識の中に抑圧された形で残っているので、それがうごめき出して身体的症状へと転換するのだ、と考えたのです。従って、その抑圧され、閉じこめられた心の痛みを放出させてしまえば、ヒステリーは治る、ということを発見したのです。
ところが、前記のように催眠術を応用するのには欠陥があることがわかり、フロイト博士は、患者にいろいろな質問をして連想を起こさせたり、「何でもいいから、心に思い浮かべることをドンドン話しなさい」と言って止めどもなくおしゃべりをさせたり、あるいは見た夢を語らせたりして、その患者の言葉の中から心の奥にひそむコンプレックス(抑圧されたために起こった心のシコリ・結ぼれ)を見つけ、その抑圧を解き放つことによって、見事にヒステリーを治していったのでした。現在でもアメリカなどには、このような方法で主としてヒステリーやノイローゼや神経系統の病気を治療する、いわゆる(精神分析医)が開業しているのです。
さて、こう考えてきますと、どうしても宗教における(懺悔)というものをもう一度考え直さねばならなくなります。
殻をかぶった生活から決別
(懺悔なくして宗教なし)という言葉があるくらい、あらゆる宗教において懺悔ということを大切にしますが、どうもそれが中途半端な受け取り方をされているように思われてなりません。すなわち(犯した過ちや心の罪を懺悔することによって心を洗い清める)というその(心)を、単に表面の心(顕在意識)の世界のことのように受け取っているのではないか、と考えられるのです。
もちろん、表面の心を洗い清めることも大切なことです。世俗の世界においては、人間は自分の心身の罪・醜さ・弱点・悩みなどを他人の前にさらけ出すことは、実際上なかなかむずかしいことで、多少とも殻をかぶって暮らしています。殻をかぶっていると、心は自由自在ではありませんから、本当の幸せを感じることができません。また、心に殻をかぶせることが習慣になりますと、常になにがしかの欺瞞をなしていることになりますから、本当の人格が育ちません。それゆえ、素っ裸になれる宗教の世界において指導者や同信者たちに、過去の行いの過ちや、現在の内心の罪などを洗いざらい懺悔することによって、心の自由自在を得、解放感を味わい、本当の人間らしい幸福を享受することができます。と同時に、本当の人格も育っていくのです。
真の姿に心を透徹させる
ところが、懺悔には、そうした表面の心の洗い清めだけでなく、もっと重大なはたらきがあるのです。それは『懺悔経』の別名を持つ『仏説観普賢菩薩行法経』をしっかりと読めば必ずわかるはずです。
例えば、「懺悔清浄なること己りなば普賢菩薩復更に現前して行・住・坐・臥に其の側を離れず。乃至夢の中にも常に為に法を説かん」とあります。深層心理学者の分析によりますと、夢というものは(意識が眠っている間に、かくれた世界(無意識)に閉じこめられたさまざまな経験や思いが活発に働き出し、その動きを睡眠中の意識が把握し、記憶したもの)だそうです。ですから、起きている時は考えもしなかった大胆不敵なことや罪深い行いを、夢の中ではするわけです。ところが、ここに述べられた信仰者は、起きている時も普賢菩薩と共にある実感をもっていますし、夢の中でも普賢菩薩を見るというのですから、無意識の世界までも清められていることになります。
また、「一弾指の頃(あいだ)に百万億阿僧祗劫の生死の罪を除却せん」とあります。これは、人間がまだアミーバのような原生動物だったころから積んできた無数の罪が、無意識の中に累積しているのを、一瞬の間に消滅できるというのです。つまり、無意識の世界の大掃除ができるわけです。
先に述べた精神分析医の治療法は、無意識の世界の局部的な掃除をするものですが、もっと広く、もっと深く、底の底まで大掃除するのが宗教の懺悔であります。しかもその極致は「若し懺悔せんと欲せば端坐して実相を思え」とありますように、この世の成り立ちの真の姿に心を透徹させることだ、とあります。この(真の姿)とは何か。それは追い追い明らかにしていくことにしましょう。
(つづく)
わらう僧の頭部
絵 増谷直樹