○司会 ただいまは、遺族を代表していただきまして、長沼理事長さんのごあいさつをちょうだい致しました。
それでは次に、葬儀委員長としての会長先生より、ごあいさつを賜りたいと思います。(一同 拍手)
会長先生より、ごあいさつをちょうだい致します。(一同 拍手)
○庭野会長(咳払い) え、この度の妙佼先生ご遷化に対しましては、先ほど来、副委員長の柴田先生からご報告がありましたようの経路をたどりまして、(咳払い)支部長さんはじめ幹部諸氏の絶大なるご協力によりまして、滞りなく葬儀は立派に終了致しました。本日まで(咳払い)26日を数えました。なお、ただいま理事長さんからもお話がありましたように、支部長さん方によりまして、毎日お山におきまして、ご給仕をさせていただいております。
先生の思い出は、もう語れば、どこまでいっても果てしがないのであります。なお、岩船さんからも、そういうようなことがいわれましたが、先生を失いまして、まだ、20数日たちますけれども、頭の中はすっかりと整理ができませんで、先生の思い出は皆さんの前になんとか綴って、せいとうい(正当位)にお話をしなければならない、思いつつもそのことがまとまらないのでありまして、ただ漠然とこの5日のご命日に追悼会をやる、その時ごあいさつをしなければならない。こういうようなことで本日まで、日(ひ)を過ごしてまいりましたような次第でございます。皆さん方の追悼の言葉を伺っているうちに、次から次へとあれもそうであったな、そういうこともあったなと、そう思い出しておったような次第でございます。第七(だいなな)支部長さんが、会の創立当時、一緒に歩くというと、体格が違うので、わたしのあとからとぼとぼと歩くのに、駆け足のようにして一緒に歩いたと、この言葉をひとつ聞きましても、全くそうであった。しかも、先生はわたしよりお年が17(じゅうしち)も上である。現在のわたしは、ちょうど先生が交成会が始まって3年目ぐらいの時期の年である。しかるに、どこへ行くのにもいろいろ皆さん方の真心によりまして、本当に下駄を履いてとぼとぼと歩くというようなことなく、車に乗って歩かしていただいている。しかも、体格も先生よりもこれだけ大きな体格に恵まれている、こういう、るるの条件を考えましても、いかに、体をすり減らすような修行をされたか、全く無理の修行を重ねて、させてしまった。非常に求道の友として、善知識として、本当にいい師匠であり、友でありましたが、それに任せて、自分の体の血気に任せて、次から次へと無理を重ねさせてしまった。
こういうことを考えますときに、もう感慨無量でございます。