心が変われば世界が変わる
―一念三千の現代的展開―(25)
立正佼成会会長 庭野日敬
仏を見たいという願い
対象の実在を信じなければ
私共素朴な信仰者としては、霊的存在としての仏さまが、確かにわれわれの身の回りにいらっしゃることを信ずる……と前回に書きました。こうした確信がなければ、仏教も単なる哲学であり、あるいは道徳の教えに過ぎず、われわれの魂を根底から揺り動かし、人生を変える強い力とはならないでしょう。
竹中信常博士(大正大学教授)も、その近著『仏教―心理と儀礼―』の(見仏の心理)という章の中で、次のように述べておられます。
「いかなる宗教といえども、それが宗教であるためには、そこに信仰対象として何等かの形での神的存在がなければならず、信仰度の深まりは信仰対象の実在性を強める」
「古来、仏教は理性の宗教と呼ばれているが、その半面に実在論的な信仰をもつことは、そのこと自体、仏教が生きた信仰実質を尊重したからであり、またそれゆえにこそ、生活経験と密着した宗教としての生命を持続したのである」
「このように、信仰対象の実在ということは、宗教にあっては至重の事柄であり、哲学的証明による実在の把握より、自己の生々しい体験として感覚的にこれをとらえることが、信仰教化にどれだけ有効であるか論を要しない」(傍点庭野)
仏を見んと欲する篤信者
古来の熱心な信仰者は、この最後の引用文にあるように、信仰対象の実在を自己の生々しい体験として感覚的にとらえることを一つの念願としていました。それは、法華経寿量品の「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜まず」、観普賢経の「普賢菩薩の色身を見んと楽(ねが)わん者、多宝仏の塔を見たてまつらんと楽わん者、釈迦牟尼仏及び分身の諸仏を見たてまつらんと楽わん者云々」等、仏典の至る所に無数に見ることができます。
現在でも天台宗の行者は、それを自らの信仰の証(あかし)の一つとして願っているようで、作家の瀬戸内寂聴さんが出家して六十日間の行を終えたあと『文芸春秋』(昭和48・8)に寄せられた(荒行の比叡をおりて)という文章の中にも、そのことが明らかに記されています。「音にきこえた三千仏の礼拝は無我夢中のうちにやりとげてしまった。過去仏千体、現在仏千体、未来仏千体の名をとなえながら、五体投地礼を三千回するのである。朝の五時から夕方の六時過ぎまで続けて、ようやく終る頃、仏が見えると聞いていたが……」瀬戸内さんはついに見ることができなかったそうです。
見なくても起こる信とは
しかし、その瀬戸内さんも、六十日目には次のような体験をされたのでした。「いよいよ結願の日最後の護摩火が、いきおいよく火の粉をはじきながら天井をめがけて火竜のようにかけのぼったとき、思わず胴震いして涙がふきこぼれてきた。二ヵ月の行中、私はついに仏を見ることはなかったが、その一瞬、我身即本尊、本尊即我身の観想が炎の中に凝縮し、火炎を背負った青黒(しょうこく)の不動明王の中にわが身がすいこまれて行く経験をした」。
これも非常に尊いことで、神人合一というか、仏とわれとの合体というか、そういう境地を感覚的に生々しい体験されたわけです。信仰というものは理屈ではなく、体験の世界であることが、こういう告白からもよく納得されることと思います。そして、修行した人ならば、「なるほど、そういうこともあり得るだろう」と、素直にうなずけるはずです。
前記の竹中博士の著書の中に、明治初年の有名な思想家・綱島梁川(りょうせん)の次のような言葉が引用されています。難しい文語体なので口語に意訳しますと、
「われわれが神を信ずるといいながらも、内心を顧みて、どことなくその信念が充実していないように感ずることがあるのは、目(ま)のあたり神を見たことがないからではあるまいか」……まことに、その通りだと思います。いわゆるインテリ信仰者の心の底にある嘆きでありましょう。次に、
「まだ神を見たことはなくても(信)は起こる。しかし、そうした(信)も、幾分か見たものが根底となっているのではなかろうか」とあります。見ないものを信ずるその(信)も、見たに準ずる心的経験を根底としているのだ……という意味だと思います。瀬戸内寂聴さんの結願の日の体験もそうでしょうし、親鸞上人が、たとえ師のおおせに従って念仏して地獄に落ちようともかまわない……というほど法燃上人を信じ切ったのも、やはり、師の中に間接的に仏を見たからにほかならないといえましょう。(つづく)
仏の頭部(パキスタン)
絵 増谷直樹
―一念三千の現代的展開―(25)
立正佼成会会長 庭野日敬
仏を見たいという願い
対象の実在を信じなければ
私共素朴な信仰者としては、霊的存在としての仏さまが、確かにわれわれの身の回りにいらっしゃることを信ずる……と前回に書きました。こうした確信がなければ、仏教も単なる哲学であり、あるいは道徳の教えに過ぎず、われわれの魂を根底から揺り動かし、人生を変える強い力とはならないでしょう。
竹中信常博士(大正大学教授)も、その近著『仏教―心理と儀礼―』の(見仏の心理)という章の中で、次のように述べておられます。
「いかなる宗教といえども、それが宗教であるためには、そこに信仰対象として何等かの形での神的存在がなければならず、信仰度の深まりは信仰対象の実在性を強める」
「古来、仏教は理性の宗教と呼ばれているが、その半面に実在論的な信仰をもつことは、そのこと自体、仏教が生きた信仰実質を尊重したからであり、またそれゆえにこそ、生活経験と密着した宗教としての生命を持続したのである」
「このように、信仰対象の実在ということは、宗教にあっては至重の事柄であり、哲学的証明による実在の把握より、自己の生々しい体験として感覚的にこれをとらえることが、信仰教化にどれだけ有効であるか論を要しない」(傍点庭野)
仏を見んと欲する篤信者
古来の熱心な信仰者は、この最後の引用文にあるように、信仰対象の実在を自己の生々しい体験として感覚的にとらえることを一つの念願としていました。それは、法華経寿量品の「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜まず」、観普賢経の「普賢菩薩の色身を見んと楽(ねが)わん者、多宝仏の塔を見たてまつらんと楽わん者、釈迦牟尼仏及び分身の諸仏を見たてまつらんと楽わん者云々」等、仏典の至る所に無数に見ることができます。
現在でも天台宗の行者は、それを自らの信仰の証(あかし)の一つとして願っているようで、作家の瀬戸内寂聴さんが出家して六十日間の行を終えたあと『文芸春秋』(昭和48・8)に寄せられた(荒行の比叡をおりて)という文章の中にも、そのことが明らかに記されています。「音にきこえた三千仏の礼拝は無我夢中のうちにやりとげてしまった。過去仏千体、現在仏千体、未来仏千体の名をとなえながら、五体投地礼を三千回するのである。朝の五時から夕方の六時過ぎまで続けて、ようやく終る頃、仏が見えると聞いていたが……」瀬戸内さんはついに見ることができなかったそうです。
見なくても起こる信とは
しかし、その瀬戸内さんも、六十日目には次のような体験をされたのでした。「いよいよ結願の日最後の護摩火が、いきおいよく火の粉をはじきながら天井をめがけて火竜のようにかけのぼったとき、思わず胴震いして涙がふきこぼれてきた。二ヵ月の行中、私はついに仏を見ることはなかったが、その一瞬、我身即本尊、本尊即我身の観想が炎の中に凝縮し、火炎を背負った青黒(しょうこく)の不動明王の中にわが身がすいこまれて行く経験をした」。
これも非常に尊いことで、神人合一というか、仏とわれとの合体というか、そういう境地を感覚的に生々しい体験されたわけです。信仰というものは理屈ではなく、体験の世界であることが、こういう告白からもよく納得されることと思います。そして、修行した人ならば、「なるほど、そういうこともあり得るだろう」と、素直にうなずけるはずです。
前記の竹中博士の著書の中に、明治初年の有名な思想家・綱島梁川(りょうせん)の次のような言葉が引用されています。難しい文語体なので口語に意訳しますと、
「われわれが神を信ずるといいながらも、内心を顧みて、どことなくその信念が充実していないように感ずることがあるのは、目(ま)のあたり神を見たことがないからではあるまいか」……まことに、その通りだと思います。いわゆるインテリ信仰者の心の底にある嘆きでありましょう。次に、
「まだ神を見たことはなくても(信)は起こる。しかし、そうした(信)も、幾分か見たものが根底となっているのではなかろうか」とあります。見ないものを信ずるその(信)も、見たに準ずる心的経験を根底としているのだ……という意味だと思います。瀬戸内寂聴さんの結願の日の体験もそうでしょうし、親鸞上人が、たとえ師のおおせに従って念仏して地獄に落ちようともかまわない……というほど法燃上人を信じ切ったのも、やはり、師の中に間接的に仏を見たからにほかならないといえましょう。(つづく)
仏の頭部(パキスタン)
絵 増谷直樹