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仏教者のことば(38)
立正佼成会会長 庭野日敬

 広大な宇宙と矮少(わいしょう)な自分とは、同じ一つの道、地続きだということを体得するがよい。
 沢木興道・日本(禅とは何か)

宇宙と自分は地続き

 沢木興道老師は、一生のあいだ寺も持たず、妻もめとらず、「宿なし興道」と自称していた。現代には珍しい古心の禅者でした。しかも、その講話は、平常の言葉で仏教の神髄をズバリと衝く、分かりやすく、感銘深いものでしたので、若い人たちもこぞってその席に参じたものでした。
 右に掲げたのは『証道歌』という中国の永嘉大師の詩(詩の形を取って禅とは何かを説いたもの)を講義された中の一句です。広大無辺の宇宙とちっぽけな自分とが地続きであることを悟れというのですが、この「地続き」という平易な言葉がじつによく効いています。老師は右の句に続いて、こう話しておられます。
 「自分だけの満腹、自分だけの喜び、他人にかくれてやるひそかな愉(たの)しみ、これは決してよいものではない。自分の本心はほんとうに喜んではいないのである。これは、われと一切衆生とが地続きになっているということを考えない人々である」
 この傍点を打った部分をよくよく味わうべきだと思います。自分本位の考えや行動は、表面の心では喜びや愉しみを感じているようだけれども、かくれた所にあるほんとうの心、すなわち一切衆生と地続きになっている心は、じつは喜んでいないのだ……というのです。それならば、その本心の喜びはどこにあるのか……。これが大乗仏教のかかえている大命題なのです。

心の面でも地続きだ

 この地続きということは、生命の維持という点ではだれしも納得がいくことと思います。われわれが何を呼吸し、何を念じて生きているのか、それはだれが供給してくれているかを、奥へ奥へとたどって考えてみますと、われわれが天地万物に生かされていることがしみじみと分かります。
 では、心というものの面ではどうでしょうか。ペットを飼っている人は、動物と人間との心の通い合いがよく分かるはずです。植物との間に心のつながりがあるかどうかは、普通では分かりかねます。しかし、特殊な実験によってそれを探り当てた人がいます。
 ニューヨークの嘘発見検査官養成学校の校長クライブ・バクスター氏は、ふと思いついてドラセナという観葉植物に、嘘発見器をセットしてみました。そして、何かドラセナに刺激を与えなくてはと思い、「よし火をつけてやろう」と考えたそうです。すると、とたんにメーターの針がピクリと動いたのです。これによって植物にも心があることを知り、それから積極的に研究し始めました。
 例えば、部屋の中にあるいろいろな植物を、一人の男に棒でビシビシたたいて回らせました。それから、数人の人を一人ずつその部屋に入らせ、最後に例の男を入らせました。すると、それまで少しも動かなかったメーターの針が、ものすごく揺れ動いたのでした。この実験でも分かるように、植物にも確かに心があるのです。
 無生物については確かめようもありませんけれども、宇宙意志があらゆるものにこめられていることから考えれば、その宇宙意志に添うように、人間は無生物とも仲よくし、酷使やムダ遣いはやめなければなりますまい。
 要するに、広大な宇宙とその中の自分とは同じ一つの道の中にあり、地続きなのだ……と悟ることは、われわれの人生も大きく変えるものだと知るべきでしょう。
題字 田岡正堂

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