全ページ表示

1ページ中の 1ページ目を表示
仏教者のことば(29)
立正佼成会会長 庭野日敬

 道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし。
 伝教大師最澄・日本(遺誡十五個条)

万人に通ずる生活意識

 比叡山延暦寺を建て、法華経を中心とした日本仏教の源流となられた伝教大師は、ご自分の寿命がもはやあまり長くないと悟られた時、弟子たちのために十五個条の遺誡(かい)を定められました。右は、その中で最も有名な一条です。
 心の底から仏の教えを信じ、仏道を世に広めていこうという決意さえ持っておれば、日常生活の資は必ず調(ととの)ってくるものである。反対に、いい衣(ころも)を着たい、うまい物を食べたいといった物質生活に心を引かれていたのでは、仏道に帰依する心も、世の人々をその教えに導きたいという情熱も、しだいに薄れてしまうのだ。くれぐれも気をつけなさい……というのです。
 これは、出家の弟子たちに与えられた戒めではありますけれども、在家の信仰者にもそっくりそのまま当てはまるものです。いや、信仰を持たぬ普通人にとっても、やはり大事な心がけだと思うのです。つまり、道理にかなった、正しい心を堅持していさえすれば、衣食の道は必ず通じてくるのです。事実そのとおりであって、わたしどもの会員の方々の生活がそれを実証しています。そのような人ほど暮らしが幸せになるのは、まったく不思議なほどです。
 反対に、きれいな着物を着たい、ぜいたくな料理を食べたい、立派な家に住みたい……といったことばかりに心を奪われている人は、そのためにいつもあくせくした気持でいます。そのような望みが百パーセントかなえられるはずはありませんから、つねに欲求不満をいだいてイライラしたり、人をうらやんだり、ほんとうの心の安らぎは得られないのです。
 その程度にとどまっているうちはまだいいのですが、ともすればそれが高じて無理な借金をしたり、汚職に走ったり、詐欺的な商売をしたりして、自分自身を破滅させるばかりでなく、家族をも泣かせ、多くの人々にも迷惑をかけてしまうのです。まことに、「衣食の中に道心なし」なのであります。

真の人間は霊性に生きる

 中国の管子(かんし)のことばに「衣食足って礼節を知る」というのがありますが、これは常識的な観察であって、宇宙の真理とか、神仏の実在とか、それらと人間の霊性とが深くかかわり合っているという所まで、踏み込んではおりません。右の伝教大師の言葉には、そうした深い真実がこもっていることを知るべきです。
 同じ中国のことばでも、「天道人を殺さず」のほうが、はるかに胸の奥に響くものがあります。自らも正しく生き、他に対しても愛情をもって尽くすような人間を、天がほうっておくようなことはないのだ……というのです。霊性に生きようと志す者の勇気を鼓舞する言葉であり「道心の中に衣食あり」と相照らす名言だと思います。
 イエス・キリストの「人はパンのみに生くるものにあらず」という言葉もそれに匹敵する金言です。イエスが荒野の中で試練に合ったとき、堪えきれぬほどの空腹に苦しんでいました。
 その時悪魔が現れて「なんじがもし神の子ならば、この石をパンに変えてみよ」と言い、イエスを物への誘惑で堕落させようと試みました。それに対して決然と言い放(はな)たれたのがこの言葉です。
 東の人も、西の人も、みんな同じです。ほんとうの人間らしい人間は、物よりも心で生きるのです。これは聖者・高僧ばかりではありません。われわれ庶民も、ギリギリのところではそうでなくてはならないのです。
題字 田岡正堂

関連情報