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仏教者のことば(10)
立正佼成会会長 庭野日敬

 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。
 良寛和尚・日本(山田杜皐への手紙)

徹底的に純粋な人

 日本人はみんな良寛さんが好きです。それは、かくれんぼをしているうちに、日が暮れて子供たちがみんな帰ってしまったのに、まだ物かげにかくれていたというような、浮世離れした純粋さに引かれるのでしょう。
 子供の時からそんな人だったらしいのです。ある時、父親に叱られて、上目使いに父親の顔を見上げたのに対して、父親は冗談に、「親をにらむようなやつは、カレイになるぞ」とおどかしたところ、カレイになったらひとりで冷たい海に住まなければならないと大変心配し、裏手の海岸の岩の上に立って、泣きながら海を見つめていたといいます。日が暮れても帰って来ないので、探しに出た母親が栄蔵(幼名)をみつけて抱きかかえると、栄蔵は「お母さん、おれはまだカレイになっとらんかえ」と聞いたそうです。
 私塾に通って漢字を勉強し、十八歳のとき名主だった父親の跡を継ぐために名主見習役になりました。たまたま代官と漁民たちの間に争いが起こり、その仲裁をしなければならなくなったとき、代官に対しては漁民の悪口・雑言をそのまま上申し、漁民たちには代官の罵りや嘲りをそのまま伝えたので、調停はますます困難になりました。そこで、自分はこのような役目には向かない人間だと悟り、すぐさま出家したのだと伝えられています。この話にも、嘘のつけない純粋な人柄がしのばれます。
 その後、備中の円通寺の国仙和尚を慕って行き、弟子となりましたが、そこでの修行ぶりは努力また努力の素晴らしいものだったそうです。

苦もおおらかに受け取る

 また、諸国行脚ののち、越後に帰って山中の五合庵で暮らしていた時も、仏典を読み、漢詩を作り、和歌を詠み、一面ではたいへんな勉強家だったわけです。
 良寛さんの愉快な逸話だけを聞くと、いかにもノンビリした生活をしておられたようですが、必ずしもそうではなく、吹雪が数日も続く冬のさ中など、草葦きの小さな草庵に閉じこめられた暮らしは、寒さと飢えがこもごも迫り、文字通り死と隣り合わせの生活だったのです。このことを見忘れてはなりません。
 ここに掲げた文章は、三条に地震があったとき、親しく交わっていた山田杜皐(とこう)という人へ出した手紙の一節ですが、ほかの人が言ったのでは「非情な言い分だ」という批判も成り立つでしょうけれども、良寛さんの心情の吐露だということになると、なるほどと納得できるから不思議です。
 つまり、「人間いい時ばかりはありはしない。災難に遭うこともあろうし、病気にかかることもある。そして、いつかは必ず死ぬのである。そんな時に、驚き騒いだり、悶々と悩んだり、嘆き悲しんだりすれば、かえってその災難の傷を深くし、病を重くし、死んでも死に切れぬ思いをするばかりだ。
 だから、『世の中というものはこんなものなんだ』と、おおらかに、素直に受け取ればいいのだ。そうすれば、大難も気持の上では小難ですみ、病気とも仲良しになって楽な養生ができ、死ぬのも恐ろしくなくなるのだ」という意味でありましょう。
 とにかく、大難・小難の渦巻く今の世の中にあっても、良寛さんのこの言葉を読むと、とたんにホッとする思いがするから、じつに有り難いことです。
題字 田岡正堂

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