仏教者のことば(9)
立正佼成会会長 庭野日敬
愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり。
道元禅師・日本(正法眼蔵・菩提薩埵四摂法巻)
慈心から出た言葉こそ
愛語というのは慈愛のこもった言葉ということです。廻天のちからというのは、時勢を一変する働きということです。言葉というものは偉大な力を持つもので、聖書にも「初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」(ヨハネ伝一・一)とあるくらいです。
われわれの人生においても、ある一言がその人の一生の転機となることが多々あります。ですから、仏教においても、この愛語ということを非常に強く教えているのです。
愛語といっても、ただベタベタした口先の愛の言葉ではありません。その人を幸せにしたいという慈悲心からほとばしり出た、真実の語でなくてはならないのです。そうでなくては、相手の心の琴線に触れ、それを共鳴させる力はないのです。道元禅師のこの語の前にも、こう述べられています。
「むかいて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。むかわずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり」
母の愛語に廻天の力
ここに、面と向かって聞く愛語も嬉しいものだが、面と向かわずに洩れ聞いた愛語も、深く心に刻みつけられるものだ、とあることに注目しなければなりますまい。
スウェーデンのハンス少年は文章を書くのが好きでした。十一歳のとき戯曲らしいものを書いて、だれかれとなく読んで聞かせましたが、だれも褒めません。隣の小母さんに至っては、「そんなへたなもの、聞いている暇なんかないよ」と、途中で台所へ行ってしまいました。
ガッカリしたハンスが泣いていると、お母さんが花壇の所へ連れて行き、「咲いている花もきれいだけど、土から出たばかりのこの芽を見てごらん。みずみずしくて元気そうじゃないの。おまえはこの芽みたいなものなんだよ。やがてズンズン大きくなってきれいな花を咲かせるのは間違いないのだから、さあ、元気を出して好きなものをどんどん書きなさい」と励ましてくれました。
このハンス少年こそが、後日『マッチ売りの少女』その他の名作で世界中の何千万という子供達の魂を育てた童話作家ハンス・アンデルセンにほかならないのです。アンデルセンは、何かといえば、「あの花壇での母の言葉は有り難かった」と話していたそうです。
それでは「むかわずして愛語をきく」ことによる感銘の例を挙げましょう。イタリアのオーガスチンは、青年時代不良の仲間に入り、毎晩大酒を飲んでいました。ある晩ひどく酔っ払って帰り、いさめようとする母親を足蹴にして自室に入り、寝込んでしまいました。
暁近くフト目を覚ました彼は、母親の部屋から灯が洩れているのに気づき、ドアの隙からのぞいてみますと、母親はこう言って神に祈っていたのでした。「神さま。あの子はほんとうはいい子でございます。十九歳になるまでは心やさしい子でございました。わたくしの余生はどうなってもよろしいですから、どうぞあの子を元のような立派な子にもどしてくださいませ」。
それを洩れ聞いたオーガスチンは、たちどころに本心を取り戻しました。それからの精進はめざましく、後年ついにローマ法王に選ばれたばかりか、キリスト教神学史上最大の思想家といわれるまでになったのでした。洩れ聞いた母の愛語が、まさしく廻天のちからを持っていたのでした。
題字 田岡正堂
立正佼成会会長 庭野日敬
愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり。
道元禅師・日本(正法眼蔵・菩提薩埵四摂法巻)
慈心から出た言葉こそ
愛語というのは慈愛のこもった言葉ということです。廻天のちからというのは、時勢を一変する働きということです。言葉というものは偉大な力を持つもので、聖書にも「初めに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」(ヨハネ伝一・一)とあるくらいです。
われわれの人生においても、ある一言がその人の一生の転機となることが多々あります。ですから、仏教においても、この愛語ということを非常に強く教えているのです。
愛語といっても、ただベタベタした口先の愛の言葉ではありません。その人を幸せにしたいという慈悲心からほとばしり出た、真実の語でなくてはならないのです。そうでなくては、相手の心の琴線に触れ、それを共鳴させる力はないのです。道元禅師のこの語の前にも、こう述べられています。
「むかいて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。むかわずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり」
母の愛語に廻天の力
ここに、面と向かって聞く愛語も嬉しいものだが、面と向かわずに洩れ聞いた愛語も、深く心に刻みつけられるものだ、とあることに注目しなければなりますまい。
スウェーデンのハンス少年は文章を書くのが好きでした。十一歳のとき戯曲らしいものを書いて、だれかれとなく読んで聞かせましたが、だれも褒めません。隣の小母さんに至っては、「そんなへたなもの、聞いている暇なんかないよ」と、途中で台所へ行ってしまいました。
ガッカリしたハンスが泣いていると、お母さんが花壇の所へ連れて行き、「咲いている花もきれいだけど、土から出たばかりのこの芽を見てごらん。みずみずしくて元気そうじゃないの。おまえはこの芽みたいなものなんだよ。やがてズンズン大きくなってきれいな花を咲かせるのは間違いないのだから、さあ、元気を出して好きなものをどんどん書きなさい」と励ましてくれました。
このハンス少年こそが、後日『マッチ売りの少女』その他の名作で世界中の何千万という子供達の魂を育てた童話作家ハンス・アンデルセンにほかならないのです。アンデルセンは、何かといえば、「あの花壇での母の言葉は有り難かった」と話していたそうです。
それでは「むかわずして愛語をきく」ことによる感銘の例を挙げましょう。イタリアのオーガスチンは、青年時代不良の仲間に入り、毎晩大酒を飲んでいました。ある晩ひどく酔っ払って帰り、いさめようとする母親を足蹴にして自室に入り、寝込んでしまいました。
暁近くフト目を覚ました彼は、母親の部屋から灯が洩れているのに気づき、ドアの隙からのぞいてみますと、母親はこう言って神に祈っていたのでした。「神さま。あの子はほんとうはいい子でございます。十九歳になるまでは心やさしい子でございました。わたくしの余生はどうなってもよろしいですから、どうぞあの子を元のような立派な子にもどしてくださいませ」。
それを洩れ聞いたオーガスチンは、たちどころに本心を取り戻しました。それからの精進はめざましく、後年ついにローマ法王に選ばれたばかりか、キリスト教神学史上最大の思想家といわれるまでになったのでした。洩れ聞いた母の愛語が、まさしく廻天のちからを持っていたのでした。
題字 田岡正堂