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経典のことば(28)
立正佼成会会長 庭野日敬

直心(じきしん)はこれ菩薩の浄土なり。
(維摩経・仏国品)

素直なものに苦悩はない

 前回には、「浄土は現実社会にこそ建設されなければならない」という維摩経の根本思想について述べましたが、お釈迦さまはそれに続いて、人間がどんな心を持てば幸福になれるか、この世を浄土化することができるかについて、箇条的にお説きになりました。その第一条が標記のことばです。
 直心というのは、一口に言って、素直な心です。何に対して素直であるかといえば、自分を生かしている大いなるいのちに対して素直なのです。大自然の摂理に対して素直なのです。
 インドの古典であるウパニシャッドの中に「神は鉱物の中に眠り、植物の中で目ざめ、動物の中で歩き、人間の中で思惟する」ということばがあるそうです。
 神(宇宙の大いなるいのち)はこの世のありとあらゆる存在の中に宿っているのです。しかし、無生物はもちろんその真実を知りません。知らないから、ただ大自然の摂理のままに流転していきます。たとえば、水は温められれば水蒸気となって大気の中に溶けこみ、その中で冷やされれば雨となって降ってきます。もっと冷やされれば氷となります。完全に素直です。
 植物となれば、ほんの少しばかり「生きる意志」というものが目ざめてきます。そして自ら生きるいとなみをします。しかし、一定の場所から移動することはできません。ですから、これも大自然のなすがままに素直に生死を繰り返します。
 動物ともなれば、「生きる意志」がはっきりしてきます。自らの意志でさまざまな行動をするようになります。
 しかし、(人間以外の)動物には本能以上の欲望はなく、これまた大自然の摂理に逆らうことなく生き、そして死んでいきます。
 したがって、植物はもちろん、人間以外の動物には悩みというものがありません。苦痛はあっても、それを思い悩むことがないのです。

知恵を絶対者の方向へ

 それに対して人間はどうでしょうか。素晴らしく発達した創造力と、他の動物とは比較にならない自由自在な行動力を持っているのに、いっこう幸福にはなれません。文明が進めば進むほど、人々の不安・焦燥・嫉妬・猜疑・抑圧・欲求不満その他さまざまな苦悩が増大しています。
 あまりにも暮らしを楽にしようというわがままから、限りある地球の資源を枯渇させ、自然をいじくり、大気を汚染したために、恐ろしい気象異変が起こり、酸性の雨が降り、この面からも生命の危険におびやかされつつあります。
 つまりは、大自然の摂理というか、神仏のみ心というか、そういう絶対の存在に対する素直さがなくなったために、自分で自分の首を絞めつつあるのが、現在の文明社会の人間の生きざまなのです。
 かといって文明の逆もどりは不可能でしょう。しかし、自制ということは可能です。もうここいらへんで大自然への反逆はおしまいにしたいものです。人間の中にある「神の思惟」に目ざめたいものです。
 大自然に生かされているからには、「生かされているように生きよう」という素直な心に返りたいものです。人間の素晴らしい創造力もそういった方向へ百八十度の転回をさせたいものです。そのことを教えられたのが標記のことばだと思うのです。
題字と絵 難波淳郎

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