法華三部経の要点 ◇◇21
立正佼成会会長 庭野日敬
人を仏道に導く順序は
一大事の因縁を以ての故に
方便品の大きな要点の一つに「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう」という一句があります。
「一大事の因縁」というのは「一つの大事な目的」ということです。では、その目的は何かといえば、「すべての人に仏知見を開かしめ、仏知見を示し、仏知見を悟らせ、仏知見を成就する道に入らせることである」と説かれています。
仏知見というのは、この世のあらゆるものごとの実相を見きわめる智慧のことですが、これを大づかみにいえば、すべてのものごとの本質の平等性と、さまざまな現象として現れている現実の相(すがた)を、ありのままに、そして、明らかに見通す智慧だと言っていいでしょう。
仏さまの側からいえば、そのような智慧をすべての人間に完成させることが、仏さまがこの世にお出ましになられた一大事の因縁ですが、われわれの側からいえば、そのような智慧を身につけることがこの世に生まれてきた一大事の因縁だといえます。つまり、人生の真の目的はそこにあるのだというわけです。
人生を楽しむのもいいでしょう。せっせと稼いでお金をもうけるのもいいでしょう。しかし、この「人生の真の目的」を見忘れたり、ないがしろにしたりすれば、人間としての向上もなければ、社会の進歩もありえません。それどころか、みんなが欲望を限りなく肥大させ、自己本位の生きざまに走り、奪い合い、足の引っ張り合いの世界をつくりあげてしまいます。現在の世相がそうではないでしょうか。
人類がほんとうに幸せになるためには、どうしても先に述べたような「人生の真の目的」に目覚めることが不可欠の要件なのです。法華経が歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう=生まれ変わりを重ねながら菩薩行を続ける)をも説く理由はここにあるのです。
開・示・悟・入の順序
それでは、この一大事の因縁である「開・示・悟・入」について説明いたしましょう。
「開」というのは、仏の智慧に眼を開かせることです。これまでそんなことに無関心だった人に「気づかせる」ことです。より高い、より尊いものに「気づく」ということが、進歩・向上の出発点となるのです。
「示」というのは、仏の智慧の実際を示すことです。たとえば、仏さまの説かれた縁起の法則を実際に起こったある例証によって示せば、初心の人も「そんなものかなあ」と心を動かすようになります。それが第二の段階です。
「悟」というのは、第二の段階からさらに進んで「なるほど」と心の底から納得する段階です。
そこでいよいよ「入」という段階へ進むのです。すなわち仏の智慧を成就するための修行に入るわけです。ご宝前で読経する。唱題する。経典の解説書を読む。その内容についていろいろ考えをめぐらす。説法を聞く。法座に参加したり、明るい社会づくりのためのさまざまな集会に出席する。みんなそのための修行です。そして、他の人を仏道に導く菩薩行へと進む。このような実践によってこそ、目覚めへの道は完成へと近づいて行くのです。
この順序は、世の万事に応用できる基本的なセオリー(理論)です。たとえば、緑の保存についても、そんなことに無関心な人にまず文書その他の方法でその大切さに気づかせること(開)が出発点です。そしてアフリカや東南アジアなどの実情を示せば、「このままでは地球が危ない」と心底から悟ります。そこで、その危機を救う実践(たとえば、本会で実行しているクズの種を中国に送る運動など)へと入らせるのです。
このように、開・示・悟・入は、現代語で表現すれば「啓発・例示・了解・実践」ということになり、すべてのキャンペーンに通ずる大法則なのです。