全ページ表示

1ページ中の 1ページ目を表示
人間釈尊(69)
立正佼成会会長 庭野日敬

これが最後の眺めであろう

重き病を克服されて

 ガンジス河を北へ渡られたお釈迦さまの一行は、ヴェーサーリー(毘舎離)の都の近くに足をとどめられました。
 かつてこの一帯に疫病が流行したとき、お釈迦さまを招請して祈願して頂いたところ、たちまちその疫病が終息したので、ヴェーサーリーの人々はとくに世尊に感謝し、帰依し、その教えを聞くことを喜びとしていました。お釈迦さまもしばしばここを訪れられ、法をお説きになった懐かしい土地です。
 今度この地に来られたとき、雨期が始まりました。前にも書いたように、雨期の約三カ月のあいだは道も田畑も水びたしになり、旅をすることはできません。そこで一ヵ所にとどまって、いわゆる夏安居(げあんご)という修行をするのが教団のしきたりになっていました。
 ところが、この年はあいにくたいへんな凶作で村々は食糧不足に苦しんでいました。そこでお釈迦さまは、比丘たちをヴェーサーリーの知人の家に分宿させ、ご自分は阿難と共にヴェルヴァーナ(竹林)という村で夏安居に入られたのでした。
 もちろんこの村も食糧に困っており、ついには馬の飼料を召し上がらねばならなくなりました。おそろしい暑熱と湿度の高い季節でもあり、ひどく胃腸をそこなわれ、死ぬほどの苦しみをなさいました。しかし世尊は、比類のない精神力をもってその重病を克服されたのです。ホッとした阿難が、
 「ああ、世尊のご病気が重くあらせられたときは、目の前が真っ暗になる思いでございました。ただ、教団の今後について何か遺言をなさらないうちは入滅されるはずがないと思っておりましたが……」と申し上げますと、
 「わたしはすでに余すところなく法を説いた。もうわたしを頼りにすることはない。これからは各自が自らを灯(ともしび)とし、自らを依りどころとし、法を灯とし、法を依りどころとして修行しなければならないのだ」
 と、有名な「自灯明・法灯明」の教えをお説きになったのでした。

象のごとく眺められた

 ある日、世尊は阿難を連れてヴェーサーリーの町に托鉢に行かれ、帰って食事をすまされると、
 「阿難よ。日中の休息をとるためにチャーパーラ霊樹のもとへ行こう」とおおせられました。そして、神聖な木といわれるその大樹の木陰に座具を敷いてお休みになりました。そのとき次のような感想を述べられたといいます。
 「阿難よ。ヴェーサーリーは楽しい。ヴデーナ霊樹は楽しい。バフブッタ霊樹は楽しい。チャーパーラ霊樹は楽しい」
 そしてまた、こうもおおせられたとあります。
 「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」と。(中村元著『ゴータマ・ブッダ』より)
 お釈迦さまはご入滅の日の近いのをハッキリ予知されていたそうですが、現世に対するこうした楽しく明るい、そして肯定的な回顧をなさったことに、あらためて深い感銘を覚えざるをえません。
 さて、いよいよヴェーサーリーを去られる日がきました。お釈迦さまは、象が眺めるように(と仏伝には記されている)ヴェーサーリーの町のたたずまいを眺めながら、おおせられました。
 「阿難よ。これはわたしがヴェーサーリーを見る最後の眺めであろう」と。
 これはまた、違った響きをもってわれわれの胸にしみこむ、人間味あふれるお言葉ではないでしょうか。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

関連情報