人間釈尊(50)
立正佼成会会長 庭野日敬
釈尊は名医でもあられた
栄養に細かい心遣いを
無量義経に、世尊を賛(たた)えて「医王・大医王なり、病相を分別し薬性を曉了して、病に随って薬を授け、衆をして薬を服せしむ」とあります。これは、心の病(煩悩)を治す名医だと解釈するのが普通ですが、じつは身体の病を治す名医でもあられたのです。そのことは経典のあちこちにたくさん記されています。その二、三例をあげましょう。
王舎城付近には「秋時病」といって、秋口に発生する一種の風土病がありました。主として消化器系統が侵されるのでした。比丘たちにもそれが発生しました。お釈迦さまが阿難に、
「阿難よ。どうもこのごろ、瘠せて顔色の悪い比丘が多くなったようだが、どうしたのだろうか」
とお尋ねになりますと、
「どうやら秋時病にかかっているようでございます。粥を飲んでも吐きます」
との答え。
「それはいけない。栄養をつけてやらなければなるまい。熟酥(じゅくそ=ヨーグルトの類)・酥(チーズの類)・植物油・蜜・糖などを取るように、そう言いなさい」
いつもは贅沢な食べ物として許されていなかったこれらの栄養食を、薬としてお勧めになったのでした。
ところが、教団の掟として食事は午前中に一回だけと決まっており、比丘たちはいっぺんにそれらの栄養食を食べたので、かえって吐いたりくだしたりしました。お釈迦さまは早速、
「病人は一日中いつでもよいから、欲しい時に少量ずつ食べるようにしなさい」
と命ぜられ、その後、戒律をそのように改められたといいます。
看護の心得五個条
ある時、一人の比丘が頭痛をわずらいました。蓄膿症によるものだったらしく、医者が鼻を洗おうとしましたが、どうもうまくいきません。
そこでお釈迦さまは、木や竹で潅鼻筒(かんびとう)という器具(おそらく世尊の発明か)を作らせ、それを用いて乳の油で鼻を洗わせられたといいます。その時、その液がなかなか鼻に入りません。そこでお釈迦さまは、
「頭のてっぺんを手でさするか、または足の親指をこすってごらん」
とアドバイスされたと、経典(四分律)に記されています。東洋医学でいう「経絡」をも心得ておられたのではないかと推測されます。
また、病人の看護についてもこまごまと指示されたことが、経典のあちこちに見えています。例えば、南伝大蔵経にはこうあります。
「比丘たちよ、次の五個条をよく行う者がよい看護人ということができる」
1、よく薬を調合する。
2、病気に適応した薬や食事を与える。
3、ただ慈心をもって看護し、余念を交えない。
4、大小便や嘔吐物を除くのを厭(いと)わない。
5、時に応じて法を説き、病者を慶喜させる(法悦を覚えさせる)。
お釈迦さまご自身がこのようにして病比丘を看護されました。とくに第5項によって病気が治った比丘も、数々あったといいます。
宗教の説法によって病人の心を安らかにすることは、最近になって末期のガン患者などにとって大事であると気づき、ホスピスなどで実行されるようになりましたが、お釈迦さまは二千五百年も前にすでに行われ、効果をあげておられたのです。
まことに「医王・大医王なり」はそのまま真実だったのです。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
釈尊は名医でもあられた
栄養に細かい心遣いを
無量義経に、世尊を賛(たた)えて「医王・大医王なり、病相を分別し薬性を曉了して、病に随って薬を授け、衆をして薬を服せしむ」とあります。これは、心の病(煩悩)を治す名医だと解釈するのが普通ですが、じつは身体の病を治す名医でもあられたのです。そのことは経典のあちこちにたくさん記されています。その二、三例をあげましょう。
王舎城付近には「秋時病」といって、秋口に発生する一種の風土病がありました。主として消化器系統が侵されるのでした。比丘たちにもそれが発生しました。お釈迦さまが阿難に、
「阿難よ。どうもこのごろ、瘠せて顔色の悪い比丘が多くなったようだが、どうしたのだろうか」
とお尋ねになりますと、
「どうやら秋時病にかかっているようでございます。粥を飲んでも吐きます」
との答え。
「それはいけない。栄養をつけてやらなければなるまい。熟酥(じゅくそ=ヨーグルトの類)・酥(チーズの類)・植物油・蜜・糖などを取るように、そう言いなさい」
いつもは贅沢な食べ物として許されていなかったこれらの栄養食を、薬としてお勧めになったのでした。
ところが、教団の掟として食事は午前中に一回だけと決まっており、比丘たちはいっぺんにそれらの栄養食を食べたので、かえって吐いたりくだしたりしました。お釈迦さまは早速、
「病人は一日中いつでもよいから、欲しい時に少量ずつ食べるようにしなさい」
と命ぜられ、その後、戒律をそのように改められたといいます。
看護の心得五個条
ある時、一人の比丘が頭痛をわずらいました。蓄膿症によるものだったらしく、医者が鼻を洗おうとしましたが、どうもうまくいきません。
そこでお釈迦さまは、木や竹で潅鼻筒(かんびとう)という器具(おそらく世尊の発明か)を作らせ、それを用いて乳の油で鼻を洗わせられたといいます。その時、その液がなかなか鼻に入りません。そこでお釈迦さまは、
「頭のてっぺんを手でさするか、または足の親指をこすってごらん」
とアドバイスされたと、経典(四分律)に記されています。東洋医学でいう「経絡」をも心得ておられたのではないかと推測されます。
また、病人の看護についてもこまごまと指示されたことが、経典のあちこちに見えています。例えば、南伝大蔵経にはこうあります。
「比丘たちよ、次の五個条をよく行う者がよい看護人ということができる」
1、よく薬を調合する。
2、病気に適応した薬や食事を与える。
3、ただ慈心をもって看護し、余念を交えない。
4、大小便や嘔吐物を除くのを厭(いと)わない。
5、時に応じて法を説き、病者を慶喜させる(法悦を覚えさせる)。
お釈迦さまご自身がこのようにして病比丘を看護されました。とくに第5項によって病気が治った比丘も、数々あったといいます。
宗教の説法によって病人の心を安らかにすることは、最近になって末期のガン患者などにとって大事であると気づき、ホスピスなどで実行されるようになりましたが、お釈迦さまは二千五百年も前にすでに行われ、効果をあげておられたのです。
まことに「医王・大医王なり」はそのまま真実だったのです。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎