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えー、ま、そういう、この、菩薩行というのは生きている。
 えー、知らずのうちに、口をかけておいた人が訪ねてきたと。そしてその方がお導きを始めたら、どんどんやると。妙佼先生なども「信仰して病気が治るならば」っていうようなことをいって、お医者さんに見放されたといって46歳、7歳ぐらいの年に、たいへん、自分の気持ちを痛めておった。そしてわたしが導きに行って、導いた。それで導いてしまするというと、不思議に、「おれは、わたくしは天理教をやっているんだと。天理教をやっているんで、拝んで治るくらいならもうとうに治っているはずだけれども、いっこうに治らないで、お医者さんがもう手をやいているんだ」と。
天理教という天の理を司るのには、地の理をちゃんと歩まなけりゃならないんだと、ということをわたしがいいますると、「地の理とは何だ」という。地の理というのは、自分が生まれてきたのは、きょうも日鑛が縷々(るる)述べておられましたが、親から生まれてきたんだ。そのまた親は先祖さまだ。だから先祖供養を何でもないようですけれども、わたくしどもは毎日、朝な夕なに先祖供養を一生懸命でやっているというのは、地の理を誤らんように進もうとしているわけだ。
 その、地の理というのは先祖の供養。「先祖の供養はどうすればいいんだ」という、いうから、先祖の、ちゃんとお戒名を、夫婦は、親子は1世、夫婦は2世という、その2世の契(ちぎ)りというんだから、夫婦になるのには、もう前世から因縁が決まっておったんだと。その因縁によって今世夫婦になっている。その2世の契(ちぎ)りのなかから子どもが生まれてくるんですから、この先祖からの順序次第を、地の理を完璧に歩まなけりゃならないんだと、という話をしましたら、それで自分でその気になって、自分の里、だんなさまの里、うー、うちへ、早速、埼玉県の自分の実家のほうへ、両ほうへお手紙を出して、そして戒名を集めて、信仰を、過去帳にのせて信仰を始めた。
 そうしましたら、子宮内膜炎で出血をしている、胃下垂でもう腹が非常に苦しくてしょうがないという、そういう状態なのが、出血がもう1週間でぴったり止まった。そうしますると胃下垂も気分的に治ってしまった。そして有り難くて、地の理とは素晴らしいことだというので、え、来る人来る人に、自分でもう真剣になって話を聞かせる。そしてまた、さっきも申し上げましたように岡島さんじゃありませんが、惜しげなしにもう自分のある物は何でも、自分の、あしたはもうそれあげてしまったらなくなるなと思っても、思い切ってこう人さまに施しができる人。そういう人だったから、もうどんどんどんどん、わたし以上に妙佼先生の導きの数(かず)が増えていく。

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