真心の万灯、法の道を照らす
本部を中心にして、新宿あたりからやっていこうかということもあったのでありますが、最近では、そういうことはできないので、地元の杉並警察、中野警察の特別のおはからいを得まして、ご協力を頂きまして、私どもの行列のために道路をあけて頂いたのです。大衆の歩く道を四時間も独占して行列をやろうというのですから、これは大変なことでございます。そういうことを認めて頂いているという私どもの行事というものも、神さまのおはからいばかりでなしに、この地上の凡夫のいろいろの約束事も実ってこないと、お会式の万灯行列さえ、なかなか不可能な時代であり、そういう時代苦があるわけです。そういうことを皆ふみ越えて、また皆さまのご協力を頂いて、万灯行列ができるのです。
万灯ということも、ご承知のように、お釈迦さまのお通りになる道で、夜足下を照らすために万灯をつけたというのです。その万灯も、お金のある人は立派な万灯を飾られたのであります。ところが、たまたまお釈迦さまがお通りになろうとする一番大事なところへきて、風が吹いて立派な万灯がみんな消えてしまったのです。でも、お釈迦さまのために何かさせて頂きたいということで、自分の髪を売ってわずかの油をともしたという貧女の一灯だけは消えなかったというのです。貧女の一灯という言葉はそこから生まれたというのでありますが、これは信心による真心でなければ、仏さまはお受け取りにならないということを強く教えているわけであります。
そしてその真心というものは、何もない人が命の次に大切にしているような女の髪を切って、おしげもなく油にかえたのであり、その油の灯は大風が吹いても消えなかったというわけで、その貧女の一灯をも含めた、ご法の道を照らす万灯であります。これが、万灯行列というものができた一つの機縁でございます。そういう意味から私どもは、お互いさまに仏さまに帰依する、三宝に帰依する真心で万灯行列をし、そもてその万灯行列に意気揚々とその若人が威勢よく歩く、そのような自信満々で、あの浮き上がるような大感激でもって行進するという、そういう万灯行列が行なわれるわけでございます。
これもやはり、東京に池上本門寺というのがあるのですが、そこは日蓮聖人が一生涯を閉じた霊場となったわけでありまして、そこを中心に、東京の威勢のいい方が万灯行列をするというようなことが生まれてきたわけであります。そういう伝統にあやかって始めたこの万灯行列が、もう二十八年を数えたということであります。