身延山と門下協議会
昭和二十四年という、その時を聞きますと、二十三年頃から私が身延山に、お題目を唱える者がまず一つになって仏教の統一をはかるべきではないかと、それには、とりあえずお題目を唱える者、法華経を所依の経典とする者が一つになろうじゃないか、そうすべきじゃなかろうかと提案したのであります。身延山でも、それはまことに結構なことだということで、賛成であったわけです。それで霊友会から別れた方など、妙智会、仏所護念会にも勧誘いたしまして、それで日蓮門下が一つ協議会としてできたのです。それが二十四年でございました。
それまでは、霊友会から別れて私どもは佼成会を形成して、その影響で、それほど日蓮というものを打ち出すよりも、ある意味では釈迦宗というような言葉で、日蓮聖人をそれほど重きを置かなかったわけです。ところが終戦の年の神さまのご神示で、それまでは法華経以外の何ものも読んではいけない――新聞も雑誌も読んではいけないといわれました。日蓮聖人のご遺文くらいは読んでもよかろうと思うと、妙佼先生に神さまのご降臨で、だいぶおしかりを受けたのです。おまえにはわかる時が来るというようなことを言われて、法華経の経典以外は絶対読んではいけないという修行をずっとやっていたのであります。そして終戦の年の二月十五日、お釈迦さまのご命日に神さまがご降臨になられて、今日からご遺文を読んでもいいというお許しを得たのです。
むさぼるようにご遺文を拝読しますと、私どものごたごたしていることなんか、何ということはない。皆さんと一緒に法華経を行じて幸せになりましょうというので、法華経の通りに行ずれば必ず結果が出るのであると、私どもは真剣に行じていたのでありますが、そのことを日蓮聖人が全くそれはもう、私どもが苦しんでいる問題をずばりご指南になっているのです。ご遺文を読んでいて、ここにこんなご指導があったのかという驚きをなしてご遺文を拝読し、そして日蓮聖人のみ心を体してということになると、お題目を唱えている者がこんなに大勢日本にはいるのに、ばらばらではだめだ。まずお題目を唱える者が一緒になって、そこから仏教を一つにして、そして国を救う――そういう考え方にならなくてはいかんなという、私特有の大それた考えを起こしました。日蓮宗も何も一緒になろうということになれば、立正佼成会など、なくてもいいわけです。立正佼成会とか霊友会とか妙智会というようなことでなく、もう法華経に帰依し、日蓮聖人のご指南のもとに我々は行じればいいんだというような純粋な気持で、私は真剣になっていたのであります。終戦を迎え、それから二、三年煩悶していたことを身延山に行って申し上げたところ、その通りだといって取り入れて下さったのですね。そして喜んで皆さんと門下協議会をつくったわけです。