我々宗教者の責任
今日のような時代、末法の時代には正法を護持しなければ国が乱れて大変なことになると、七百年前におおせになったのです。
先般のハイジャック事件でのやりとりを伺っておりますと、バングラデシュの参謀長が──日本のような豊かな国で、思想が自由で、好きなことを言えて、好きなことができる国なのに、何が不足でハイジャックをするのかと、じゅんじゅんと説得していました。すべての人を解放しなさいと言うことに対して、日本赤軍は、本部の命令を待っているのだと言うのですね。そうすると参謀長が〝君たちは絶対の自由を、とやっておりながら、自分の意志で、自分の判断でできないような不自由な仲間なのか。それでは、言っていることと、考えていることに大変な矛盾があるぞ〟と言っておりました。
そのように、こういうばかげたことをする者には、正しい倫理も理論もあったものではないし、日本のように思想に自由であって、かえってそれがめちゃくちゃになっているのが心配であります。
その心配ということでは、今、不景気だと表現している人が非常に多いということです。ある意味では不景気のところがありましょう。全部が全部同じようにいくことは非常に難しいことでございまして、失業者もあり、大変です。しかしながら全体に見た場合、世界中で一番経済が安定していて成長し過ぎたような状態になって、輸出も黒字も多いのです。そういう国が不景気というならば、赤字の国はどうするのかと考えてしまいます。
大きな意味で、大乗仏教国というのはどこの国であろうかと問いかけますと、識者は日本であると言います。大乗の精神ということからしますと、日本の方はこり固まった宗教ではないけれども、神様、仏様のみ心に対して、もったいないとか、ありがたいとかという気持ですべてのものを拝むというようなおおらかな宗教で、そういう意味においては世界で一番救われておる国だと思っております。
経済もまた今申し上げましたように、優秀で勤勉な国民性というもので安定を得ているのですね。しかし、多少の問題もないとは言えません。ハイジャックのようなことをやる人間も日本から出ておるのですね。これは、このご法に縁があって、日蓮様のような立派な祖師を頂いて、そういう方のみ教えを全国民が体得しておったならば、そういうものは出てこないのであります。
そういう意味で我々宗教者の責任というのがあるのです。こり固まった宗教を持つと、かえってその宗教のために、これが是か非かということだけを急に言う場合に、うっかりすると目には目を、歯には歯をというようなことで、一挙に片付けてしまえという短兵急の論理も出てくるのであります。そういうことのない、極めておだやかなうちに大乗仏教の精神というものを体得して、おおらかな考え方で人の是というもの、非というものを双方合わせてじっくりと見つめて、そしてお互いに人間性の根底からして心改める気持を起こさせる、そういうことが我々信仰者の道であろうと私は思っているのであります。