開祖さまご法話テキスト『求道』 1977年 お会式お逮夜法要

  •    法難にもめげず
         法華経護持──日蓮聖人

     本日は、私どもの会として三大行事と言われる、最も活発な行動の祭典でございます。
     日蓮聖人のご入滅のお逮夜となりますと、悲しい思いのような気もいたしますが、しかし聖人のような方は、肉体は亡くなられても不滅の大聖人になったわけでありまして、そういう意味では、仏教で言う因縁所生で、なすべきことをなされて霊界からお守り頂くということになったのです。
     大聖人は非常に威勢のいい言葉を残しています。「二陣三陣と続けよかし」というようなことで、お題目を唱えるのに、またこの経は保ち難いが、この経の功徳は無間地獄のふたもするような、地獄に落ちることの絶対ないという大功徳を持っているのであるから、私のあとについて二陣、三陣と続けよという号令を残されているのです。
     今日になってみますと、聖人様のお言葉の通りに、法華経のご法門の通りに精進をすれば、どんなに因縁が悪いと言っている人でも、全くそれは見違えるようになって、善因縁になって幸せになっておるわけであります。
     あと四年で亡くなって七百年を迎えるという、六九六回でございますが、約七百年の伝統を持っている大聖人の叫び、これをお互いさまに、本日の万灯行列を通じてこの末法の時代に本当の灯をともそうという心意気を、今日は発揮するわけでございます。
     日蓮聖人は、法華経を行ずる者に法華経の行じ方法というものを、非常にわかり易くお示し下さったのでございます。「日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、また末葉にもあらず」ということも言われております。大聖人のご在世中は、大難四箇度、小難数知れずというほど、正しい法華経を叫ばれるために大変な難に会って、六十年の生涯を通されたのです。
     大聖人の時代には、あのように正しく行じても島流しになったり、焼き討ちに会ったり、首切りの座に乗せられるというようなこともあったわけです。しかし今日でしたら、正しくご法を守っていたら、決して難に会うということがないという、まことに我々は幸せな時期に生まれているわけであります。

  •    法難にもめげず
         法華経護持──日蓮聖人

     本日は、私どもの会として三大行事と言われる、最も活発な行動の祭典でございます。
     日蓮聖人のご入滅のお逮夜となりますと、悲しい思いのような気もいたしますが、しかし聖人のような方は、肉体は亡くなられても不滅の大聖人になったわけでありまして、そういう意味では、仏教で言う因縁所生で、なすべきことをなされて霊界からお守り頂くということになったのです。
     大聖人は非常に威勢のいい言葉を残しています。「二陣三陣と続けよかし」というようなことで、お題目を唱えるのに、またこの経は保ち難いが、この経の功徳は無間地獄のふたもするような、地獄に落ちることの絶対ないという大功徳を持っているのであるから、私のあとについて二陣、三陣と続けよという号令を残されているのです。
     今日になってみますと、聖人様のお言葉の通りに、法華経のご法門の通りに精進をすれば、どんなに因縁が悪いと言っている人でも、全くそれは見違えるようになって、善因縁になって幸せになっておるわけであります。
     あと四年で亡くなって七百年を迎えるという、六九六回でございますが、約七百年の伝統を持っている大聖人の叫び、これをお互いさまに、本日の万灯行列を通じてこの末法の時代に本当の灯をともそうという心意気を、今日は発揮するわけでございます。
     日蓮聖人は、法華経を行ずる者に法華経の行じ方法というものを、非常にわかり易くお示し下さったのでございます。「日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、また末葉にもあらず」ということも言われております。大聖人のご在世中は、大難四箇度、小難数知れずというほど、正しい法華経を叫ばれるために大変な難に会って、六十年の生涯を通されたのです。
     大聖人の時代には、あのように正しく行じても島流しになったり、焼き討ちに会ったり、首切りの座に乗せられるというようなこともあったわけです。しかし今日でしたら、正しくご法を守っていたら、決して難に会うということがないという、まことに我々は幸せな時期に生まれているわけであります。

  •    立正佼成会の万灯行進

     私どもの万灯行列を最初に試みたのは、今から二十年前だそうであります。初めて万灯行列をした時には、堀の内のお祖師様に万灯行列があるのに加えさせて頂いたのでございます。それで何年かやっているうちに、お会式の万灯も多くなり、熱心にやるようになって、佼成会の万灯が出ると──道路の両脇にある店が期待をしているけれども、佼成会の万灯にみんなが夢中になってしまうから振わない──というお小言が出てまいりまして、人様にそういう不都合をさせてはすまないから、それでは佼成会だけでやろうではないかというようになったのでございます。それで、本部を中心に方々から集まってくるという形をとって今日まであるのです。
     そういう関係で、堀の内様に、お会式のたびごとに挨拶にいっているのですが、今度、妙法寺の責任者には茂田井猊下がなられ、昨日お会いしたのです。この会に来てご講演を願ったこともありましたが、杉並での明社運動にも心を打たれ、関心されて、おほめの言葉を頂きました。
     大聖堂を中心にいたしますと、割合に道路の整備ができています。また、交通を止めて地元の皆様方には大変ご迷惑もおかけしているわけでございます。そういうことは、皆さんからお許し頂けるほど、日蓮聖人に対する関東の信仰はすばらしい状態だと思うのであります。

  •    立正佼成会の万灯行進

     私どもの万灯行列を最初に試みたのは、今から二十年前だそうであります。初めて万灯行列をした時には、堀の内のお祖師様に万灯行列があるのに加えさせて頂いたのでございます。それで何年かやっているうちに、お会式の万灯も多くなり、熱心にやるようになって、佼成会の万灯が出ると──道路の両脇にある店が期待をしているけれども、佼成会の万灯にみんなが夢中になってしまうから振わない──というお小言が出てまいりまして、人様にそういう不都合をさせてはすまないから、それでは佼成会だけでやろうではないかというようになったのでございます。それで、本部を中心に方々から集まってくるという形をとって今日まであるのです。
     そういう関係で、堀の内様に、お会式のたびごとに挨拶にいっているのですが、今度、妙法寺の責任者には茂田井猊下がなられ、昨日お会いしたのです。この会に来てご講演を願ったこともありましたが、杉並での明社運動にも心を打たれ、関心されて、おほめの言葉を頂きました。
     大聖堂を中心にいたしますと、割合に道路の整備ができています。また、交通を止めて地元の皆様方には大変ご迷惑もおかけしているわけでございます。そういうことは、皆さんからお許し頂けるほど、日蓮聖人に対する関東の信仰はすばらしい状態だと思うのであります。

  •    我々宗教者の責任

     今日のような時代、末法の時代には正法を護持しなければ国が乱れて大変なことになると、七百年前におおせになったのです。
     先般のハイジャック事件でのやりとりを伺っておりますと、バングラデシュの参謀長が──日本のような豊かな国で、思想が自由で、好きなことを言えて、好きなことができる国なのに、何が不足でハイジャックをするのかと、じゅんじゅんと説得していました。すべての人を解放しなさいと言うことに対して、日本赤軍は、本部の命令を待っているのだと言うのですね。そうすると参謀長が〝君たちは絶対の自由を、とやっておりながら、自分の意志で、自分の判断でできないような不自由な仲間なのか。それでは、言っていることと、考えていることに大変な矛盾があるぞ〟と言っておりました。
     そのように、こういうばかげたことをする者には、正しい倫理も理論もあったものではないし、日本のように思想に自由であって、かえってそれがめちゃくちゃになっているのが心配であります。
     その心配ということでは、今、不景気だと表現している人が非常に多いということです。ある意味では不景気のところがありましょう。全部が全部同じようにいくことは非常に難しいことでございまして、失業者もあり、大変です。しかしながら全体に見た場合、世界中で一番経済が安定していて成長し過ぎたような状態になって、輸出も黒字も多いのです。そういう国が不景気というならば、赤字の国はどうするのかと考えてしまいます。
     大きな意味で、大乗仏教国というのはどこの国であろうかと問いかけますと、識者は日本であると言います。大乗の精神ということからしますと、日本の方はこり固まった宗教ではないけれども、神様、仏様のみ心に対して、もったいないとか、ありがたいとかという気持ですべてのものを拝むというようなおおらかな宗教で、そういう意味においては世界で一番救われておる国だと思っております。
     経済もまた今申し上げましたように、優秀で勤勉な国民性というもので安定を得ているのですね。しかし、多少の問題もないとは言えません。ハイジャックのようなことをやる人間も日本から出ておるのですね。これは、このご法に縁があって、日蓮様のような立派な祖師を頂いて、そういう方のみ教えを全国民が体得しておったならば、そういうものは出てこないのであります。
     そういう意味で我々宗教者の責任というのがあるのです。こり固まった宗教を持つと、かえってその宗教のために、これが是か非かということだけを急に言う場合に、うっかりすると目には目を、歯には歯をというようなことで、一挙に片付けてしまえという短兵急の論理も出てくるのであります。そういうことのない、極めておだやかなうちに大乗仏教の精神というものを体得して、おおらかな考え方で人の是というもの、非というものを双方合わせてじっくりと見つめて、そしてお互いに人間性の根底からして心改める気持を起こさせる、そういうことが我々信仰者の道であろうと私は思っているのであります。

  •    我々宗教者の責任

     今日のような時代、末法の時代には正法を護持しなければ国が乱れて大変なことになると、七百年前におおせになったのです。
     先般のハイジャック事件でのやりとりを伺っておりますと、バングラデシュの参謀長が──日本のような豊かな国で、思想が自由で、好きなことを言えて、好きなことができる国なのに、何が不足でハイジャックをするのかと、じゅんじゅんと説得していました。すべての人を解放しなさいと言うことに対して、日本赤軍は、本部の命令を待っているのだと言うのですね。そうすると参謀長が〝君たちは絶対の自由を、とやっておりながら、自分の意志で、自分の判断でできないような不自由な仲間なのか。それでは、言っていることと、考えていることに大変な矛盾があるぞ〟と言っておりました。
     そのように、こういうばかげたことをする者には、正しい倫理も理論もあったものではないし、日本のように思想に自由であって、かえってそれがめちゃくちゃになっているのが心配であります。
     その心配ということでは、今、不景気だと表現している人が非常に多いということです。ある意味では不景気のところがありましょう。全部が全部同じようにいくことは非常に難しいことでございまして、失業者もあり、大変です。しかしながら全体に見た場合、世界中で一番経済が安定していて成長し過ぎたような状態になって、輸出も黒字も多いのです。そういう国が不景気というならば、赤字の国はどうするのかと考えてしまいます。
     大きな意味で、大乗仏教国というのはどこの国であろうかと問いかけますと、識者は日本であると言います。大乗の精神ということからしますと、日本の方はこり固まった宗教ではないけれども、神様、仏様のみ心に対して、もったいないとか、ありがたいとかという気持ですべてのものを拝むというようなおおらかな宗教で、そういう意味においては世界で一番救われておる国だと思っております。
     経済もまた今申し上げましたように、優秀で勤勉な国民性というもので安定を得ているのですね。しかし、多少の問題もないとは言えません。ハイジャックのようなことをやる人間も日本から出ておるのですね。これは、このご法に縁があって、日蓮様のような立派な祖師を頂いて、そういう方のみ教えを全国民が体得しておったならば、そういうものは出てこないのであります。
     そういう意味で我々宗教者の責任というのがあるのです。こり固まった宗教を持つと、かえってその宗教のために、これが是か非かということだけを急に言う場合に、うっかりすると目には目を、歯には歯をというようなことで、一挙に片付けてしまえという短兵急の論理も出てくるのであります。そういうことのない、極めておだやかなうちに大乗仏教の精神というものを体得して、おおらかな考え方で人の是というもの、非というものを双方合わせてじっくりと見つめて、そしてお互いに人間性の根底からして心改める気持を起こさせる、そういうことが我々信仰者の道であろうと私は思っているのであります。

  •    信心からくる真心の灯

     昨日も日蓮宗のお坊様に説教をしたのであります。日蓮聖人は、七百年前の時には日本に仏教が入って七百年たって祖師仏教になってみんながこり固まっていて、そういうこり固まった人たちに対して、念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊というように、お釈迦様を忘れている仏教に変形しているということに悲しんで、あの叫びをされたと思います。今もし日聖様がお生まれになっていれば、私と同じような説き方をするだろうと、昨日申し上げましたら、(拍手)茂田井先生は苦笑いをしながら、それはそうだな、時代が違うなとおっしゃっていました。
     みんなに、こちらの方に向いてもらいたい、私の意見を聞いて下さいと言っても聞き手がないという時には、荒療治でもって他宗を謗るような言葉に変えて、しかもあの根底にあるものはどうかというと、その仏教の本質を当時の鎌倉幕府の面前において正邪を論じようと、対決しようということなのであります。
     ああいう時でありますから、対決という言葉を使ったと思うのであります。今ならば宗教協力という形になっていくだろうと、私は思うのであります。そういうことでは、私どもは昔の言葉そのままに考えていく時に、何か佼成会は日蓮様の教えよりも甘いような気がします。柔らかいようです。異質のような気がするかも知れません。しかし私は、大乗仏教の精神というものは、一仏乗というすべての人が同じ乗物に乗って、凡夫の迷いの岸から悟りの岸に向かっていくところの法門ということになれば、あの時はあのような強い形で叫ばなければ、日蓮聖人のお気持に耳をかたむける人がいないということだったと思います。
     そういう意味で、六十年の生涯を大願を身に帯びながらお説きになって頂いたそのおかげさまで、私どもがあるのです。私どもの教団が発足して、来年で四十周年というのですが、こうして多くのご参加を得られ、また明社運動などで全国的にいろいろの宗教、宗派を超えて、明るい社会、平和な社会をつくるために努力されています。大乗の精神によってみんなの和をつくり、真の平和の輪を拡大していくという努力をしなければならないという方々が全国的に出てきたということは、大変ありがたいことだと思います。
     そういうことで本日は、日蓮聖人の「二陣、三陣続けよかし」というその一言に自信をもって、うちわ太鼓に合わせて行列をして頂くわけでございます。
     万灯というものについても、いろいろの説がありますが、立派なものよりも、真心のこもった万灯が良いわけです。信心による真心の灯をみんなに見て頂こう、そしてご縁にふれた方々に法華経の意味をわかって頂いて幸せになってもらう、そういうために今日は行列をさせて頂くのでございます。

  •    信心からくる真心の灯

     昨日も日蓮宗のお坊様に説教をしたのであります。日蓮聖人は、七百年前の時には日本に仏教が入って七百年たって祖師仏教になってみんながこり固まっていて、そういうこり固まった人たちに対して、念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊というように、お釈迦様を忘れている仏教に変形しているということに悲しんで、あの叫びをされたと思います。今もし日聖様がお生まれになっていれば、私と同じような説き方をするだろうと、昨日申し上げましたら、(拍手)茂田井先生は苦笑いをしながら、それはそうだな、時代が違うなとおっしゃっていました。
     みんなに、こちらの方に向いてもらいたい、私の意見を聞いて下さいと言っても聞き手がないという時には、荒療治でもって他宗を謗るような言葉に変えて、しかもあの根底にあるものはどうかというと、その仏教の本質を当時の鎌倉幕府の面前において正邪を論じようと、対決しようということなのであります。
     ああいう時でありますから、対決という言葉を使ったと思うのであります。今ならば宗教協力という形になっていくだろうと、私は思うのであります。そういうことでは、私どもは昔の言葉そのままに考えていく時に、何か佼成会は日蓮様の教えよりも甘いような気がします。柔らかいようです。異質のような気がするかも知れません。しかし私は、大乗仏教の精神というものは、一仏乗というすべての人が同じ乗物に乗って、凡夫の迷いの岸から悟りの岸に向かっていくところの法門ということになれば、あの時はあのような強い形で叫ばなければ、日蓮聖人のお気持に耳をかたむける人がいないということだったと思います。
     そういう意味で、六十年の生涯を大願を身に帯びながらお説きになって頂いたそのおかげさまで、私どもがあるのです。私どもの教団が発足して、来年で四十周年というのですが、こうして多くのご参加を得られ、また明社運動などで全国的にいろいろの宗教、宗派を超えて、明るい社会、平和な社会をつくるために努力されています。大乗の精神によってみんなの和をつくり、真の平和の輪を拡大していくという努力をしなければならないという方々が全国的に出てきたということは、大変ありがたいことだと思います。
     そういうことで本日は、日蓮聖人の「二陣、三陣続けよかし」というその一言に自信をもって、うちわ太鼓に合わせて行列をして頂くわけでございます。
     万灯というものについても、いろいろの説がありますが、立派なものよりも、真心のこもった万灯が良いわけです。信心による真心の灯をみんなに見て頂こう、そしてご縁にふれた方々に法華経の意味をわかって頂いて幸せになってもらう、そういうために今日は行列をさせて頂くのでございます。

  •  皆様のご協力によりまして、本日の行事もにぎやかに、大きくふくらんでまいりました。各教会の行列の人数も制限するのに困難な状態であります。華やかさだけでない、真心をこめた信心からくる行列に、本日の万灯行列をいたしたいと思うわけでございます。
     今後とも、この保ちがたい法華経を真に保って、本当の智慧の灯の光明をもって世の中を明るく照らしていく、それこそが仏様のみ心であるという信心に徹しられますようにお願いを申し上げまして、本日の説法に代えます。ありがとうございました。

  •  皆様のご協力によりまして、本日の行事もにぎやかに、大きくふくらんでまいりました。各教会の行列の人数も制限するのに困難な状態であります。華やかさだけでない、真心をこめた信心からくる行列に、本日の万灯行列をいたしたいと思うわけでございます。
     今後とも、この保ちがたい法華経を真に保って、本当の智慧の灯の光明をもって世の中を明るく照らしていく、それこそが仏様のみ心であるという信心に徹しられますようにお願いを申し上げまして、本日の説法に代えます。ありがとうございました。