ところが、バイブルの中にこういう言葉があるそうです。「それ人は、心に信じて義とせられ、口にいい表わして救いとなる」と、彼はこれを見て、ほんとうの人間の本義とせられるものは、心に信ずることから始まってくる、口にいい表わすことによって救われる。と、スキッと胸におちたのであります。
そこで自分は仏教なんか信じないと思ってたが、やっぱり俺は仏教徒なんだなあとわかったというのです。そして最近になって生まれながらの自分に対する仏の慈悲というものが、何ともいわれないありがたさを感じられるようになったというのであります。
そういうことをちゃんと教えてくださったのは、やはり文字の力、言葉の力、いい表わす力というのであります。これを聞いて私も一つの力を得たのであります。
たとえばことしのスローガンで、一人が一人を導こう、と。お導きをするには朝夕のご供養をしないとだめだというのは、「信じて義とせられ」と、五種法師の働きを信じて、これがほんとうの自分の道であると考えていることであります。
「口にいい表わして救いとなる」というのは、人さまをお導きするのには、どうしても仏さまの教えというものがわかってもらわなければ入会してもらえないですね。信仰とはこういうもので、こういうふうにすればこうなるんですよ、と口でいい表わすと相手が信じて、「それじゃ入会させてもらいましょう。そういうありがたい教えにお導きいただきます」となりましょう。
佼成会の信者さんが救われていることは、口にいい表わしているから救われているのです。お導きさせていただいてるから救われているのです。私どもがおすすめすることによって救われるというのが、どういうわけで救われるのか、そこがわからない。それはキリスト教においても仏教においても、自分の信じたことを口にいい表わすところに救いとなってるのです。お導きをした人はこのことがようく得心がいくと思うんです。
私どもがそれほど勉強もしないで、ただひたすらに、心に信じて義となし、口にいい表わして一人が一人を導く、こういう所作をしただけで、三十五年の間に佼成会は今日のようになっているわけであります。
ところが仏教を知らないで、亡くなったときだけお寺さんをたのんでお葬式をしてもらう。年回がくると法要をしてもらう。だけれども仏教というものの救いをちっとも味わってないのですね。そういうところに救われたという意識がないのです。
タイトル名
開祖さまご法話テキスト『求道』 1973年 妙佼先生十七回忌法要
タイトルヨミ
カイソサマゴホウワテキスト『グドウ』 1973ネン ミョウコウセンセイジュウナナカイキホウヨウ
作成者
立正佼成会
(
リッショウコウセイカイ
)
作成日
1973-10-25
和暦
昭和48年10月25日
言語
jpn
地理空間情報
X1
ボリュームタイトル
求道
ボリューム
no.49
人物キーワード
開祖さま
庭野日敬
行事キーワード
妙佼先生回忌法要
フリーキーワード
1973-09-10
内容
妙佼先生十七回忌法要でのご法話 9月10日 大聖堂で
会長先生ご法話/修行の原点を見直そう
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