人間の皮は欲の皮
妙佼先生は、よく「人間の皮をかぶっている間は…」と申されていましたが、それは、「生身の体で、人間という皮をかぶっている者は、とかく自分の都合を考えたくなって、なかなか仏さまのみ心のままにいく、ということはむずかしい」ということなのです。
人間は生まれながらにして仏の子だ、神の子だという言い方もあるが、明確に言えば、もって生まれた時には、貪・瞋・癡という三毒をもって生まれているのです。人間の皮というのは欲の皮と言っていいのであって、欲の皮がつっぱっているから「自分の思うとおりに物が手に入らない」「あれがしゃくにさわる」「これのやり方が気にくわん」という怒りの気持がでて、つまらない考えが起きてくる。そして六波羅蜜の智慧の心が働かないで、愚癡の心が働いてしまう。これが普通の人間の現れ方です。仏になる可能性はもっているのですが、そのまま人間の皮をかぶって何の指導もされずにいくと、われわれ凡夫はややもするとこの〝貪・瞋・癡〟そのままにいくのです。
そこで、法華経行者というのは、耳に柔かく響くようなことを言っていてはダメです。「あなたのような業障な者は、道場が狭くて畳がもったいないから帰りなさい」というように、頭から脅したり、ある時は優しく説いたりして、妙佼先生は、硬軟両刀使いで皆さんを鞭撻してくださった。
私にしても、もし妙佼先生のような人をお導きしていなかったなら、生まれたままの性分で、そのままいってしまったかもしれない。ところが私のそばについていて、ハシの上げ下ろしにも「それじゃいかん、これじゃいかん」と言うものですから、ある時、「私は親にもそんなふうに文句を言われたことはない。軍隊にいても優等生で、上官から小言さえ言われたことはないんだ」と食ってかかったことがある。そして「大体、あんたの言い方がおもしろくない。真理は真理なんだから、柔かく言えばわかるんだ。だから、きついこと言わないで、もっと優しく、感情的にならないで話をすすめてくれ」と言ったわけですが、妙佼先生はそれに答えて「腹が立たなければ文句が言えないでしょ」と言うのですね。確かに、腹も立たずに文句を言っても、文句に勢いがないですね。腹が立つから文句が言える。その文句がまた、人間の皮を少しでもはいで、菩薩の皮の中へおさめてくれるわけですが、その一皮むくということが並大抵のことではできない。それこそ「ああせい、こうせい」と言わなければなかなかできないのが私共である。そういう中で、一番のにくまれ役を、一人で背負って、佼成会の基礎を築いてくださったのが妙佼先生です。