開祖さまご法話テキスト『一心』 1979年10月 
脇祖妙佼先生ご命日

  •    人間の皮は欲の皮

     妙佼先生は、よく「人間の皮をかぶっている間は…」と申されていましたが、それは、「生身の体で、人間という皮をかぶっている者は、とかく自分の都合を考えたくなって、なかなか仏さまのみ心のままにいく、ということはむずかしい」ということなのです。
     人間は生まれながらにして仏の子だ、神の子だという言い方もあるが、明確に言えば、もって生まれた時には、貪・瞋・癡という三毒をもって生まれているのです。人間の皮というのは欲の皮と言っていいのであって、欲の皮がつっぱっているから「自分の思うとおりに物が手に入らない」「あれがしゃくにさわる」「これのやり方が気にくわん」という怒りの気持がでて、つまらない考えが起きてくる。そして六波羅蜜の智慧の心が働かないで、愚癡の心が働いてしまう。これが普通の人間の現れ方です。仏になる可能性はもっているのですが、そのまま人間の皮をかぶって何の指導もされずにいくと、われわれ凡夫はややもするとこの〝貪・瞋・癡〟そのままにいくのです。
     そこで、法華経行者というのは、耳に柔かく響くようなことを言っていてはダメです。「あなたのような業障な者は、道場が狭くて畳がもったいないから帰りなさい」というように、頭から脅したり、ある時は優しく説いたりして、妙佼先生は、硬軟両刀使いで皆さんを鞭撻してくださった。 
     私にしても、もし妙佼先生のような人をお導きしていなかったなら、生まれたままの性分で、そのままいってしまったかもしれない。ところが私のそばについていて、ハシの上げ下ろしにも「それじゃいかん、これじゃいかん」と言うものですから、ある時、「私は親にもそんなふうに文句を言われたことはない。軍隊にいても優等生で、上官から小言さえ言われたことはないんだ」と食ってかかったことがある。そして「大体、あんたの言い方がおもしろくない。真理は真理なんだから、柔かく言えばわかるんだ。だから、きついこと言わないで、もっと優しく、感情的にならないで話をすすめてくれ」と言ったわけですが、妙佼先生はそれに答えて「腹が立たなければ文句が言えないでしょ」と言うのですね。確かに、腹も立たずに文句を言っても、文句に勢いがないですね。腹が立つから文句が言える。その文句がまた、人間の皮を少しでもはいで、菩薩の皮の中へおさめてくれるわけですが、その一皮むくということが並大抵のことではできない。それこそ「ああせい、こうせい」と言わなければなかなかできないのが私共である。そういう中で、一番のにくまれ役を、一人で背負って、佼成会の基礎を築いてくださったのが妙佼先生です。

  •    人間の皮は欲の皮

     妙佼先生は、よく「人間の皮をかぶっている間は…」と申されていましたが、それは、「生身の体で、人間という皮をかぶっている者は、とかく自分の都合を考えたくなって、なかなか仏さまのみ心のままにいく、ということはむずかしい」ということなのです。
     人間は生まれながらにして仏の子だ、神の子だという言い方もあるが、明確に言えば、もって生まれた時には、貪・瞋・癡という三毒をもって生まれているのです。人間の皮というのは欲の皮と言っていいのであって、欲の皮がつっぱっているから「自分の思うとおりに物が手に入らない」「あれがしゃくにさわる」「これのやり方が気にくわん」という怒りの気持がでて、つまらない考えが起きてくる。そして六波羅蜜の智慧の心が働かないで、愚癡の心が働いてしまう。これが普通の人間の現れ方です。仏になる可能性はもっているのですが、そのまま人間の皮をかぶって何の指導もされずにいくと、われわれ凡夫はややもするとこの〝貪・瞋・癡〟そのままにいくのです。
     そこで、法華経行者というのは、耳に柔かく響くようなことを言っていてはダメです。「あなたのような業障な者は、道場が狭くて畳がもったいないから帰りなさい」というように、頭から脅したり、ある時は優しく説いたりして、妙佼先生は、硬軟両刀使いで皆さんを鞭撻してくださった。 
     私にしても、もし妙佼先生のような人をお導きしていなかったなら、生まれたままの性分で、そのままいってしまったかもしれない。ところが私のそばについていて、ハシの上げ下ろしにも「それじゃいかん、これじゃいかん」と言うものですから、ある時、「私は親にもそんなふうに文句を言われたことはない。軍隊にいても優等生で、上官から小言さえ言われたことはないんだ」と食ってかかったことがある。そして「大体、あんたの言い方がおもしろくない。真理は真理なんだから、柔かく言えばわかるんだ。だから、きついこと言わないで、もっと優しく、感情的にならないで話をすすめてくれ」と言ったわけですが、妙佼先生はそれに答えて「腹が立たなければ文句が言えないでしょ」と言うのですね。確かに、腹も立たずに文句を言っても、文句に勢いがないですね。腹が立つから文句が言える。その文句がまた、人間の皮を少しでもはいで、菩薩の皮の中へおさめてくれるわけですが、その一皮むくということが並大抵のことではできない。それこそ「ああせい、こうせい」と言わなければなかなかできないのが私共である。そういう中で、一番のにくまれ役を、一人で背負って、佼成会の基礎を築いてくださったのが妙佼先生です。

  •    妙佼先生のご神示

     私がお導きしたのは、先生が四十八歳という壮年期から老年期に入ろうというころで、その上、病気持ちの体であったのです。しかし、お導きしたところが、たちまちに病気が治った。病気が治ったということは、仏さまのみ心にかなった気持になったから、仏さまはちゃんと整えてくださったわけで、非常にありがたいことなのです。そこでそのご恩返しをしなければならない、ということで、それからの二十年間、明けても暮れても昼夜常精進そのものであったのです。そのため仏さまのご功徳を頂いて、皆さんから、「妙佼先生、妙佼先生」とお母さんのように慕われ、本当に素晴しい人生を送られたわけです。
     妙佼先生はまた「今、このような考え方をしていると、空から火の雨が降るよ」というようなことも言われた。「空から火の雨」というのはどういうことだろう、と思っていると、空襲が始まって、空から火の雨が降ってきた。次に、「浮浪者が多くなって、片目、片足の人が周辺を歩くようになる」と言われたが、実際そういう人が続々現れた。広島、長崎の爆弾の落ちたところなどは、見るも無残な状態となった。半面、「この法を保っている者は必ず神さまは救われる。だから絶対に心配ないんだよ」とも言われ、事実、不思議にも、東京はほとんど焼土と化したのでありますが、この和田本町は、お言葉どおり焼けなかったのです。
     このように、次から次へと不思議なことが現れた。そしていつも申しますように、「この法華経は、佼成会をもととして、世界万国に弘まる」ということを言われる。そんなことあるのであろうかと思っていたが、昨年、六月十二日には、国連の軍縮会議におきまして、世界の宗教者を代表して提言するということで、時間を十二分間頂きました。その時、世界百五十ヵ国の政治家の皆さんを前にして法華経というものを紹介させていただき、さらに、佼成会のヒゲ題目を中心に『天壌無窮』『異体同心』と書かせていただいたものを、百五十ヵ国の大使の方々に配ったのです。
     「天下万民悉く異体同心となって、世界平和を願うように」ということを、一宗教家として提言するお役が私に回ってきたということは、まさに世界に向かって法華経というものが伝えられる条件をつくっていただいたわけです。つまり創立当初から、神さまがご降臨になって、妙佼先生をとおして言われたことが実現してきたわけです。

  •    妙佼先生のご神示

     私がお導きしたのは、先生が四十八歳という壮年期から老年期に入ろうというころで、その上、病気持ちの体であったのです。しかし、お導きしたところが、たちまちに病気が治った。病気が治ったということは、仏さまのみ心にかなった気持になったから、仏さまはちゃんと整えてくださったわけで、非常にありがたいことなのです。そこでそのご恩返しをしなければならない、ということで、それからの二十年間、明けても暮れても昼夜常精進そのものであったのです。そのため仏さまのご功徳を頂いて、皆さんから、「妙佼先生、妙佼先生」とお母さんのように慕われ、本当に素晴しい人生を送られたわけです。
     妙佼先生はまた「今、このような考え方をしていると、空から火の雨が降るよ」というようなことも言われた。「空から火の雨」というのはどういうことだろう、と思っていると、空襲が始まって、空から火の雨が降ってきた。次に、「浮浪者が多くなって、片目、片足の人が周辺を歩くようになる」と言われたが、実際そういう人が続々現れた。広島、長崎の爆弾の落ちたところなどは、見るも無残な状態となった。半面、「この法を保っている者は必ず神さまは救われる。だから絶対に心配ないんだよ」とも言われ、事実、不思議にも、東京はほとんど焼土と化したのでありますが、この和田本町は、お言葉どおり焼けなかったのです。
     このように、次から次へと不思議なことが現れた。そしていつも申しますように、「この法華経は、佼成会をもととして、世界万国に弘まる」ということを言われる。そんなことあるのであろうかと思っていたが、昨年、六月十二日には、国連の軍縮会議におきまして、世界の宗教者を代表して提言するということで、時間を十二分間頂きました。その時、世界百五十ヵ国の政治家の皆さんを前にして法華経というものを紹介させていただき、さらに、佼成会のヒゲ題目を中心に『天壌無窮』『異体同心』と書かせていただいたものを、百五十ヵ国の大使の方々に配ったのです。
     「天下万民悉く異体同心となって、世界平和を願うように」ということを、一宗教家として提言するお役が私に回ってきたということは、まさに世界に向かって法華経というものが伝えられる条件をつくっていただいたわけです。つまり創立当初から、神さまがご降臨になって、妙佼先生をとおして言われたことが実現してきたわけです。

  •    宗教者が〝一つ心〟で

     今年も、第三回世界宗教者平和会議をニューヨークの国連のすぐそばで開き、世界中から集まった宗教者たちの心意気を、ひとつ国連に見ていただこうと考えております。
     ニューヨークで会議を開くことが、いろいろな都合でできず、九〇キロほど離れたプリンストン神学校で会議をもつこととなりました。
     しかし、なんとか国連にアピールしようということで、平和会議に集まる皆さんはもちろんのこと、アメリカの宗教者たちも国連本部のあるニューヨークに集まって、世界平和を祈念して行進しようじゃないか、ということになりました。
     かつては、このようなことは不可能でありました。自分の宗教は正しいが、他の宗教は正しくないという考え方が多かったのです。ところが、現代になりますと、『天壌無窮』『異体同心』の精神がだんだんと世界の宗教者に芽生えてまいりまして、皆さんが本当に仲よく、和気あいあいと国連にアピールしよう、という気持になったのです。
     今、妙佼先生が生きていらっしゃったら、「ほれ、おやじ! 私の言うとおりになったじゃないか」と言って、喜んでくださいますでしょう。
     来月は会議でアメリカに行っているため、本日、一ヵ月早く、二十年間一緒にあげさせていただいたお経をあげさせていただいたのですが、妙佼先生も唱和してくださり、「おやじ! 私の言うとおり、世界万国に法華経の意味がわからせてもらえるような時期がきたじゃないか。しっかりやれ」と叱咤されたような気がしました。

  •    宗教者が〝一つ心〟で

     今年も、第三回世界宗教者平和会議をニューヨークの国連のすぐそばで開き、世界中から集まった宗教者たちの心意気を、ひとつ国連に見ていただこうと考えております。
     ニューヨークで会議を開くことが、いろいろな都合でできず、九〇キロほど離れたプリンストン神学校で会議をもつこととなりました。
     しかし、なんとか国連にアピールしようということで、平和会議に集まる皆さんはもちろんのこと、アメリカの宗教者たちも国連本部のあるニューヨークに集まって、世界平和を祈念して行進しようじゃないか、ということになりました。
     かつては、このようなことは不可能でありました。自分の宗教は正しいが、他の宗教は正しくないという考え方が多かったのです。ところが、現代になりますと、『天壌無窮』『異体同心』の精神がだんだんと世界の宗教者に芽生えてまいりまして、皆さんが本当に仲よく、和気あいあいと国連にアピールしよう、という気持になったのです。
     今、妙佼先生が生きていらっしゃったら、「ほれ、おやじ! 私の言うとおりになったじゃないか」と言って、喜んでくださいますでしょう。
     来月は会議でアメリカに行っているため、本日、一ヵ月早く、二十年間一緒にあげさせていただいたお経をあげさせていただいたのですが、妙佼先生も唱和してくださり、「おやじ! 私の言うとおり、世界万国に法華経の意味がわからせてもらえるような時期がきたじゃないか。しっかりやれ」と叱咤されたような気がしました。

  •    蓮華の花のように

     妙佼先生が亡くなられたのは九月十日ですが、八月十日ごろから全く別人のように変わって病苦もなければ、死ぬという恐ろしさもないというような状態で、あるものはみな、金庫の中にあるものでさえも、困っている人たちにあげてしまった。そんなに欲がなくなってしまっていいのか、と思うような状態で、自分の遺品の分け方まで全部お願いして大往生された。
     本日、ご供養申し上げるということを考えてみますと、妙佼先生は、八月十日には生きていらっしゃったけれども、心は極楽浄土へいっており、この日から仏さまになっていたと思うのです。そういう意味では本日が本当の二十三回忌かもしれません。
     きょうは、この仏さまのみもとの蓮華の大座に妙佼先生はちゃんとおいでになって、私共の修行ぶりをご覧になってくださっておると思います。
     蓮華というのは、泥田の中に根はあるけれども、花は水の上にクッキリと咲くのです。まず佼成会員だけでも、蓮の花のごとく、法華経をしっかりつかんで、どんなことにも動揺せずに、正しい指導をしていく。妙佼先生はこういうことを教えてくださったのであって、皆さんはひとつ、今日の世の中を本当に明るく清らかなものとするため、仏さまのみ心を心とし、仏子としての役目を果たすよう決じょうし、しっかりお導きされるようお願い申し上げます。

                         (脇祖妙佼先生ご命日式典より)

  •    蓮華の花のように

     妙佼先生が亡くなられたのは九月十日ですが、八月十日ごろから全く別人のように変わって病苦もなければ、死ぬという恐ろしさもないというような状態で、あるものはみな、金庫の中にあるものでさえも、困っている人たちにあげてしまった。そんなに欲がなくなってしまっていいのか、と思うような状態で、自分の遺品の分け方まで全部お願いして大往生された。
     本日、ご供養申し上げるということを考えてみますと、妙佼先生は、八月十日には生きていらっしゃったけれども、心は極楽浄土へいっており、この日から仏さまになっていたと思うのです。そういう意味では本日が本当の二十三回忌かもしれません。
     きょうは、この仏さまのみもとの蓮華の大座に妙佼先生はちゃんとおいでになって、私共の修行ぶりをご覧になってくださっておると思います。
     蓮華というのは、泥田の中に根はあるけれども、花は水の上にクッキリと咲くのです。まず佼成会員だけでも、蓮の花のごとく、法華経をしっかりつかんで、どんなことにも動揺せずに、正しい指導をしていく。妙佼先生はこういうことを教えてくださったのであって、皆さんはひとつ、今日の世の中を本当に明るく清らかなものとするため、仏さまのみ心を心とし、仏子としての役目を果たすよう決じょうし、しっかりお導きされるようお願い申し上げます。

                         (脇祖妙佼先生ご命日式典より)