メインコンテンツに移動
ユーザーアカウントメニュー
ログイン
Toggle navigation
Main navigation
ホーム
コレクション
お知らせ
規約について
お問い合わせ
利用ガイド
全資源タイプ
機関紙誌
教団史
動画
音声
写真
法話(テキスト)
貴重書
検索
すべて
メタデータ検索
全文検索
リセット
表示件数
18
30
60
90
120
並び順
関連度
作成日 昇順
作成日 降順
タイトルヨミ 昇順
タイトルヨミ 降順
詳細検索
コレクション
- すべて -
『庭野日鑛会長のこころ』~つれづれに想うこと~
『庭野日鑛会長のこころ』~書初めから~
法話選集
年頭法話
庭野日敬法話映像作品集(平和への願い)
心に生きる開祖さま
庭野日敬法話映像作品集(仏教三大行事と釈尊伝)
心が変われば世界が変わる
仏教者のことば
経典のことば
法華三部経の要点
庭野日敬法話映像作品集(教団史)
人間釈尊
お会式
スポーツ
立正佼成会映像作品集
らしんばん
e-story
- すべて -
庭野日敬の世界
資源タイプ
- すべて -
Text
Image
MovingImage
Sound
タイトル名
作成者
公開責任部署
- すべて -
アーカイブズ課
伝道メディアグループ
開祖顕彰資料室
佼成図書館
作成日(西暦 or 和暦)
地理空間情報
ヘルプページ
17 件中の 1 件目~ 17 件目を表示
リスト
サムネイル
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
【音声】
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
1
...法話コード=開祖-1957-10-05-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=故恩師妙佼先生追悼説法会 日 時=1957(昭和32)年10月5日 録音分=31分 場 所=第二修養道場 出席者=庭野日敬会長(葬儀委員長)、長沼理事長(遺族代表) 会員約5万人 掲 載=『交成新聞』1957(昭和32)年10月15日号1面 見出等 「恩師妙佼先生追悼会」 ...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
2
...○司会 ただいまは、遺族を代表していただきまして、長沼理事長さんのごあいさつをちょうだい致しました。 それでは次に、葬儀委員長としての会長先生より、ごあいさつを賜りたいと思います。(一同 拍手) 会長先生より、ごあいさつをちょうだい致します。(一同 拍手) ○庭野会長(咳払い) え、この度の妙佼先生ご遷化に対しましては、先ほど来、副委員長の柴田先生からご報告がありましたようの経路をたどりまして、(咳払い)支部長さんはじめ幹部諸氏の絶大なるご協力によりまして、滞りなく葬儀は立派に終了致しました。本日まで(咳払い)26日を数えました。なお、ただいま理事長さんからもお話がありましたように、支部長さん方によりまして、毎日お山におきまして、ご給仕をさせていただいております。 先生の思い出は、もう語れば、どこまでいっても果てしがないのであります。なお、岩船さんからも、そういうようなことがいわれましたが、先生を失いまして、まだ、20数日たちますけれども、頭の中はすっかりと整理ができませんで、先生の思い出は皆さんの前になんとか綴って、せいとうい(正当位)にお話をしなければならない、思いつつもそのことがまとまらないのでありまして、ただ漠然とこの5日のご命日に追悼会をやる、その時ごあいさつをしなければならない。こういうようなことで本日まで、日(ひ)を過ごしてまいりましたような次第でございます。皆さん方の追悼の言葉を伺っているうちに、次から次へとあれもそうであったな、そういうこともあったなと、そう思い出しておったような次第でございます。第七(だいなな)支部長さんが、会の創立当時、一緒に歩くというと、体格が違うので、わたしのあとからとぼとぼと歩くのに、駆け足のようにして一緒に歩いたと、この言葉をひとつ聞きましても、全くそうであった。しかも、先生はわたしよりお年が17(じゅうしち)も上である。現在のわたしは、ちょうど先生が交成会が始まって3年目ぐらいの時期の年である。しかるに、どこへ行くのにもいろいろ皆さん方の真心によりまして、本当に下駄を履いてとぼとぼと歩くというようなことなく、車に乗って歩かしていただいている。しかも、体格も先生よりもこれだけ大きな体格に恵まれている、こういう、るるの条件を考えましても、いかに、体をすり減らすような修行をされたか、全く無理の修行を重ねて、させてしまった。非常に求道の友として、善知識として、本当にいい師匠であり、友でありましたが、それに任せて、自分の体の血気に任せて、次から次へと無理を重ねさせてしまった。 こういうことを考えますときに、もう感慨無量でございます。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
3
...いつもほうぼうを歩きますのに、よくあんたは手を振りますね。とそんな悪口をいったのであります。先生は本当に真剣で歩くのですから、どうしても歩くのに勢いこの手をこう振らなければ続いて歩けないから、一生懸命で足だけでは歩けないので手を一生懸命使って歩いたんでありましょう。そうして毎日のように、信者のところを、少し遠いところは自転車に乗っけて、さらにもっと遠いところでは、現在のようでなくいろいろ乗り物は不都合でありまして、沼袋まで乗りまして、第八支部のほうへまいりますときには、電車に乗ったもんでございます。または、(咳払い)野方方面のあの辺には、ほとんど歩いていつも出かけたのであります。そうして、夜遅くまで、あちらこちらと、その信者のために、あそこに行かなくちゃ、ここに頼まれているということで夢中になって、わたしどもは交成会の創立当時を思いますと、大きな会をつくろうとか、人に認めてもらおうとか、そういう考えは毛頭ございません。ただただ自分にまつわるところの因縁に、そうした不運不幸な方とそうした縁を結ばれまして、一人でも多くの人が早く幸せになっていただきたいと、それよりほかに何も考えませんで、映画を一度観に行くでなし、芝居に行くでなし、もう22年前にお導きをさせていただきましてからというものは、毎日(まいじつ)のようにご法のことよりほかになんにも考えないで、一意専心、もうそのことだけに、一切を投じられたわけでございます。 いたって、のんびりしておりますので、先生のようにのんきでは困ります。そんなにのんきなことをいってはおられませんというので、常にむち打っていただいたのでありますが、それにもかかわらず、おいでになるうちはついわがままをいったり、よく先生が、人間の皮をかぶっているうちは、なかなか人間は正しいことができないんだ。全く真のサンゲに徹しられて一代でございました。確かに人間の皮をかぶっているあいだは、(咳払い)いろいろの感情あり、欲あり、いろいろの周囲の環境あり、その支配を全然受けないということはこれは不可能でございましょう。これをはっきりと、先生はつかまえての言葉であったんでありましょう。人間の皮をかぶっているうちはなかなか正しいことはできないんだといわれました。その先生が、いま、不滅の道(みち)に入られまして、いよいよ先生にはもう、そういう一切の業障というもの、一切の障りのない、本当の無垢清浄の魂になられまして、常に皆さんが道場の輪のなかで語られておりますところの陰の守護の役に回られたわけでございます。その後(ご)のいろいろの出来事を見ましても、いかに陰の守護の甚大であるかということを如実に現わしていると思うんであります。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
4
...こういうことは最近のはやりだという、ただ自分の慰みだといわれればそれだけでありますが、例えて申し上げてみまするならば、(咳払い)過日も(咳払い)東京都の選抜チームとして野球が、野球チームが東京都で8チームの中に選ばれて、選抜野球大会に、駒沢大学の、あのグランドに行きまして、やったのでありますが、実際にそのチームの力としてはお互いに同等のように皆さんが非常に練磨を積みまして、軟式野球としてはほとんど現在ではこの8チームとも五分五分でございます。 ところがその試合が、いずれも最後の九回の裏にいって初めて、最後のサヨナラの1点を入れるとか、または10回戦によって、人事を尽くして最後のご守護をいただくとか、これは準決勝も決勝も2回ともそういう刹那にいきまして、もう人間同士の、チーム同士の力は全然差のないところを、交成チームにその凱旋をいただいたというあの状態も、先生は一切の貯金を全部下げられたときに「野球部員はどうしているだろう」わたしがそばに行きますといいましたら、非常にあのスポーツは骨の折れるスポーツで、体でもって、ちょうど法華経と同じように、皆さんが本当に異体同心となって9人のチームが、チーム・ワークがとれて、心の疎通が本当に一糸乱れぬところのチーム・ワークができて、初めてその成果が上がるんだ、そのために非常に皆さんは重労働以上のあれは過激の労働でございます、いう話をしましたら、そうだ、会長先生と岡野さんが好きだから、それじゃ、これをもってって選手にあげて下さい、いってお金を十万円下さいました。さっそく岡野さんを呼びまして、これを野球部員に伝達したわけでございます。 そういうようなことが、ことし、わたくしどもは悲しみのなかに、先生を失って本当に悲しんでるなかに、それほど交成チームが特別の選手をほうぼうから引いたわけでもなく、成り行きにまかして、皆さんの精進にまかして、皆さんのチーム・ワークによってこういう成果が現われる、いうことも、やはりこれは目に見えないところの陰の守護があればこそ、そういう成果があるんである。また、ほうぼうの、こんどの大会におきましても、名古屋におきまして、雨に降られれば、雨が降ったことによりまして、お百姓さんが、だいぶ忙しいのに、雨のために悠々とお話を聞きに来られたというので、あの有名な体育館が、もう、立錐の余地もないほどたくさんの方がお集まりになって、その説法会を聞くことができた。いろいろなことを思い合わしてみますると、本当に生前中、いっときも、ご飯を食べながらもご法の話以外の話はちっともしない人で、ですから普通の方でありますというと、どうも面白くもない、明けても暮れてもご法の話だと、こういうようにいわれた方もあるのであります。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
5
...人がなんといおうと、ひとたびこの法華経の菩薩修行に入られましてからというものは、22年間のあいだ、病の床の中にあっても、ひたすらに人さまのお幸せになること、いかにしたら皆さんが幸福になるか、どうしたら世の中が救えるかということより、何もほかのことは考えておらなかったのでございます。こういう先生が、何回か皆さんにもこういうことを、そばにおる方々には申し上げたのでありますが、わたくしは非常に体も恵まれておりますし、割合と生まれた環境が両親も19歳までおりまして恵まれておりました。そして、いろいろの角度から自分は非常に人さまに奉仕的の気持ちをおじいさんに教えられて、自分で考えておった関係か、奉公にいっても、兵隊にいっても、小言をいわれたことがない、こういうようなうぬぼれた自分は考えをもっていた。 陰ひなたなく稼いで、他人さまに、良心に恥じないような行ないさえしてれば、主人といえども、又、軍隊のあの、軍規の中においても、人さまに決していろいろなことをいわれる必要はないんだ。わたしの通ってきた人生というものは、真心で、自分がまじめにやっていれば、何も小言をいわれる必要はない、こういうようにうぬぼれた、わたしは考えをもっている人間でございます。いろいろのご法に、信仰上あっちこっちと行きましたが、どこの先生に行きましても、ほめてはいただきますが、叱られたことはなかったのであります。 ところが、交成会になりまして、一生懸命に火花を散らしてふたりで、いろいろ皆さんをお導きをする、そのなかに、いろいろな角度からわたしの欠点をいって下さる方は、妙佼先生以外にないのであります。箸の上げ下ろしにいろいろの小言をいわれ、いわれることに一理あるなというふうに有り難く感じて、受けているときもありますが、時によるというと、わたしは親にも小言を言われたことがない人間だ、あんたばかりはよくそう小言をいいますねときには、いろいろの信仰者として恨んではいけない、憎んではいけない、憤って(いきどおって)はいけないとか、いろいろのことをいいますので先生は、悔しくなければ、小言はいえないのだよ、悔しくしていただいて、小言いわしてもらうのだというようなことまでいって、いろいろ鞭撻してくだったのでございます。 そうして一代あれほど小言を、箸の上げ下ろしまいっていただいた方が、なんと最後に何をおっしゃるかと、思いますと、かつて交成会の顧問でいらっしゃいますところの、波木井さんが、波木井さんのお母さんが、非常に波木井さんに小言をいったそうでございます。36歳になっても、何かちょっと返答致しますというと、たたみこまれて、お座りなさいといって小言をいわれたということを聞かされております。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
6
...そのお母さんが、最後に、遺言の中に、遺言状の中に、亡くなったら、岩田上人に大導師として引導を渡していただきたいということを書いてあったそうでございます。それと同じように、これほど小言をいってくだすった方が、亡くなる15日ぐらい前ですか、気分のいい時にいろいろの想い出話をしておるうちに、わたしは、本当に人間の皮をかぶっているものというものは、ことごとく信じられないものばかりだと、本当に信じられるものというものは、世の中にいないと思っておった。しかし、会長先生だけは信じましたね、先生の言葉をわたしは信じて、22年寿命を増益しました。こういうことをほっといわれましたので、びっくりとしたのでございます。こんなに小言をいって、わたしのことをいろいろおっしゃってくださった方が、そんなに信じておっくださったのかと、不思議に思ったのであります。ま、いろいろな話を、その日は気分がよくてされたのでありますが、そのころから、もっとも本当によく岩船さんが、かゆいところに手の届くように、夜、休んでおりましても、ちょっと咳をひとつしても、すぐに起きて、おなかを押さえるというように、岩船さんは、全然毎晩眠らないのじゃないか。 右と左に、両側にわたしと岩船さんと休ましていただいておりましたんですが、いつ咳をしても、わたしが、早く押さえてあげようと思って目を覚まして、ひょっと起きるうちに、もう岩船さんがちゃんと咳を始めると、おなかを押さえている。こういうふうにやっていただきましたので先生が、岩船さんには本当に世話になった。本当に有り難い、これをくれぐれもいっておりました。 また、次にいわれることは、交成会が、今日(こんにち)こうして会長先生を自分のそばに看病にいていただいて、三月(みつき)も四月(よつき)もこうして会のことをちっともかまわないで、わたしのことにかまけていただいているんだと、しかし会は、ちっとも心配なく、すくすくとこうして育っておることは、幹部さん方のご努力なんだよ。、本当に幹部さん方には頭が下がるといって、皆さんに対して心から感謝をされておりました。ともども本当にその通りで、幹部さんあればこそ、こうして毎日、わたしどもはそのお役として、先生のそばで看病さしていただけるんだと、いうことを語りあったのでございます。 しかし、だんだんと食べものも細くなってまいりますし、いろいろの角度から、いよいよ不吉を感ずるようの思いが、1週間、10日(とおか)ほど前からしたのでございます。しかし、最後になればなるほど先生は非常に朗らかになりまして、それまでは多少足がかったるいとか、あそこが痛いとかいうこともありまして、夜でも、少しもんでくれとか、さすってくれとかいうことがあったのが、亡くなる10日(とおか)くらい前から、もうあんた方もたいへんだからというので、咳でもして目が覚めて起きますと、もう咳が定まるというと、ほっておきなさい、ほっておきなさいほっておきなさいと自分で、笑いながら、それじゃほっておきましょうというようなことで、合言葉で、一緒に岩船さんと両方に寝かしていただいたわけであります。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
7
...そういうよう、全く病人のそばにいるようでなく、むしろわたしどもを喜ばしてくれるような言葉をはかれて、ちっとも苦痛というような顔をされないで、10日(とおか)ほどのあいだは、誠に愉快な状態であったのであります。 最後は、先ほど第一支部長さんがなされましたように、8日(ようか)の夕方だけは、いつも夕方、第一支部長さんと理事長さんが、本部のほうがすっかり終りますというとおいでになる。そうすると、もう早く帰りなさい、うちへ早くお帰りなさいといって、追い返すようにいつもいった。ところがその日に限って、理事長さんが階段の下りるところにまいりますというと、もうお前帰るのか。いや、帰るわけじゃありませんが、いまこの戸をはずしたのでございます。ま、わたしがそういいますと「そうか」といいますから、わたしが目で合図をしますと、理事長さんは帰ってこられる。そうすると、先ほど第一支部長さんもおっしゃったように「少し、他人さんにこんなに世話になっているのだから、あんたは少し代わりなさい」ということをいわれまして、わたしにお風呂に行ってきてくれといいますので、わたしはお風呂へ、お風呂をいただきに下に下りたのでございます。 お風呂場に行ってほんの5分もたたないうちに理事長さんがおいでになったから、「どうしました」と聞きましたら、「もうとてもよく休まれました」。こういうことで、「そうですか、それはよかったですね」いうのでわたしも安心を致しまして、お風呂をいただいて2階に上がって見ますると、本当によく休みまして、いつもにない非常に呼吸も楽で、すやすやお休みになっているので、安心して、その晩は、ひと晩中ちっとも起こされないで、3時ごろ1度目を覚まして見たのですが、相変らずいい気持ちで、高いびきで寝てられますので、そのまま朝まで休みました。朝になって、病院の主治医さんをお迎えするまでは、本当に熟睡しているものとばかり考えておりました。主治医さんをお呼びしますというと、岩淵先生が非常に丹念に診察をされますので、どういうわけかと聞きますと「ちょっと様子がおかしいです」ということで「どういうわけですか」と、「こんなによく休んでいるのに」「これはただではありません」ということで慌てたのでございます。 そういうように全く、病気をされてもすべてのことを、全部自分がなすべきことをされて、そして、しかも残されたものは全部、「会長先生と岩船さんで、皆さんのおかげでこんなにわたしは幸せにしてもらったのだから、残った品物は、全部支部長さんや皆さんに分けてやってください」ということを頼まれまして、えー、「理事長さんもみんな知っているんだから、いいやなあ、先生と岩船さんにもう、みな、すっかりお願いしておくから」というようなことを20日(はつか)ほど前いわれた。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
8
...その後、亡くなる2、3日前になって、またさらに、一切のことを全部お願いしますというようなことをいわれますので、なんだかどうも変だと思っておりましたところが、やっぱり先生は、自分ではもう時期が来てるということをおわかりになったんでしょう。わたしどもの目から見ますると、よく休んだとか、食べものを毎日、普通1日3度ずつ、3度の食事を、間違いなく食べていただける、こういうことで安心しておりましても、自分ではもういろいろのこと、「もう、ただではないよ」というようなことを前、前の日にいわれました。前の日は、お医者さんを呼んでくれということを四度(よたび)いわれました。しかし、外見から見ていますというと変わりがないようなので、わたしどもには、どこがどの程度苦しいのかわからなかったのでありますが、先生には、相当9日(ここのか)の日は苦しかったんだろうと、いまになって想像するのでありますが。 そういう経過をたどりまして、まったく久遠のかなたへ、眠るがごとく大往生されて、滅せられたのでございます。 その後(ご)、(咳払い)全国の会員の皆さん、または幹部の皆さま方が、おのおのがそのお役お役を全うされまして、立派のこんな葬儀もしていただき、さらに亡くなられてその後(ご)、ずっと切らさず、毎日支部長さんが五、六人(ご、ろくにん)ずつ交代に毎日夜も徹夜でお給仕をしていただき、皆さんの真心からなるあの告別式、いろいろのことを思い合わせて見ますると、どんなにか故人は満足されて、皆さま方に心から合掌していられると思います。 またわたしどもの、一生懸命、今後正しいご法をお伝えするというこのお誓いに対して、先生は、陰から、いままで以上に大きな力をもって、わたしども守護してくださることをわたしは信じて疑いません。一代を法華経に捧げられまして、色心二法を本当に行じられましたところの立派の大導師を、あの偉大なる宗教家を失いましたことは、わたしどもとして誠に、返す返すも惜しいことでございますけれども、これは生者必滅、会者定離の約束でございまして、なんとも致し方ございません。 お釈迦さまがご入滅の前に、大導師を失ったあと、どうしたらよろしいでしょうか、という質問をされたところが、お釈迦さまは、だれを中心に法をいきましょうかという質問に対して、だれもいらない。自分を灯明として行けよ。法をともしびとして行けよ。自灯明と法灯明ということを教えられたのでございます。宗教は、お互いに縁によりましてお導きを受けて、むちを打たれて、お互いが手をとられて最初は出発致しますのですが、人さまの、人さまを媒介致しまして、いろいろの教団の組織とか、または熱心の信者とかいう方の媒介によりまして、信仰に導かれて、そしていろいろな方便をもちましてお導きをいただくのでございますが、最後へいきますというと、一切のことはやはり自分でありまして、自分をともしび、自分が間違ったことをしておって、どんなに仏さまや神さまにお願いしても、ご利益は出ません。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
9
...自分そのものの行動が、皆さま方に亡くなられた後(のち)までも慕われるような人にもなり、または25万の方々から、本当に惜しまれた告別式にお送りもしていただけるということも、これは本当に自分そのものが、立派にご法をともしびとして、ご法のとおりの行ないをしたことによりまして、初めてそういう成果があるのでございます。 わたくしども仏教徒と致しまして、おのおのが、仏心を持ちましたところの、最初はお導きをしたとか、されたとかいうことは、縁はそれにありますけれども、終局におきましては、自分自体が本当に正しい、仏さまとおんなし気持ちになって、同じ理想をもちまして、同じ立場に立たれまして、世の中のために、社会のために、宇宙のために、世界人類のためにわたくしどもは働かなければならない。そういうご法が、すなわちわたくしどもの日々(にちにち)、所依の経典としておりますところの法華経の経典でございます。その経典、ご法のとおりにわたくしどもが精進することによりまして、ご法をともしびとしていくことによりまして、わたくしどもは2陣3陣と妙佼先生と同じような人格を完成して、そして大往生を遂げて、人間としての生きがいを感ずることができるのだと、わたくしは信じておるのでございます。 どうか仏教の本質をわたくしどもは考えまして、お釈迦さまは最初にお悟りを開きましてお説きになりました最初に、四諦の法輪を説かれて「生老病死を説き、涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求めるものには、十二因縁の法を説き、諸々の菩薩のためには阿耨多羅三藐三菩提を説いた」ということでございます。 その涅槃にいうところの大法(たいほう)というものは、やはり自分が本当に仏教の教義に則りまして、戒定慧の三学を行じまして、六度の教えをわたくしどもが忠実に実行しまして、菩薩道を行ずることによりまして、一人ひとりが仏さまに近くなり、仏さまに近い人格をわたくしどもが完成をしまして、一代の修行としなくちゃならないのであります。 どうかこの際に、先生をお慕いする気持ちを、本当にご法に一切を捧げて、先生と同様の生活をすることを、ここに大本尊の前にともどもにお誓いを致しまして、今後の精進に拍車をかけることをお願い致しまして、本日のごあいさつに代える次第でございます。 ありがとうございました。(一同 拍手) ○司会 ただいまは、会長先生より、ごあいさつを賜りました。 それでは、お題目を三唱させていただきます。...
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
【音声】
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
1
...法話コード=開祖-1979-04-11-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会 日 時=1979(昭和54)年4月11日 録音分=19分 場 所=ロンドン、ギルド・ホール 出席者= 掲 載=『』 見出等 ...
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
2
...○庭野開祖会長 (一同 拍手)(咳払い)ご来賓の皆さま、議長、(咳払い)そして紳士淑女の皆さま、このたびわたくしは、(咳払い)はからずも、素晴らしい、テンプルトウしんを、(咳払い)テンプルトン賞をちょうだい致しましたが、世界には、わたくしよりはるかにすぐれた宗教上の、業績をあげられた方々がたくさんおられますにもかかわらず、わたくしに受賞の光栄を賜りましたことを、心から感謝を申し上げる次第でございます。と同時に、わたくしとともに世界宗教者平和会議のために、過去10年間にわたって協力してくださった同志の方々の賜物であることを、特に申し添えておきたいと存じます。 講演に当たって、まず申し上げておきたいことは、わたくしは学者ではございません、え、ただ仏陀(ぶつだ)の教えのままに実践している一(いつ)仏教徒にすぎないということであります。そのわたくしが、いま、足りないながらも、人びとの幸福と世界の平和のために、努力のできえました、ことは、少年時代に受けた祖父からの影響であるということであります。 わたくしは、日本(にほん)の北部にある新潟県の山の中の寒村に育った者でありますが、わたくしをかわいがってくれました祖父が、どんな小さな虫でも、自分で食べるぐらいのことはしているではないか、まして、人間として、生まれたからには、世のため人のために役立つ人間にならなければいけない、ということを常々わたくしにいい聞かせるとともに、自らも村びとの苦しみ、悩みのために献身しておりました。その祖父の言葉と、姿がいつしかわたくしの意識の底にしみこんだのでありましょう。のちにわたくしをして宗教の世界に目を向けさせる要因となったことは確かでございます。 さて、現在のわたくしの精神的な土台となっているものは、申すまでもなく、仏陀(ぶつだ)の教えであります。菩薩としての使命感であります。ところが、仏教のいちばん根本の教えとなるものは、三法印であるといっても過言ではございません。その三法印とは、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、この三つを申します。その第1番目に諸行無常とは、一切の、現象は時々刻々に変化をするということであります。心も物質も、固定、不変と見える木や石さえも、常に変化をして、えー、おります。えー、物質の究極のものとして、不変と思われておりました原子でさえも、その内部では、常に動き、変化していることが、近代科学によって明らかにされております。 ましてや、わたくしどもの体もまた、時々刻々に変化をしてることは申すまでもありません。 とは申せ、人は老い、やがて滅する、そのような、はかない、意味での変化を中心に仏陀(ぶつだ)は、この諸行無常を説かれたのではありません。...
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
3
...すべてのものは変化する、変化するものであるからこそ、現在の瞬間、瞬間にベストを尽くせというのが真の仏陀(ぶつだ)の教えであり、それはまた、おごれる者に自省を促し、不幸の者に希望を与えて、精進せしめるというそれがこの真理を仏陀(ぶつだ)が説かれた真の精神であります。 第2番目に、諸法無我でありますが、この諸法無我とは、すべてのものは他(た)と関係なしに孤立して存在するものではないということでありまして、すべてのものは、相違相関の間柄にあるということであります。 わたくしが、東京からロンドンに飛行して、来るためには、操縦するパイロットをはじめ、安全飛行のために絶えず地上から通信を送ってくれる人、機械を整備する(「しゅる」と発音)人、燃料を補給した人、機体の材料である鉱物を掘り出した人、機体を設計した人、というように見てまいりますと、1機の飛行機はまさにジェットエンジンの推進だけではなく、世界中の真心によって支えられて飛ぶことができるわけであります。そのような、(咳払い)そのおかげさまで、わたくしをいまこうして皆さまの前へ出ているわけでございます。 もっと突っ込んで考えてみますと、機体のジュラルミン(「ジュウラミン」と発音)やチタニウムのような原料である鉱物も燃料も、人間がつくって地下にうめたものではなく、自然から与えられ、それを利用しているにすぎないわけであります。ところが人間は、それに気づかず、自分の力だけで行動し、生きているという傲慢さをもつようになったことは、反省すべきでありましょう。あるいはまた、自然との調和ではなく、自然を征服するという驕慢さによって人類はいま、公害や資源の枯渇というかたちで、自らの首を絞めているのが現状ではありますまいか(咳払い)。 さて、諸法無我についてお話を致しましたが、ここで出てくるのは、仏教のいま一つの大事な教えであります。それは縁起ということであります。縁起とは、一切のものは縁によって起こるということであります。現在、わたくしが着ておりますこの衣服も、日々(にちにち)の糧(かて)である食料も、自分以外の人々の勤労の結果を縁とし、この心もあらゆる出会い、すなわち体験と知識を縁として形成されております。そうして人間は、あらゆる縁の中で生かされているというわけであります。人間社会はあたかも、網のようなものであって、自分という一つの網の目は、他(た)の網の目によって保たれ、また自分という一つの網の目は、他(た)の網の目にとってなくてはならぬ縁(「いん」と発音)となっている、うー、のであります。 ところが、今日(こんにち)の人びとは、物とか金(かね)とかいう目に見える物質的なものだけにとらわれすぎております。...
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
4
...わたくしたちはこの縁起の世界、目に見えない世界というものに目を向けなければなりません。いまや他(た)の天体のことまでわかっている人間ではありますが、自分自身の存在が、なんによって支えられているかということを知らぬのはまさに悲劇(「へいぎ」と発音)であります。え、世界に例をとって見ましても、日本(にほん)はもとより、ソ連でさえも、アメリカから大量の食糧を輸入しなければならないという時代に、絶対のもの、究極のものに近づくための手段にしかすぎない、イデオロギーのために対立するということはじつに愚かなことであります。長い歴史の流れからすれば、イデオロギーは、その時代時代の衣装にすぎない、といっている人がおります。しかし、人間は衣装だけでは幸せにはなれませんし、生きていくことさえできません。特に近代におけるイデオロギーの、ほとんどが、対立闘争の中で自分の存在を確立していくという考え方で、考え方がつおいように思われます。自己の利益のみを中心にして主張し、その拡張をはかる、そうした考え方にとどまるかぎり、憎しみと争いから脱却することはできません。 事実、人類の歴史は争いのくり返しでありました。個人と個人とのエゴの相克、偏狭なナショナリズムの衝突、帝国主義、労使のあいだの争い、すべてが自分がなんによって生かされて、存在しているかを忘れた、近視眼的独善的な発想に由来するものであります。 いまわたくしは、諸行無常について、しょ、諸法無我について、そして縁起について簡単にふれてまいりましたが、人口の増加、資源の問題などを考えますと、人類生存のためには、まだいくつかの紛争があるにせよ、ナショナリズムから地域主義に、そして地球主義から世界共同体の、建設に向かわざるをえないと思うのであります。 そして地球という一つの船に乗った人類家族という考え方が、芽生えつる、芽生えつつある今日(こんにち)、人間の心の平安と幸福、世界の平和の、を至上目的とする宗教が、宗教用語や儀式形態の差こそあれ、互いに反目し合ってよいはずはありません。 第二バチカン公会議において、わたくしは、いまは亡きパウロ六世猊下にお会いを致しましたとき、猊下は、仏教徒のわたくしに向かって、キリスト教徒、キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がまたキリスト教徒のために祈る、そのような状態にならなければ、宗教が人類に貢献する道はない、いまや人類という言葉は、隣人という言葉と同じ意味になりつつある、と申されました。そのときわたくしは、宗教者は、宗派の壁を、(咳払い)、しゅう、宗派を隔てる壁を打ち壊し、その壊れた小石をもって断絶の溝をうめなければならんと決心を致したのであります。...
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
5
... すなわち、世界平和の達成には、政治の、イギの、エゴのみならず、人間精神の改革が必要であり、そのためにはまず宗教そのものが、ルネッサンスが必要ではないでしょうか。 爾来(じらい)、わたくしは、世界の宗教、まずキリスト教をはじめ、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、シーク教、神道(「しんどう」と発音)、仏教などあらゆる宗教者の心ある人びととともに、争いではなく協力を、奪うことではなく惜しみなく与え合うことを、そして学び合い、互いに力を合わせて平和を阻害する要因を除去するために、世界宗教者平和会議を組織し、努力してまいったのであります。 すでに述べたごとく、わたくしたちは、いま一度、すべてのものは変化してとどまることがないという諸行無常の真理を忘れて、相対的な物質のみに執着し、あるいはまたわたくしたちが、諸法無我という真理を見失って、天地のすべてのものに支えられているという事実、目に見えぬものを、ものに生かされているという事実に気がつかぬために、感謝を忘れ、愚痴と怒りと貪(むさぼ)りの心のままに生きていないかを互いに反省したいものであります。 さて、第3番目の涅槃寂静でありますが、いま述べた、愚痴と怒りと貪りという、この誤った心を、仏陀(ぶつだ)は煩悩の炎に譬えておりますが、その煩悩の炎を吹き消した状態を梵語で、(咳払い)ニルバーナ、つまり涅槃寂静と呼ばれるのであります。この煩悩の炎を吹き消した、安穏の境地に達することが、仏教徒に与えられた一つの命題ということができましょう。つまり、いまを去る二千五百余年前(ぜん)、仏陀(ぶつだ)は、人びとが煩悩の炎によって自らを焼き尽くそうとしておる危険性に警鐘を鳴らされたわけであります。ただし、ここで注意しなければならないことは、とかく自分の涅槃寂静だけに安住し、現実の改革に取り組むことを忘れがちであることを、わる、(咳払い)忘れがちであることに対して、わたくしたち仏教徒は、十分に留意する必要がありましょう。 最後に、わたくしは、昨年6月、国連軍縮特別総会において提言の機会を与えられ、カーター大統領閣下、ならびにブレジネフ書記長閣下に対し、軍備のために危険を冒すよりも、平和のために危険を冒すべきである、と申し上げました。もとより宗教者としてのわたくしの声は小さく、弱いことをわたくし自身がよく存じております。 しかし、核の脅威、そして人類の3分の1(いつ)が餓死線上にあって、年に約600万人の人たちが餓死しているということをいわれております。さらに、残る3分の1(いつ)が、腹ふくるる思いをしている不均衡を見るにつけ、わたくしたちは、これで果たして、よいなだろ、よいのだろうか、という問題意識をもつべきでありましょう。...
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
6
...世界にはまだ文盲(「ぶんもう」と発音)の解決よりも、まず、パンが問題のところがたくさんございます。 わたくしども立正佼成会におきましては、いままでにカンボジアにおいて子どもたちの学校をつくり、農業の指導を行い、ラオスでは信仰の中心である国宝タートルワン寺院の修復に取り組んだことがございます。 しかし、それらの事業は、戦争による政変によってあえなく放棄せざるをえませんでした。さらにベトナム難民の救助、バングラデシュの子どもたちへの食糧援助、ネパール女性の日本(にほん)における看護婦養成などを、微力ながらも続けておりますが、それはまだ事態を揺り動かすほどの力にはなっておりません。 かつて1974年、第2回、せいかい、世界宗教者平和会議を、ベルギーにおきまして、(咳払い)スーネンス猊下のご協力によりまして、ルーベン大学内で行わしてもらいました。そのとき英国の新聞記者から、わたくしは、こういう質問を受けたことがございます。「あなたはいろいろと平和のために努力しているようだが、効果はあがらないのではないか」と。そのときわたくしは答えました。「いや、こう、効果がなかなかあがらないからこそ、わたくしは一生懸命にやっているのだ」と。皆さん、それこそが、損得や利害打算を捨てた、宗教者の使命ではないでしょうか。 今日(こんにち)までわたくしは、平和のために宗教者として何をなすべきか、何をなしうるかを模索しつつ実行してまいりましたが、確かにその歩みは遅く、足跡(そくせき)は失敗のくり返しであったといえるかもしれません。わたくしは、一つのことをしようとして失敗した、あなたもまた同じように失敗した、しかし二人が力を合わせれば、できることがたくさんあるに違いない、そうした思いのもとに、わたくしは、世界の宗教者を糾合(きゅうごう)して、世界宗教者平和会議の活動を行っておるわけであります。おそらく、今回の、テンプルトウ、(咳払い)トン賞は、神仏がわたくしに、迷わずにその道を行け、(間)、との、(間)、ご啓示をくだされたもので、ものだと存じます。わたくしは、(間)この受賞に深く感謝をするとともに、今後の努力をしてまいる覚悟でございます。 以上を申し上げまして、わたくしの講演を終わりたいと存じます。ご清聴、ありがとうございました。...