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鍬入れの儀
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地鎮祭
【写真】
交成新聞 創刊号 続々できる社会施設
【機関紙誌】
建築面から見た佼成会
交成新聞 創刊号 続々できる社会施設
建築面から見た佼成会
1
...続々できる社会施設 建築面から見た交成会 現在、本部大聖堂をはじめとして学校新築、病院増設、地方道場建設、そして武道館が七月半ばに完成をみるがこの相次ぐ建設工事の進行状態を長沼広至理事に語つてもらつた。建設部門を大体三つに分けると立正交成会関係、学校関係、社会事業関係に分けられる。いずれも両先生の主旨にそつて理事会でとりあげられたものが着手の運びとなる。まず第一番に本部大聖堂建立で基礎工事は大体落着し、建築許可のおり次第、本格的工事にかゝる。各地方道場も次々と建設されているが布教と信者の構成、交通状況、将来の発展性そして一番大切な信者の熱意などを睨み合せて建設されてゆく、現在、大月、小湊、名古屋など約八カ所が会員の熱望に応えて着手、竣工を急いでいる。 社会事業方面としては日増しに利用者の多くなる交成病院が建坪(延)四五〇坪、地下一階、地上四階鉄筋コンクリート建の病棟増設を計画中。そのほか、埼玉に養老院の建築も土地買収完了、資金の都合つき次第着手される。学校関係では交成学園男子部が延八、〇〇〇坪、鉄筋コンクリート四階建で円形校舎の前に新築の運びとなつた。これで教室数は円形校舎を加えて三十一室となる。来年三月入学期までに完成の見込。また中野区広町一八番地にある現場営繕課事務所に隣り合つて武道館が六月から着手されている。七月半ばまでに完成予定。坪数延一三三坪、一七〇畳敷大道場である。これは剣道、柔道など若い青年男女の心身たんれんを目的として建設されている。青年部の集いにも使用される。交成学園女子部でも資金とてらし合せて増設が考えられている。学校は天理大学を目標としているが、より内外共に充実したものに伸ばしてゆく。 アジア民族を再興するものはやはりアジア人でなければならない。そうした事から近い将来に海外布教が予想されるが、そのときにはしつかり教育を身につけたここの卒業生が中心となつて活躍して行かなければならない。語学面にも優秀な指導者を招へいして力を注いでゆく。すべて形だけが整つても内容が死んでいては何もならない。建物の建設だけでなく、内容的な建設もしつかり打ち立ててゆくつもりである。 (写真説明) 長沼理事 ...
『交成新聞』創刊号
【写真】
お会式
【写真】
お会式・交成育子園園児班
【写真】
交成新聞1956年10月15日お会式
【機関紙誌】
豪華絢爛!本部お会式。交成会お会式の歴史、お会式の起源。
大聖堂 基礎工事
【写真】
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
1
...法話コード=開祖-1978-06-12-A 先生名=庭野日敬開祖会長 行事名=国連軍縮特別総会で宗教者として提言 日 時=1978(昭和53)年6月12日 録音分=14分 場 所=国連 出席者= 掲 載=『』 見出等 ...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
2
...○庭野開祖会長 (咳払い)この特別総会が、世界宗教者平和会議の一員であるわたくしに、提言の機会を与えてくださいましたことに対し、まずお礼を申し上げたいと存じます。 わたくしは仏教徒でございますので、仏陀の言葉を引用(「えんよう」と発音)させていただきますが、仏陀はこの世界を称して、「三界は安きことなし 猶火宅の如し」と申されております。人間のあくなき貪欲(とんよく)と、それから生ずる奪い合いや争いのために、人類は自ら苦しんでいるという世界の状態を、仏陀は火宅をもって譬えられているわけであります。 事実、わたくしどもはすでに、広島、長崎において文字どおり、その火宅の苦しみを経験してるにもかかわらず、依然としてこれを反省せずにおることを、仏陀は嘆かわしく思っておるのであります。 われわれ宗教者の過去の歴史は、偏見と憎しみの歴史でありました。しかしわたくしは、宗教の目指すところは一つであるという信念をもっております。ところが、ローマの法皇パウロ六世猊下が、1965年の第2バチカン公会議において、過去2,000年の歴史をくつがえして(「くづかいして」と発音)異教徒のわたくしをお招きくださり、「キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がまたキリスト教徒のために祈る。宗教者がそのようにならなければ、人類に貢献する道はない」という、そのときのお言葉をわたくしは忘れることができません。 こうして、10年間にわたる宗教協力活動を積み上げた結果、世界宗教者平和会議は誕生し、その国際本部を国連の前に設置致しておるわけであります。そして現在、世界宗教者平和会議は60カ国以上の主たる宗教の代表によって組織され、戦争の放棄、さらに一歩すすめて、戦争を起こしかねない条件の排除を大きな目的として、努力を致しておるのであります。 京都で開催されました第1回世界宗教者平和会議では、「軍備に基づいて築かれた社会は、正義に基づいた社会を否定するものである。よって、軍縮の達成なくして真(しん)の平和もまたあり得ない」と、宣言を致したのであります。 わたくしども、仏教徒、神道(「しんどう」と発音)、キリスト教徒、ヒンズー教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒など、などをはじめとする世界の宗教者は、おのおのみずからの宗教的伝統を大切にするとともに、世界平和実現のために、宗教者に共通の真理、倫理的洞察に基づいて、世界の政治家が行動されんことを心から願う(「ねごう」と発音)ものであります。 かかる観点から、世界宗教者平和会議は国連の諮問機関として加盟し、わたくしどもの事務総長ホーマー・ジャック氏は、国連本部に、いー、(咳払い)本部の軍縮、NGO委員会の発足(「はっそく」と発音)以来、その議長を務めているわけであります。...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
3
... さて、わたくしどもは、日本およびベルギーで開催されました、過去2回にわたる世界宗教者平和会議の精神に基づいて、行われた軍縮への根本的アプローチについて提言したのであります。 1、宗教者としてわたくしどもは、軍備(咳払い)競争の終結のために活動している世界の外交官に対し、いまや、計画的、偶発的、もしくはテロ行為による核戦争の危険性がきわめて増大しつつあることを訴えたい。わたくしどもの会議の言葉を引用するならば、「人類が核による絶滅におびやかされている現在、人類は軍備競争によって滅亡する前に、人類が軍備競争を終わらせなければならない。最も基本的な人権とは、人類がその生活を持続することにほかならない」 2、宗教者としてわたくしどもは、軍縮問題がいかに複雑な技術的問題であっても、究極的には心の問題と倫理的決断を待つほかはない。生命(せいめい)の尊さを無視するような政府の決定は、いかに巧みな表現を使う(「つこおう」と発音)とも、わたくしどもをあざむくことはできない。 3、宗教者としてわたくしどもは、世界の為政者、特に偉大なるカーター大統領閣下、ブレジネフ書記長閣下に(「む」と発音)対し、危険を冒してまで武装するよりも、むしろ平和のために危険を冒すべきである、ということを申し上げたい。わたくしどもは軍縮に向かって、あらゆる国で運動が展開されんことを切望する。 4(し)、宗教者としてわたくしどもは、平和の、平和を希求する人々の団結を願う(「ねごう」と発音)ものである。平和を願う(「ねごう」と発音)わたくしどもの祈りは静寂であり、その声はささやかであり、影響力は小さいかもしれませんが、すべての人々が世界平和を渇望し、第三世界は軍備競争の終えんがもたらす経済的成果を待望しております。 5、わたくしどもは、世界の安全が力による恐怖の均衡ではなく、新しい価値観に基づく(「もとざく」と発音)ものでなければならぬことを提案する。世界に1万5,000以上の戦略核兵器が存在する現在、いかなる国も、人間も決して安全ではあり得ない。 6、従って、もし人類が今世紀、生き残るとするならば、全面的完全軍縮の実行以外にはあり得ない。目下、進められている軍縮に関する各種の計画は、まだ、軍縮というよりも抑制の域を出ないものであるが、やがては全面的完全軍縮への橋渡しとなるでありましょう。そして武器によるどう喝をもって政治を行う(「おこのう」と発音)ことの愚かさを反省していただきたい。 7(なな)、NGOの宗教者として、この特別総会に向けて努力された非同盟諸国に対し、称賛の意を表するとともに、このNGOと国連における軍縮問題との関係が制度化されんことを心から願う(「ねごう」と発音)ものである。...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
4
...さらにわたくしどもは、国連が核軍縮の問題を最優先されんことを強く主張する。また、わたくしどもは、核拡散防止条約第6項の履行が、倫理的、道徳的、宗教的にも一致しているという理由から、これを優先されんことを提案する。 すでにご承知のごとく、目下、日本代表団によって広島、長崎の被爆写真がこの国連内に展示されておりますが、その悲惨(「ひざん」と発音)さは目を覆うものがございます。日本から持参されたそれらの写真の何枚かは、あまりにも、ひ、悲惨(「ひざん」と発音)さのゆえに、展示を遠慮してほしいという要求があったと聞いております。しかし、その地獄の苦しみの様相から、どうか目を背けないでいただきたい。 この特別総会の宣言草案にもあるごとく、わたくしどもは武装を解除しなければならない、さもなくば滅亡あるのみである、という言葉をいま一度、思い起こしていただきたい。 わたくしどもは国連がさらに強化され、この混乱した世界に法の秩序(「つつじょ」と発音)をもった、もたらす能力をもっていることを確信しておる。そしてわたくしどもは、それぞれの宗教と教団の信者をあげて、この歴史的な国連特別総会が、有意義に成果を収められるように祈って(「いぬって」と発音)おります。そして、国連加盟諸国が現状の流れを変え(「かい」と発音)、平和と真(しん)の進歩のために立ち上がることをもあわせて、祈願致す次第であります。 最後にわたくしは、核の廃絶は夢物語であるという人々に対し、故人の深い洞察の言葉を贈りたい。すなわち、「あらゆる、ひ、人が心の底から願う(「ねごう」と発音)ことは、決して実現不可能なことではない」という言葉と、日蓮聖人の「法華経行者の祈りのかなわぬことあるべからず」という言葉、さらに仏陀の、いま、この、さんが、(咳払い)此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は悉く吾が子なり 而も此の処は諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為すと、「一天四海 皆帰妙法」、万法はみな一つから出ておるのである、「天壌無窮 異体同心」、天地とともに窮(きわ)まりなく、すべての人の心は同じくしなければならない。全人類が心を一つになって世界平和を祈れば、天の救いの主(ぬし)である、主(ぬし)は必ずわれわれを守護したもうことを教えているのであります。全人類が一つの心になるためには、世界政府の樹立が必要であり、世界政府が樹立すれば核兵器など無用の長物となる。そこでわたくしは、全世界の為政者に対し心の改心を願い、人類の未来を信じつつ、神仏のご加護を祈り、わたくしの提言を終わります。ご清聴、ありがとうございました。...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
【音声】
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
1
...法話コード=開祖-1979-04-11-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会 日 時=1979(昭和54)年4月11日 録音分=19分 場 所=ロンドン、ギルド・ホール 出席者= 掲 載=『』 見出等 ...
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
2
...○庭野開祖会長 (一同 拍手)(咳払い)ご来賓の皆さま、議長、(咳払い)そして紳士淑女の皆さま、このたびわたくしは、(咳払い)はからずも、素晴らしい、テンプルトウしんを、(咳払い)テンプルトン賞をちょうだい致しましたが、世界には、わたくしよりはるかにすぐれた宗教上の、業績をあげられた方々がたくさんおられますにもかかわらず、わたくしに受賞の光栄を賜りましたことを、心から感謝を申し上げる次第でございます。と同時に、わたくしとともに世界宗教者平和会議のために、過去10年間にわたって協力してくださった同志の方々の賜物であることを、特に申し添えておきたいと存じます。 講演に当たって、まず申し上げておきたいことは、わたくしは学者ではございません、え、ただ仏陀(ぶつだ)の教えのままに実践している一(いつ)仏教徒にすぎないということであります。そのわたくしが、いま、足りないながらも、人びとの幸福と世界の平和のために、努力のできえました、ことは、少年時代に受けた祖父からの影響であるということであります。 わたくしは、日本(にほん)の北部にある新潟県の山の中の寒村に育った者でありますが、わたくしをかわいがってくれました祖父が、どんな小さな虫でも、自分で食べるぐらいのことはしているではないか、まして、人間として、生まれたからには、世のため人のために役立つ人間にならなければいけない、ということを常々わたくしにいい聞かせるとともに、自らも村びとの苦しみ、悩みのために献身しておりました。その祖父の言葉と、姿がいつしかわたくしの意識の底にしみこんだのでありましょう。のちにわたくしをして宗教の世界に目を向けさせる要因となったことは確かでございます。 さて、現在のわたくしの精神的な土台となっているものは、申すまでもなく、仏陀(ぶつだ)の教えであります。菩薩としての使命感であります。ところが、仏教のいちばん根本の教えとなるものは、三法印であるといっても過言ではございません。その三法印とは、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、この三つを申します。その第1番目に諸行無常とは、一切の、現象は時々刻々に変化をするということであります。心も物質も、固定、不変と見える木や石さえも、常に変化をして、えー、おります。えー、物質の究極のものとして、不変と思われておりました原子でさえも、その内部では、常に動き、変化していることが、近代科学によって明らかにされております。 ましてや、わたくしどもの体もまた、時々刻々に変化をしてることは申すまでもありません。 とは申せ、人は老い、やがて滅する、そのような、はかない、意味での変化を中心に仏陀(ぶつだ)は、この諸行無常を説かれたのではありません。...
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
3
...すべてのものは変化する、変化するものであるからこそ、現在の瞬間、瞬間にベストを尽くせというのが真の仏陀(ぶつだ)の教えであり、それはまた、おごれる者に自省を促し、不幸の者に希望を与えて、精進せしめるというそれがこの真理を仏陀(ぶつだ)が説かれた真の精神であります。 第2番目に、諸法無我でありますが、この諸法無我とは、すべてのものは他(た)と関係なしに孤立して存在するものではないということでありまして、すべてのものは、相違相関の間柄にあるということであります。 わたくしが、東京からロンドンに飛行して、来るためには、操縦するパイロットをはじめ、安全飛行のために絶えず地上から通信を送ってくれる人、機械を整備する(「しゅる」と発音)人、燃料を補給した人、機体の材料である鉱物を掘り出した人、機体を設計した人、というように見てまいりますと、1機の飛行機はまさにジェットエンジンの推進だけではなく、世界中の真心によって支えられて飛ぶことができるわけであります。そのような、(咳払い)そのおかげさまで、わたくしをいまこうして皆さまの前へ出ているわけでございます。 もっと突っ込んで考えてみますと、機体のジュラルミン(「ジュウラミン」と発音)やチタニウムのような原料である鉱物も燃料も、人間がつくって地下にうめたものではなく、自然から与えられ、それを利用しているにすぎないわけであります。ところが人間は、それに気づかず、自分の力だけで行動し、生きているという傲慢さをもつようになったことは、反省すべきでありましょう。あるいはまた、自然との調和ではなく、自然を征服するという驕慢さによって人類はいま、公害や資源の枯渇というかたちで、自らの首を絞めているのが現状ではありますまいか(咳払い)。 さて、諸法無我についてお話を致しましたが、ここで出てくるのは、仏教のいま一つの大事な教えであります。それは縁起ということであります。縁起とは、一切のものは縁によって起こるということであります。現在、わたくしが着ておりますこの衣服も、日々(にちにち)の糧(かて)である食料も、自分以外の人々の勤労の結果を縁とし、この心もあらゆる出会い、すなわち体験と知識を縁として形成されております。そうして人間は、あらゆる縁の中で生かされているというわけであります。人間社会はあたかも、網のようなものであって、自分という一つの網の目は、他(た)の網の目によって保たれ、また自分という一つの網の目は、他(た)の網の目にとってなくてはならぬ縁(「いん」と発音)となっている、うー、のであります。 ところが、今日(こんにち)の人びとは、物とか金(かね)とかいう目に見える物質的なものだけにとらわれすぎております。...
開祖 (19790411A) 1979年度テンプルトン賞受賞記念講演会
4
...わたくしたちはこの縁起の世界、目に見えない世界というものに目を向けなければなりません。いまや他(た)の天体のことまでわかっている人間ではありますが、自分自身の存在が、なんによって支えられているかということを知らぬのはまさに悲劇(「へいぎ」と発音)であります。え、世界に例をとって見ましても、日本(にほん)はもとより、ソ連でさえも、アメリカから大量の食糧を輸入しなければならないという時代に、絶対のもの、究極のものに近づくための手段にしかすぎない、イデオロギーのために対立するということはじつに愚かなことであります。長い歴史の流れからすれば、イデオロギーは、その時代時代の衣装にすぎない、といっている人がおります。しかし、人間は衣装だけでは幸せにはなれませんし、生きていくことさえできません。特に近代におけるイデオロギーの、ほとんどが、対立闘争の中で自分の存在を確立していくという考え方で、考え方がつおいように思われます。自己の利益のみを中心にして主張し、その拡張をはかる、そうした考え方にとどまるかぎり、憎しみと争いから脱却することはできません。 事実、人類の歴史は争いのくり返しでありました。個人と個人とのエゴの相克、偏狭なナショナリズムの衝突、帝国主義、労使のあいだの争い、すべてが自分がなんによって生かされて、存在しているかを忘れた、近視眼的独善的な発想に由来するものであります。 いまわたくしは、諸行無常について、しょ、諸法無我について、そして縁起について簡単にふれてまいりましたが、人口の増加、資源の問題などを考えますと、人類生存のためには、まだいくつかの紛争があるにせよ、ナショナリズムから地域主義に、そして地球主義から世界共同体の、建設に向かわざるをえないと思うのであります。 そして地球という一つの船に乗った人類家族という考え方が、芽生えつる、芽生えつつある今日(こんにち)、人間の心の平安と幸福、世界の平和の、を至上目的とする宗教が、宗教用語や儀式形態の差こそあれ、互いに反目し合ってよいはずはありません。 第二バチカン公会議において、わたくしは、いまは亡きパウロ六世猊下にお会いを致しましたとき、猊下は、仏教徒のわたくしに向かって、キリスト教徒、キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がまたキリスト教徒のために祈る、そのような状態にならなければ、宗教が人類に貢献する道はない、いまや人類という言葉は、隣人という言葉と同じ意味になりつつある、と申されました。そのときわたくしは、宗教者は、宗派の壁を、(咳払い)、しゅう、宗派を隔てる壁を打ち壊し、その壊れた小石をもって断絶の溝をうめなければならんと決心を致したのであります。...
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