メインコンテンツに移動
ユーザーアカウントメニュー
ログイン
Toggle navigation
Main navigation
ホーム
コレクション
お知らせ
規約について
お問い合わせ
利用ガイド
全資源タイプ
機関紙誌
教団史
動画
音声
写真
法話(テキスト)
貴重書
検索
- すべて -
メタデータ検索
全文検索
表示件数
18
30
60
90
120
並び順
関連度
タイトル名 昇順
タイトル名 降順
作成日 昇順
作成日 降順
詳細検索
コレクション
- すべて -
庭野日敬法話映像作品集(平和への願い)
心に生きる開祖さま
庭野日敬法話映像作品集(仏教三大行事と釈尊伝)
心が変われば世界が変わる
仏教者のことば
経典のことば
法華三部経の要点
庭野日敬法話映像作品集(教団史)
人間釈尊
お会式
スポーツ
立正佼成会映像作品集
らしんばん
年頭法話
e-story
- すべて -
庭野日敬の世界
資源タイプ
- すべて -
Text
Image
MovingImage
Sound
タイトル名
作成者
公開責任部署
- すべて -
アーカイブズ課
伝道メディアグループ
開祖顕彰資料室
佼成図書館
作成日(西暦 or 和暦)
地理空間情報
ヘルプページ
1416 件中の 811 件目~ 828 件目を表示
リスト
サムネイル
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
22
...これ、まあその、今度自分の肉体が治っちゃったんですね。そして夫婦がですね、もう思わず知らずのうちに、この、ちゃんと法の、はま、中へはまっちゃった。で、そうして今度の夫婦で別れているのに対してはですね、奥さんも、本当の先生をするっていうのには当然それだけの修行が必要だというので、賛成をしてだんなさまをニューヨークのその学校へやってですね、そういう気持ちだったら、兄さん金を出してくれて、ニューヨークへいま、学校留学してるわけです。ま、そういう話をですね、わたしはニューヨークへ行って佼成会の功徳話聞こうと思っていなかったけれども(一同 笑)、ね。まあ、そのー、そういう人会いたいというからお会いして一ついさめてやろうと思ってまあ、君なんでも、その留学してるというから学生だっていうんだから、いちばんおいしいごっそう、ごっそうしようっていうわけでですね、その、うんと厚いテキを食べさしてですね、一杯飲ましてそしてお夕飯食べて、まあ部屋でもってそういう話を、ホテルの部屋でいろいろ聞いたんでありますが。 まあそういう話を聞いているうちにですね、本当にこの仏法の因果の法則というものは、本当に素直(「すなわ」と発音)になって聞かなけりゃならないんだなっていうことをですね、コジマさんに聞かされてですね、人にしゃべっているんですよ、わたしはもう40年もしゃべってるんだこういうことをね(一同 笑)。ま、しゃべってるんですけど、あまりにもその人がこうてきぱきとこの、いま、現在にその、生々しいそのザンゲによってすべてのことの変わって行く状態を聞かされるとですね。ああー、もっとこれは精進しなくちゃいけないと、もっとこういう苦しみをしてですね、ですからまあ、おそらくあの誘拐を企てる人とか、意志の弱い人で、何かを見て欲しくなってむらむらと泥棒しる人とか、ま、いろいろの人が皆このですね、因果の法則がわからないでですね、そういう間違ったことを犯してると思うんです。これはやっぱりですね、一人もそういう者がいなくなるという状態をお釈迦さまは願ってですね、われわれ人類全体をとにかく、人類救済のために説いた法門なん。で、その法門がいま、こう、使ってみてですね、こんなにはっきりとこうわかるということが自分たちはわかって認識をしていながら、われわれの努力が足りないために、まだ罪人(ざいにん)を次から次へとかもしだしているっていうことは、これ誠に申し訳ない、と考えなくちゃならないと思うんであり。 そういう意味で、旅行中にですね、いろいろの宗教団体の状態を聞いて、きのうもちょっと申し上げましたが、ジュネーブにおきまして、WCCの、委員長さんがとうとうとこれはですね、キリスト教が、あー、この、プロテスタントだとか、聖公会だとか、ギリシャ教だとか、えー(咳払い)、この、ローマのようのカソリックだとか、そういうようにこのキリスト教の中でもいく色分かれておりますが、そういう考え方をやめて、まず、キリスト教は1本になってですね、正しくその神の声を聞き、この、本然(ほんぜん)のキリスト教にならなくちゃいけないということを提唱しているのが、ば、WCCであります。...
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
23
...その方々がですね、そういうことは提唱してるんですが、これはまあちょっとね、自慢のようのことになりますので、キリスト教の、もし方がいらして、お気に障ったら、ま、あ、ご勘弁を願いたいと思うんでありますが。でまあ、いろいろこの世界の平和っていうことをもたらすために、根本的の理論はないかというので一生懸命で研究してるけれどその根本理がわからないというようの状態の話になっちゃったん。話をしてるうちに。その時にたまたま仏教界のほうへ行っていましたところの、法相宗の橋本凝胤(「はしもとりゅういん」と発音)先生のお弟子さんで、安田っていう方が随行で行っておりました。で、その方が、あのう、その、非常にこの具体的な、どうしたらなるだろう、こうしたらなるだろうっていうことを研究してるっていうんで、いろいろのこう例をあげて向こうでいってるけれども、その根本理は何かっていうことを聞いたら、向こうで、じゃあパーンとこないんですね。 なかなかそのはっきりしたこの根本理がどうして、す、世の中はこう、この、平和にならないかと。人間はどうしてこういうふうになるかっていうことで、まあ、ああいうふうにして、どういうふうにしてって、まあいろいろの具体的の、その方法論ではたくさん出ているけど、根本理がどうもはっきりまだしてない。というと、その法相宗の坊さんが質問をしたわけです。これどうもちょっと向こうで、困ってですね、仏教のほうじゃありますかと今度は聞いてきたわけですよ。そこのところは、ま、これはまあ、さっそくですね仏教側では待ってましたとばかしに、もう、この禅宗の佐瀬さんと、わたしとまあ二人でもうこれをやろうじゃないかっていうわけだ。あの佐瀬さんは、とにかく最後はもう庭野さんあんたやるのに、おれに先やらせろよっていうわけだ(一同 笑)。それでまあ、花を持って、それじゃあまああんたやってくださいってことで、佐瀬さんに花を持たしたわけであります。あとのくくりは、ま、庭野さんやってくださいよっていうようの話だったん。ところが佐瀬さんがはっきりいっちまったから、わたしはいう必要もないからいいませんでしたけれども、それで佐瀬さんいうわけですよ。 仏教のほうでは、人間は貪・瞋・痴というですね、この三毒があるために争いが起こるんだ。三毒を滅しなきゃならないという根本理をはっきりお釈迦さまは教えてるんだという、ま、話になったわけであります。それからあとは、いろいろの雑談でああそうかっていうようのことでありましたが向こうの方はよくわかったかわからないか知りませんが、ま、そういう場面にちょうど出くわしてですね、いろいろこう話をしてみるというと、キリスト教のほうに、根本理がないってことはない、あるかも知れません。...
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
24
...しかし、え、いろいろの具体策として、こういうああいうということをいっても仏教のようにそういう、はっきりとしたですね、「諸苦の所因は 貪欲これ本なり」と。わたしどもはまあ、お互いさまにですね、例えば、共産主義というものは絶対争いなんて起こらない、理論で割り切れて、それに賛成したものは争いがないとこういうことを豪語したところの共産党がですね、マルクス主義がどうでしょう、現在ではもう、ソ連と中共が割れてきちゃった。こういうことになるとやっぱりですね、共産党も絶対理論で、ま、結ばれて、イデオロギーで結ばれて絶対別れないっていうこといい切れない。資本主義はけんかをする、戦争をする、一つの何になるけれども、社会主義、共産主義は絶対ないとこういっていたのがそうもいかない。ちゃんとそういうものは世の中へ出てきた、これはどこの主義でもイデオロギーでもですね、人間がやっぱりそこだと思うんです。やっぱり国が違うというと国の、損得ということがある、利害ということになるというと、中共とですね、ソ連がやっぱり一国を、統治するところの毛沢東とフルシチョフとでは、やっぱり国の利益という立場んなると、ああいうことにならざるを得ないと思うん。 これを見ても、貪欲(とんよく)がもとになっておるということがはっきりしてるわけです。ま、そういうこと、われわれはもう教義の上では、2,500年前にお釈迦さまお悟りを開いてピタッとこうお示しになってるんですね。これはあのキリスト教のほうでは具体的のことから一生懸命取り上げて、根本理はわからんけれども具体的に行こうとしてる。仏教のほうでは、理の上ではわかっているけれども、やらんでいるっていうことんなると、これは仏教のほうが罪がちょっと深いようの気がしますな。わたしどもわかっていてやらないというの、まあ歌でも、わかっちゃいるけどやめらんねえっていう歌ありますから(一同 笑)、仕方がないっていえば仕方がないですけれども、そういうような意味で、わたしども仏教徒はですね、本当にこの際、謙虚の態度で、仏さまのこのみ教えというものをもういっぺん、真剣にその、仏の恩情をよく心に感じてですね、ちゃんとこういう形で、人間がこういうふうの改革をして、こういうふうな、われわれの三毒を滅して、そしてもう円満の人になれば、争わんでいい世界ができるんだと、いうことをお教えになってるわけであります。 どうか、そういう意味で、皆さまはもうすでにそういうことに気がついて、それを実践してるんでありますけど、わたしども自体、自分自体が、ということでなしに、もっと多くの人に、この仏法の法則っというものを守らせるということに、もっと力を入れたならば、必ず、社会はもっと明るいですね。...
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
南無妙法蓮華經
ページ送り
先頭ページ
«
前ページ
‹‹
…
Page
42
Page
43
Page
44
Page
45
カレントページ
46
Page
47
Page
48
Page
49
Page
50
…
次ページ
››
最終ページ
»