仏教者のことば(16)
立正佼成会会長 庭野日敬
たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう
親鸞上人・日本(歎異抄)
漸く巡り会った真の師
親鸞上人は、九歳の時から二十年間比叡山で修行しましたが、どうしてもあきたらぬものがあって山を下り、やはり以前に比叡山から出て、どの宗派にも属さない、自由仏教人として求道していた法然上人を慕って行きました。自分は業(ごう)が深くてどうにも救われない身だと思い込んでいたところへ、「ただ念仏すれば救われる」という法然上人の教えを聞いて、何ともいえぬ開放感を覚え、「ああ、これよりほかはないんだ」という決定(けつじょう)に達しられたらしいのです。この句の前にあることばも付け加え、現代語訳してみましょう。
「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細(しさい)なきなり。念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業(ごう)にてやはんべるらん。総じてもて存知せざるなり。たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」
【現代語訳】 親鸞においては、「ただ念仏して阿弥陀さまに救われなさい」という師の教えを頂いて、信ずるほかに格別なことはないのである。念仏はまことに浄土に生まれる種なのか、それとも地獄におちる行為なのか、そんなことはすべてわたしは知らない。たとい法然上人にだまされて、念仏して地獄におちるようなことがあっても、けっして後悔しないであろう。
わたしはこの「よきひとのおおせをかぶりて」ということばが好きです。「自分が尊敬する立派なお方のおっしゃることだから(だまされてもいい)」という純粋な「信」、それがなんとも言えず美しいと思います。宗教は、究極的には法に対する「信」に落ち着くのですけれども、その出発点はそれを教えてくれた人に対する「信」です。人に対する「信」……このことは、それが、急速に失われつつある今日、深く深く考え直すべき一事だと思うのです。
人と人との信の美しさ
わたしの尊敬してやまない今岡信一良先生の親友に、コンスタン・リツアニディというギリシャ人がありました。昭和三十年、ある宗教会議の席で顔を合わせて以来、百年の知己のようになり、それから毎週一回リツアニディさんは神奈川県真鶴の自宅から、そのころ今岡先生が勤めておられた正則高校の校長室を訪れ、時事・教育・宗教について時間を忘れて話し合いました。
その後、正則高校生のボランティアと一緒に精神病院を慰問したりしていよいよ固い友情に結ばれるようになりましたが、昭和四十三年、リツアニディさんが病気になって入院することになったとき、突然「自分が死んだら全財産を今岡信一良先生に贈る」という遺言状を送り、今岡先生をびっくりさせました。
今岡先生はたびたび、病院に見舞いに行かれましたが、あるとき、一時間以上も話し込んだので「もう帰る」と言われると、「ちょっと待ってくれ」と言う。しばらくして「さあ、もう帰ろう」と言えば、「ちょっと待ってくれ」を繰り返すのでした。ついに思い切って「帰る」と立ち上がられると、リツアニディさんは「ぼくも帰る」と言い出しました。「どこへ帰るんだ」と聞くと、「君の帰る所、どこへでも」と言ったそうです。
その一言に今岡先生は、なんともいえぬ感動を覚えられたそうですが、その話を聞いてわたしは、フト親鸞上人の法然上人に対する「信」を思い出したのでした。人と人との間の信、こんなに美しいものがほかにありましょうか。
題字 田岡正堂
立正佼成会会長 庭野日敬
たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう
親鸞上人・日本(歎異抄)
漸く巡り会った真の師
親鸞上人は、九歳の時から二十年間比叡山で修行しましたが、どうしてもあきたらぬものがあって山を下り、やはり以前に比叡山から出て、どの宗派にも属さない、自由仏教人として求道していた法然上人を慕って行きました。自分は業(ごう)が深くてどうにも救われない身だと思い込んでいたところへ、「ただ念仏すれば救われる」という法然上人の教えを聞いて、何ともいえぬ開放感を覚え、「ああ、これよりほかはないんだ」という決定(けつじょう)に達しられたらしいのです。この句の前にあることばも付け加え、現代語訳してみましょう。
「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細(しさい)なきなり。念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業(ごう)にてやはんべるらん。総じてもて存知せざるなり。たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」
【現代語訳】 親鸞においては、「ただ念仏して阿弥陀さまに救われなさい」という師の教えを頂いて、信ずるほかに格別なことはないのである。念仏はまことに浄土に生まれる種なのか、それとも地獄におちる行為なのか、そんなことはすべてわたしは知らない。たとい法然上人にだまされて、念仏して地獄におちるようなことがあっても、けっして後悔しないであろう。
わたしはこの「よきひとのおおせをかぶりて」ということばが好きです。「自分が尊敬する立派なお方のおっしゃることだから(だまされてもいい)」という純粋な「信」、それがなんとも言えず美しいと思います。宗教は、究極的には法に対する「信」に落ち着くのですけれども、その出発点はそれを教えてくれた人に対する「信」です。人に対する「信」……このことは、それが、急速に失われつつある今日、深く深く考え直すべき一事だと思うのです。
人と人との信の美しさ
わたしの尊敬してやまない今岡信一良先生の親友に、コンスタン・リツアニディというギリシャ人がありました。昭和三十年、ある宗教会議の席で顔を合わせて以来、百年の知己のようになり、それから毎週一回リツアニディさんは神奈川県真鶴の自宅から、そのころ今岡先生が勤めておられた正則高校の校長室を訪れ、時事・教育・宗教について時間を忘れて話し合いました。
その後、正則高校生のボランティアと一緒に精神病院を慰問したりしていよいよ固い友情に結ばれるようになりましたが、昭和四十三年、リツアニディさんが病気になって入院することになったとき、突然「自分が死んだら全財産を今岡信一良先生に贈る」という遺言状を送り、今岡先生をびっくりさせました。
今岡先生はたびたび、病院に見舞いに行かれましたが、あるとき、一時間以上も話し込んだので「もう帰る」と言われると、「ちょっと待ってくれ」と言う。しばらくして「さあ、もう帰ろう」と言えば、「ちょっと待ってくれ」を繰り返すのでした。ついに思い切って「帰る」と立ち上がられると、リツアニディさんは「ぼくも帰る」と言い出しました。「どこへ帰るんだ」と聞くと、「君の帰る所、どこへでも」と言ったそうです。
その一言に今岡先生は、なんともいえぬ感動を覚えられたそうですが、その話を聞いてわたしは、フト親鸞上人の法然上人に対する「信」を思い出したのでした。人と人との間の信、こんなに美しいものがほかにありましょうか。
題字 田岡正堂