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『庭野日鑛会長のこころ』~書初めから~
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交成新聞 真実顕現
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大聖堂 第三期工事
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手に法華三部経を持ち説法
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第3回全国青年部親善競技大会
【写真】
第3回全国青年部親善競技大会
【写真】
第3回全国青年部親善競技大会
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第3回全国青年部親善競技大会 バレーボール
【写真】
ブラジルへ出発
【写真】
開祖 (19580822A) 帰朝挨拶
【音声】
開祖 (19580822A) 帰朝挨拶
1
...法話コード=開祖-1958-08-22-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=帰朝挨拶 日 時=1958(昭和33)年8月22日 録音分=4分 場 所=行学園バルコニー 出席者=庭野日敬会長 長沼理事長 岡野教務部長 参集者 掲 載=『交成』1958(昭和33)年10月号60頁 見出等 ...
開祖 (19580822A) 帰朝挨拶
2
...○司会 (一同 拍手)ただいまは、理事長さんよりごあいさつをちょうだいさしていただきました。 それでは、会長先生にお願い致します。会長先生のお言葉を拝聴さしていただきます。(一同 拍手) ○庭野会長 (咳払い)皆さま、留守中をいろいろ皆さま方の、大(だい)なる和の結合によりまして、交成会は留守中といえどもますます盛んなることを、いま理事長が申されたように、新聞、または皆さまのお手紙によって聞きながら、2カ月半ものあいだを、楽々と、わたくしどもの出発の目的、所期の目的を達成のために、歩かしていただきました。 幸いに、この2カ月半のあいだに、わたくしが特に、ただ、ひと言(ひとこと)皆さまに覚えておいていただきたいということを、ここに申し上げさしていただきます。 わたくしどもは、日本人(にほんじん)として生まれたということが、無上の喜びであるということであります。 どんな南米の奥地にまいりましても、その先端に、開拓団の、いちばん先端におる方は、ほとんど日本人(にほんじん)でありました。あの広いブラジルに、すでに先端を切って日本人(にほんじん)が活躍しておる。あるブラジル人の方のお話を聞きますと、ブラジルは、建国の始まりに誤りであった、と、こういう冗談のようなことでありますけれども、非常にこれには意義があると思うのであります。もしブラジルに400(よんひゃく)年前に日本人(にほんじん)が入って建国しておったら、いまのブラジルはアメリカをしのぐような発展をしておったろうと。ところがポルトガル人によって、この建国されたことが誤りである、と、こういうようのことをブラジルのお方が、おっしやって方があるのであります。それほど日本人(にほんじん)の、開拓力、創造力、その優秀性というものをわたくしどもはつぶさに拝見さしていただきました。 わたしどもは決して、特別に日本人(にほんじん)が優位であるとか優秀であるかということを、驕慢の気持ちでこれを受け入れてはならんのでありますけれども、しかし実際において、28カ国の国民が集って、ひとつも人種の差別のないあの平等の立場において、日本人(にほんじん)の優秀性を、この50年祭の、官民一体となっての、あの大祭を通して、日本人(にほんじん)の優秀性を物語るということを、つぶさに拝見さしていただいたのであります。 どうか、わたくしどもは、この最大の喜びであるところの、日本(にほん)の国民に生まれまして、日本(にほん)の血を受けたところのわたくしどもは、いよいよ真の仏教徒として、宗教移民を今後ますます、わたくしどもの力によって正しい立派な人を、あの平等である、人種の差別のない南米に発展するときに、世界の平和をもたらす何かのお役に立つことと確信を致しておる次第でございます。 どうぞ、ますます、わたくしどものこの異体同心の精神をもちまして、法華経の教義にわたくしどもは恥じないような立派の仏徒として、仏教徒としての精進をお願い申し上げまして、簡単でございますが、ごあいさつに代えます。ありがとう存じました。(一同 拍手) ○司会 ただいまは、会長先生より親しく、お、え、拝聴さしていただきました。 それではここで、岡野教務部長さんの音頭を、いただきまして、万歳を三唱させていただきます。...
交成1958年11月号お会式
【機関紙誌】
『交成』1958年11月号巻頭口絵本部お会式特集
佼成新聞 1958年11月25日 大聖堂各階構造
【機関紙誌】
心が変われば世界が変わる30
【機関紙誌】
事の一念三千でなければ
心が変われば世界が変わる30
事の一念三千でなければ
1
...心が変われば世界が変わる ―一念三千の現代的展開―(30) 立正佼成会会長 庭野日敬 事の一念三千でなければ 百界千如が三世間に展開 物と心の相即する世界が一千種に変化するところまで前回に述べました。その一千種の世界は、衆生世間・国土世間(器世間)・五蘊(ごうん)世間という三つの世界に展開するから、千掛ける三は三千となり、いよいよ三千という数字に到達するわけです。 (衆生世間)とは、いろいろな生命体が寄り集まって造っている世界、つまり(もろもろの生命体が持ちつ持たれつして存在する関係の場)と解釈していいでしょう。 (国土世間)とは、それらの生命体の住む場所、つまり地球上の自然界および全宇宙を指します。 (五蘊世間)というのは、人間のからだと心がすべての存在を把握する五つの仕方をいいます。(蘊)というのは集まりという意味で、五蘊とは色・受・想・行・識を言います。その(色(しき))というのは(物の集まり)を言います。人間で言えば、肉体を指します。(受)というのは、(感覚の集まり)です。見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触ったりする、そうした感覚をひっくるめたものです。(想)というのは、(判断の集まり)です。感覚したものを「これは美しい」、「これはうまい」といったふうに判断して受け取る心作用を言います。(行(ぎょう))というのは、(意志の集まり)です。判断したものを行為に移す心の働きです。美しいと感じたらジッと眺めていたいと思い、うまいと感じたらもっと食べたいと意欲する、そうした意欲によって行為を生ずるのですから、(行)というのです。(識)というのは(経験と知識の集まり)です。と言っても、人間としてこの世に生まれてからの経験と知識ばかりでなく、はるかな過去世、前世からの記憶が潜在意識に残っているのまでも含む、そしてわれわれのあらゆる生きざまを決定し、動かしていく複雑な記憶の集まりをいうのです。ひっくるめて(五蘊世間)とは、(物と心とがかかわり合う場)と解していいでしょう。 こういう三つの世間に、一念の中の千種の世界が展開するので、(一念三千)というわけです。 一に全体があり全体は一 こうして(一念三千)の理論が出来上がったわけですが、田村芳朗文学博士はその著(仏教の思想第五巻)の中で、次のように結論づけられています。 「一念と三千の関係はただ『心は是れ一切の法、一切の法は是れ心』といわれるものである。具体的に言えば、極微の一念に三千の宇宙万有が包含され、みなぎり、三千の宇宙万有に極微の一念が透徹し、みなぎるということである。天地万物が一つになって一物の中に存し、また一物の力がひろがって、天地万物の中に存するということである。宇宙一切物は一物に関係し、一物は一切物に関係している」 たいへん難しい理論のようですが、つまり、人間を含めたこの世の万物・万象は、一見別々の存在のように見えても本は一つであり、密接につながっており、したがってわれわれの一念の中には宇宙全体がチャンとあるわけです。これが一念三千の理論であり、いわゆる(理の一念三千)であります。 (事)でなければ救われぬ ところが、このような高邁な世界観を聞いても、ただそれを理論として知り得ただけではほとんど何の役にも立ちません。その理論を自分の心のもち方や実際の生きざまに当てはめ、行為に生かしてこそ真の価値が発揮されるのです。しかも、自分自身から始めて、家庭・社会・国家・人類の在り方へと及ぼしていってこそ、己の運命をも変え、人類の運命をも修正していくことができるのです。一念三千のそうしたはたらきを(事の一念三千)と言います。(理)の抽象性や普遍性に対して、(事)というのはそれを実際に生かす具体性と、それぞれの事態に即した特殊性を言うのです。 では、実際問題として、一念三千の理をどのようにして実人生に生かせばいいのか……ということが最後の課題となります。 ところが、一念と言っても、喜び・怒り・悲しみ・楽しみ・恨み・妬み・羨望・侮蔑といった(表面の心)ばかりではありません。その奥にかくれた広大な潜在意識・深層心理という世界があり、われわれが表面の心を善くしようと一生懸命に努力しても、このような(かくれた心)が深い所からいろいろな悪作用を及ぼしますので、なかなか思うようになりません。ただ信仰のみがそれを清めることができると私は信じているものですが、次回からはこの(かくれた心)とはどんなものか、なぜ信仰がそれを清めることができるのか、ということをつぶさに研究していくことにしましょう。(つづく) 誕生仏頭部(東大寺) 絵 増谷直樹...
心が変われば世界が変わる31
【機関紙誌】
無意識の世界とは
心が変われば世界が変わる31
無意識の世界とは
1
...心が変われば世界が変わる ―一念三千の現代的展開―(31) 立正佼成会会長 庭野日敬 無意識の世界とは 自分では気づかぬ心がある 元巨人軍の名監督・川上哲治さんが、よくベンチで貧乏揺すりをしていたことは有名です。たいてい自軍の戦いぶりが思わしくない時でした。私共も、何かイライラすることがあると、われ知らず手を振り動かしたり、指で机をトントン叩いたり、無意味な行動をします。また、ひどく恥ずかしいことがあると、思わず顔を赤くします。なぜでしょうか。 目のすぐ前に小さな虫が飛んで来ると一瞬目をつぶります。生まれてから今まで目に虫が入って痛い思いをしたことなど一度もないのに、思わず目をつぶります。なぜでしょうか。 赤ちゃんに乳の飲み方をだれも教えはしません。それなのに、生まれたばかりの赤ちゃんがチャンとお母さんの乳首をくわえ、それを舌で巻き込むようにして上手に乳を吸い出します。どうしてそれができるのでしょうか。 トカゲや、サンショウウオや、アオダイショウや、ヤマカガシなどは、毒もなければ噛みつきもしないのに、見るからに気味が悪く、いやらしく感じます。「何も害はしないから大丈夫だよ」と自分自身に言い聞かせてみても、近寄るのがなんとなく怖いものです。なぜでしょうか。 無意識の世界は底無し われわれが、物事をハッキリと感じたり、知ったり、考えたりする心、すなわち自分でとらえることができ、自分で左右することのできる心(表面の心)を(顕在意識)もしくは単に(意識)と言いますが、その意識の奥に、われわれが自分でとらえることのできない、自分では気のつかない心(かくれた心)の世界があり、これを心理学では、(潜在意識)とか(無意識)とか呼んでいます。 今あげたいくつかの例のように、自分では意識しない行動を思わず知らずやってしまったり、だれにも教わらぬことができたり、表面の心では「怖がることはないのだ」と知っていても、やはりヘビやトカゲが怖い等々は、すべてこの(無意識)のはたらきなのです。 なにしろ、この(無意識)は広大無辺な心の世界であって、自分がこの世に生まれてから経験したことを残らず覚えているばかりでなく、先祖代々の人々が経験したことまで、そこに沈んでいるのです。もっとさかのぼって考えますと、人間がまだムシとかサカナのような生物だったころから、だんだん進化して哺乳類になり、ついに人間になるまでの長い長い間に経験したことも、すべて、この無意識という心の奥に蓄積されているというのです。ですから、学者に言わせると、現在のわれわれがヘビやトカゲなどを気味悪く、恐ろしく感じるのは、何万年も前にそういったハチュウ類の巨大なものが地球上にはびこっていて、人間の祖先がそれらにいじめられた記憶が、無意識の奥に残っているからなのです。 無意識まで清めなければ この無意識という不思議な心は、心の奥の奥に溜ってジッとしているのではなく、時に応じて表面の心へ浮かび上がってくるのです。それも、良い記憶や、快い経験などが浮び上がってくるのだったら、われわれの感情を美しくし、善い行動を起こさせ、あるいは立派な芸術作品を生み出す原動力になったりするのですが、反対に、暗い、残虐な、あるいは恐怖の記憶などが浮かび上がってくると、われわれの表面の心を濁らせ、かき乱し、あるいは悪い行為へと走らせてしまいます。 ムシでも、サカナでも、トリでも、ケモノでも、自分が生きていくためには、また自分の種族を維持するためには、どんなわがままでも、どんな残忍なことでも平気でやります。他のものの食物を横取りしたり、雌を奪い合って闘争したり、あげくの果ては相手を殺したり、仲間を食ったりします。ホトトギスなどのように、ウグイスの卵を巣からけ落として、そこへ自分の卵を産み、ウグイスの親に育てさせるといった、悪賢いことさえするのです。 われわれも、人間に進化するまでの長い長い間、ずっとそうしたことをやってきたのです。人間にまで進化し、だんだん文化が進み、秩序ある社会を営むようになると、そんな利己一本やりのことばかりやってはおられませんので、法律その他の規則をつくり、また倫理・道徳といった共通の戒めも自然にでき、意識してわがままな欲望や悪の衝動を抑えるようになってきました。 しかし、心の底にある無意識の世界では、相変わらず我執と利己心が大きな勢力を占め、それが時に応じてウゴメき出してきますので、人間世界にはやはり紛争や苦悩が絶えません。ですから、人間が本当に救われるためには、どうしてもこの無意識の世界まで清めなければならないのです。そのためにはどうすればよいか。次回からそのことについて考えていくことにしましょう。(つづく) 仏頭(唐時代) 絵 増谷直樹...
心が変われば世界が変わる32
【機関紙誌】
無意識の世界を清めるには
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