法華経を説くべき時は来ている
私共は、現在こうして苦労なく法華経を読誦し解説し、また書写させて頂ける。ご法をいくら説いても誰からも文句を言われない。それどころか、一生懸命で精進すると周りの方々はみな讃嘆して下さる。そういう有り難い時代に私共は生まれ合わさせて頂いているわけであります。
七百年前、日蓮聖人は法華経を説いて島流しに、いろいろたいへんなご苦労をなされたわけであります。ところが、私共はご法門を行じさせて頂くことによって、近所の方々から「ああ、立派な家庭だ、立派な人だ」と誉めて頂けても、けしからんというようなことは言われないわけであります。
法華経を広め平和を築く使命
昨日の朝、ラジオで藤原さんという女性の方のお話が放送されておりました。それを聞かせて頂いたのですが、この方は旦那さまと満州に渡られて、満州で終戦を迎えられた。そして旦那さまはソ連に抑留されてしまった。生まれて一カ月にしかならない赤ん坊を含めて三人の子供があったんだそうですが、この三人の子供をつれて満州から朝鮮半島を経て命からがら日本に帰ってきた。もう、足の裏に砂利がめり込んで、山を逃げ回った。それでも痛みを感じないというくらいだったほど、そういう悲惨な状態の中を帰ってきたのです。
旦那さまの方は教員だったそうでありますが、よく「男性ではとても辛抱できないことを、女性はやり抜いていけるものだ」とおっしゃっていたそうであります。そして、この方は自分の体験からすると、女性であっても子供を持たない者は弱かった。自分も、若い娘で子供がなかったならば、満州から朝鮮半島を縦断して日本に帰ってくるというような旅はとてもできなかっただろう。ところが子供を持った母親は本当に強いと……。信仰も同じです。やはり導きをして、導きの親にならないと強い信仰にならない……。
また、道中にはいろいろと誘惑もあった。子供のない現地の人が子供を一人十円で売ってくれないかと……。まあ、当時の十円ですから今の十円と違って値打ちがあります。そう言われても、なんで自分の子供が離せるものかと歯ぎしり噛んで、三人の子供とやっとの思いで日本に帰り着いたわけです。
このお母さんの偉さはその後の考え方の中にあると思うんです。「私があの苦しい中を頑張って日本につれ帰ったからこそ、オマエたちの今日があるんだ」などということは決して言わなかった。それどころか、子供たちから昔のことを聞かれると、「子供たちに、あんな苦労をかけて本当に申し訳なかった。お詑びするよりしかたない」と、そういう気持ちだった。