持てる力を
世界会議に傾注
おかげさまで、当初、線香花火のように終わるのではないか、とマスコミや学者の方々に言われていたこの平和会議でしたが、一九六九年以来、まさに十年一日のごとく、持てる力すべてをこの世界会議に傾注することができ、第三回を開催することができました。
京都会議の前に、私たちはまず、宗教家は何をなすべきかを探求していきました。
第一回の時には、世界平和のために、まず軍備をなくすということを考え、次に、一人一人が平等でなければならないということで、人権という問題をとりあげました。また、世界には非常に科学的に進歩し、豊かな暮らしをしている国がある一方では、地下資源も、人的資源もたくさんあるのにもかかわらず、開発が十分でなく遅れている国がある。そこで、〝軍備の撤廃(非武装)〟〝人権〟に加えて、〝開発〟という問題を考えたのであります。
次に、ルーベン会議では、地球の資源環境といったものを考え、世界の経済の共同体のようなものをつくって、そこから何か道が見つからないか、と考えたわけです。
今回は、それらをさらに発展させ、いよいよ〝世界共同体を志向する宗教〟というようなことを論じるまでになってきました。こうなりますと、私は、佼成会の御旗に書いてあります『天壌無窮 異体同心』ということと同じようなことになってきたと思うのであります。
世界が共同体であるということは、仏教の三法印の中で言えば『諸法無我』ということでしょう。孤立して自分というものはあり得ないのであって、すべてのものは、持ちつ持たれつである、ということをお釈迦さまはお説きくださっています。