そういう意味で、現在のすべての情報からとれるところの言葉を、自分の毎日の行ないにはっきりとあわせて、これからどのように受けとめていくかというふうに考えさせていただき、現在という時代をよく把握すれば、そんなに心配ということよりも、むしろたいへん恵まれていて勿体ない。日本の経済はほんとうに恵まれて勿体ないという言葉も、出てくる場所があると思うのであります。
ややもすると、不平だけになって感謝ができないようになりがちですが、よくよく考えてみると、暮しそのものはすべてのものが整っていて豊かであり、何もそれほど心配なことはないようななかにあって、心配でならないというのが私ども凡夫なのであります。
こういうときに、私どもはもう一ぺん、いま妙佼先生のお声を聞いたような気持ちで、人間というものは、「人間の皮をかぶっているうちは、とても神さま仏さまのみ心に沿うようにずうっと継続できないもんだ」と、うっかりすると私どもはその道をいいつもりでやっていると踏みはずすんだぞ、と警戒され、常に精進し道場へ出て、他の人と比較して自分を省みる。こういう修行を常に怠たらずしないといけない。うっかりすると道をはずすという心配があると、自からおっしゃっているわけです。
お互いさまに、妙佼先生の薫陶を受けた旧い方々がおいでいただいたわけですが、いま第一線で活躍してくださる幹部の方々、妙佼先生とともに長く修行された方々、こうしてほんとうにごく近く接近された方々、また親戚の方々とともに、本日十七回忌の法要を営ませていただくわけですが、妙佼先生の法華経に徹した精進は、どんな言葉をもってほめても足りないといっていいと思うのであります。まったく昼夜常精進であり、ただの精進でなく勇猛精進、迫力のある精進をずうっと一代つとめられたわけであります。
いまの録音を伺って昭和三十二年といいますと、お亡くなりになる年の正月ですが、あのような迫力のある……、法華経行者としての自覚をもって、世間のために仏さまからお役を頂戴してるのである、その自覚にたってお互いに精進しなくちゃならんという教訓をお諭し下さっているわけであります。
どうかこの十七回忌を一つの喫機といたしまして、お互いさまに仏さまのみ心にかなうところの平和の世界、寂光土の建設ということが、私ども佼成会に課せられた使命であると、このように受けとって立ちあがるということが必要であると思うのであります。
どうか今後のご精進をお願い申しあげまして、本日おいでいただいた方々の真心からなるご供養に、妙佼先生もお喜こびであろうということを申しあげまして、本日のご挨拶にかえる次第でございます。どうもありがとうございました。