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第3回全国青年部親善競技大会
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第3回全国青年部親善競技大会
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第3回全国青年部親善競技大会
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第3回全国青年部親善競技大会 バレーボール
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第3回新宗連関東親善競技大会
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第1回春季運動会
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第3回東京教区青年部親善競技大会 女子卓球
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郡山 会津 両支部青年部親善競技大会
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第5回東京教会青年部親善競技大会
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第5回東京教会青年部親善競技大会
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第2回在京支部親善競技大会
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オリンピック中央前年祭 国立競技場
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...誕生と庭野家の人々 一 私が生まれたのは、新潟県も上州寄りの山の中、くわしくいえば中魚沼郡十日町大字菅沼という当時で四十二戸、今は六戸しかない寒村である。 (昭和51年08月【自伝】) 私は、男五人、女一人の六人兄弟の次男に生まれました。 (昭和33年10月【速記録】) 菅沼には庭野姓と池田姓しかなかったのですが、海軍では、…
2
...生活と環境 一 私のうちは割合にいい田を持っていました。一枚でだいたい一反歩(約一〇アール)の、新しくつくった田もありましたし、崖っぷちにあるのが三枚で一反歩、下にある田が二枚で一反歩というようなことで、私どもの時分には全部で六反歩ありました。それに、本家の田もつくらせてもらっており、年貢を納めるのが二反歩分ぐらいありましたので、…
3
...大家族の生活 一 私の家は、耕作面積田地八反歩、畑五反歩、それに山林が三町歩(註・一町歩約一ヘクタール)の、裕福でもないが食うにも困らないという程度の百姓であったが、一つ屋根の下に二家族十数人が住んでいるという大所帯、それもちょっと説明を要する複雑な構成になっていた。 (昭和51年08月【自伝】) 大家族の生活 二 一家の経済は、…
4
...祖父のこと 一 私の子どものころ、祖父は「南庭」という医者の名前をもっていました。正式な医者ではありませんが、薬草のことはくわしく教えてくれました。山へ行くと鎌などで手を切ることがあるのですが、そういうときはすぐに、山にあるこれとこれの三種類の草を、水か、水のないときはつばでもんで、草から出てくる泡を傷につけるといい、と教えたりしてくれたのです。…
5
...父・母のこと 一 父の重吉は、一口に言えば実直な人間だった。百姓仕事を黙々とやっていた。 私が小さいころは、借金などがあって家の経済事情はそうとうに苦しかったらしいが、父がせっせと荒地を開墾して田畑をふやし、それでずいぶん楽になったのだと聞いている。 無口で、きびしくて、かわいがってもらった記憶などほとんどないけれども、…
6
...大自然にいだかれて 一 生きがい……人間にとって、これほどたいせつなものはないのに、その生きがいとはどんなものかということになりますと、なかなかつかみにくく、表現しがたい嘆きをおぼえます。 それは、意識と無意識のちょうど中間あたりのところを上下している浮沈子のようなものだと、私は感じています。しかも、人により、年齢により、環境により、場合によって、…
7
...ふるさとの生活 一 私の村は山の中だったけれども、なかなか眺めがよかった。東南のほうには清水峠・中将岳・八箇峠の峰々が連なり、そのはるか向こうに越後三山の一つとして名高い八海山がそびえていた。西の方には薬師岳・黒姫山を望むことができた。 菅沼からさらに一キロばかり山奥へ行ったところに、直径二百メートルほどの蓮池があり、大池といった。…
8
...庭野家の家風 一 私は新潟県の山奥の純農家に生まれました。裕福では決してないが、さりとて食うに困るということもないていどの暮らしでした。したがって、一家じゅうがマメに働きました。働かざるを得なかったのです。母も、忙しい田畑仕事の合間に、越後上布の原料である麻糸をつくったり、蚕を飼ったりして、現金収入を計っていました。私たち子どもも学校から帰れば、…
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