人間釈尊(19)
立正佼成会会長 庭野日敬
成道後の二つの決意
恭敬の対象は(法)のみ
お釈迦さまはブッダ(覚りをひらいた人)となられてからもやはり人間であった。神になられたのではなく、やはり人間であった。これが後世のわれわれにとっては大変ありがたいことです。そこに人間仲間としての懐かしさも生じ人間の生き方の最高の手本としておん跡を辿っていきたいという気持ちも起こるのです。
雑阿含経・尊重経によりますと、覚りをひらかれたあとの瞑想の中で、ふとみ心をかすめたのは「恭敬(くぎょう)する相手のいないのは苦しいことである」という思いでした。畏れ敬い、帰依する相手があれば、それを心の依りどころとし、手本として生きることができる。そのような相手がいないのは、なんとなく不安である。心細いことである。そういう、いかにも人間らしい思いでした。
そしてお釈迦さまは、そのような相手はいないものかといろいろと思いめぐらしてみられましたが、どうしてもそれがみつかりません。そこで、熟慮のあげく、次のような決意に達せられたのです。
「わたしが恭敬し、奉事するのは(法)しかない。わたしを目覚めさせた正法しかない。法こそがわたしの依りどころである」
これは、ひらかれた正覚の上に加わった(第二の覚り)と言ってもいいでしょう。
また、南伝相応経典六・一によりますと、やはり成道後の瞑想の中で、次のように考えられたといいます。
説法の決意が人類を救う
「わたしの覚った真理は深遠で、難解で、頭脳による思考の域を超えている。世の人々は身のまわりのものごとに執着し、その執着を楽しんでいる。そのような人々に、わたしが覚った(縁起)の道理などとうていわかるものではあるまい。わたしがこの道理を人に説いたとしても、わたしは疲労するばかりだ。憂慮するばかりだ」
そして、積極的に人々に説くことはすまいと考えられた。そのとき、梵天(世界の主とされていた神)がそのみ心の中を知って、このように嘆いたといいます。
「ああ、この世は滅びる。ああ、この世は消滅する。正しい法を覚った人が、何もしたくないという気持ちに傾いて、説法しようとは思われないのだ」
そして梵天はお釈迦さまの前に現れ、「どうか世の人々のために法をお説きください」としきりに懇願し、ついに説法の決意をして頂いた……と仏伝は伝えています。
中村元博士はこのことについて、次のように述べておられます。(『ゴータマ・ブッダ』二一八ページ)
「梵天が説法に踏み切らせたということは、当時最高の神が勧めたということによって説法開始を権威づけたのであろう。ここで注目すべきことは他の多くの世界宗教におけるように最高の神が命じたのではない。人格を完成した人間であるブッダに命令を下し得るものは何も存在しない。決定する者は人間自身なのである」
この解説のように、おそらくお釈迦さまご自身の心中の「説こうか、説くまいか」という二つの意向の葛藤(かっとう)にご自身が決断を下されたのでしょう。「説かなければ覚りは完成しない」これがお釈迦さまの第三の覚りだったということができます。そしてこの第三の覚りがあったからこそ、後世のわれわれは仏教という無上の宝を得ることができたのです。
もし二十世紀のいま仏教がなかったら、梵天の「ああ、この世は滅びる。この世は消滅する」という嘆きが事実となる公算が大いにあります。思えば、この説法の決意こそは人類生き残りのための重大極まる決意だったのです。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
成道後の二つの決意
恭敬の対象は(法)のみ
お釈迦さまはブッダ(覚りをひらいた人)となられてからもやはり人間であった。神になられたのではなく、やはり人間であった。これが後世のわれわれにとっては大変ありがたいことです。そこに人間仲間としての懐かしさも生じ人間の生き方の最高の手本としておん跡を辿っていきたいという気持ちも起こるのです。
雑阿含経・尊重経によりますと、覚りをひらかれたあとの瞑想の中で、ふとみ心をかすめたのは「恭敬(くぎょう)する相手のいないのは苦しいことである」という思いでした。畏れ敬い、帰依する相手があれば、それを心の依りどころとし、手本として生きることができる。そのような相手がいないのは、なんとなく不安である。心細いことである。そういう、いかにも人間らしい思いでした。
そしてお釈迦さまは、そのような相手はいないものかといろいろと思いめぐらしてみられましたが、どうしてもそれがみつかりません。そこで、熟慮のあげく、次のような決意に達せられたのです。
「わたしが恭敬し、奉事するのは(法)しかない。わたしを目覚めさせた正法しかない。法こそがわたしの依りどころである」
これは、ひらかれた正覚の上に加わった(第二の覚り)と言ってもいいでしょう。
また、南伝相応経典六・一によりますと、やはり成道後の瞑想の中で、次のように考えられたといいます。
説法の決意が人類を救う
「わたしの覚った真理は深遠で、難解で、頭脳による思考の域を超えている。世の人々は身のまわりのものごとに執着し、その執着を楽しんでいる。そのような人々に、わたしが覚った(縁起)の道理などとうていわかるものではあるまい。わたしがこの道理を人に説いたとしても、わたしは疲労するばかりだ。憂慮するばかりだ」
そして、積極的に人々に説くことはすまいと考えられた。そのとき、梵天(世界の主とされていた神)がそのみ心の中を知って、このように嘆いたといいます。
「ああ、この世は滅びる。ああ、この世は消滅する。正しい法を覚った人が、何もしたくないという気持ちに傾いて、説法しようとは思われないのだ」
そして梵天はお釈迦さまの前に現れ、「どうか世の人々のために法をお説きください」としきりに懇願し、ついに説法の決意をして頂いた……と仏伝は伝えています。
中村元博士はこのことについて、次のように述べておられます。(『ゴータマ・ブッダ』二一八ページ)
「梵天が説法に踏み切らせたということは、当時最高の神が勧めたということによって説法開始を権威づけたのであろう。ここで注目すべきことは他の多くの世界宗教におけるように最高の神が命じたのではない。人格を完成した人間であるブッダに命令を下し得るものは何も存在しない。決定する者は人間自身なのである」
この解説のように、おそらくお釈迦さまご自身の心中の「説こうか、説くまいか」という二つの意向の葛藤(かっとう)にご自身が決断を下されたのでしょう。「説かなければ覚りは完成しない」これがお釈迦さまの第三の覚りだったということができます。そしてこの第三の覚りがあったからこそ、後世のわれわれは仏教という無上の宝を得ることができたのです。
もし二十世紀のいま仏教がなかったら、梵天の「ああ、この世は滅びる。この世は消滅する」という嘆きが事実となる公算が大いにあります。思えば、この説法の決意こそは人類生き残りのための重大極まる決意だったのです。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎