人間釈尊(8)
立正佼成会会長 庭野日敬
絶対平和の世界への憧れ
不自由の中で真の自由を
王宮におけるシッダールタ太子の生活は、じつに不自由なものだったようです。もちろん物質的には何不自由もない暮らしでした。前(第三回)に述べたように、三つの宮殿を与えられ上等の衣服を着、多くの侍女たちにかしずかれていました。宮殿内にいるときも、侍女たちが白い傘蓋(さんがい)を頭上にさしかけていましたし、庭を散歩するときもやはり傘蓋をさしかけて、昼間なら暑い日光が、夜ならば夜露が当たらないようにと、細心の注意を払っていました。
けれども、前に記したような、雨季の四カ月間は侍女たちに囲まれて一歩も宮殿の外に出たことがないといった生活が、精神的にはどんなにうっとうしいものだったかは、容易に察することができます。
雨季以外のいい季節にも、父の浄飯王のさしがねで、外出はなかなか許されなかったようです。それは、実社会のさまざまな苦難や悲劇などを見聞して若い胸を痛めないようにという配慮からだったのでしょう。
しかし、青年太子の鋭い直観や深い思索は、そうした束縛などに抑圧されるようなものではなかったのです。かえってそうした不自由が人間の真の自由を求める心をかき立てていったに違いありません。
人間はなぜ戦争をするのか
王舎城は七重の堀に囲まれ、七重の城壁をめぐらし、その間には騎象の軍、騎馬の軍、戦車の軍、歩兵の軍が七重に配備され、ひしひしと王宮を守っていました。
そのうえ、浄飯王も、太子も、毎晩寝所を変えたといいます。暗殺を避けるためだったのです。
物質的にはどんなに贅(ぜい)を尽くしていても、これが人間らしい生活といえるでしょうか。昼も、夜も、外敵に対して(あるいは内敵にも)せんせんきょうきょうとし、心の安まる暇もない。それが人間のほんとうの生き方でしょうか。そうした思いが青年太子の胸を絶えず去来していたことでしょう。
さらに考えられるのは、――おびただしい軍象や軍馬を飼い、それよりももっと多い兵士たちを養っていくためにはたいへんな費用がかかる。その費用はどこから出ているのか。もちろん人民から取り立てる租税からである。人民たちはその租税を納めるために、朝から晩まで汗水たらして田畑で働いている。病気になっても医者にかかることができず、道端に倒れ苦しんでいる者を見たこともある。
なんというムダであろうか。侵略さえなければ、戦争さえなければ、人民たちはもっと豊かに、もっと安楽に暮らしていけるはずだ。大国であるコーサラ国やマガダ国の人民にしても、やはり同じなのであろう。
いまは戦争がないけれど、いったんそれが始まれば、敵味方にかかわらず多くの人が死に、傷つき、そのために家族も悲しみ、苦しむ。軍費はますますかさみ、それを補うために租税はますます過酷になり、人民たちは二重も三重もの苦しみを背負わなければならない。
それなのに、人間はなぜ戦争をするのか。戦争は果たして多くの軍象・軍馬を飼い、多くの兵士たちを養っておかねばならぬものか。人間はどうしてこんな愚かなことをするのだろうか――。
このような疑問が若い太子を思い悩ませ、と同時に、争いのない、戦いのない、絶対平和の世界へのあこがれが抜きさしならぬ切実さでその胸にわき上がってきたであろうことは、容易に推察できます。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
絶対平和の世界への憧れ
不自由の中で真の自由を
王宮におけるシッダールタ太子の生活は、じつに不自由なものだったようです。もちろん物質的には何不自由もない暮らしでした。前(第三回)に述べたように、三つの宮殿を与えられ上等の衣服を着、多くの侍女たちにかしずかれていました。宮殿内にいるときも、侍女たちが白い傘蓋(さんがい)を頭上にさしかけていましたし、庭を散歩するときもやはり傘蓋をさしかけて、昼間なら暑い日光が、夜ならば夜露が当たらないようにと、細心の注意を払っていました。
けれども、前に記したような、雨季の四カ月間は侍女たちに囲まれて一歩も宮殿の外に出たことがないといった生活が、精神的にはどんなにうっとうしいものだったかは、容易に察することができます。
雨季以外のいい季節にも、父の浄飯王のさしがねで、外出はなかなか許されなかったようです。それは、実社会のさまざまな苦難や悲劇などを見聞して若い胸を痛めないようにという配慮からだったのでしょう。
しかし、青年太子の鋭い直観や深い思索は、そうした束縛などに抑圧されるようなものではなかったのです。かえってそうした不自由が人間の真の自由を求める心をかき立てていったに違いありません。
人間はなぜ戦争をするのか
王舎城は七重の堀に囲まれ、七重の城壁をめぐらし、その間には騎象の軍、騎馬の軍、戦車の軍、歩兵の軍が七重に配備され、ひしひしと王宮を守っていました。
そのうえ、浄飯王も、太子も、毎晩寝所を変えたといいます。暗殺を避けるためだったのです。
物質的にはどんなに贅(ぜい)を尽くしていても、これが人間らしい生活といえるでしょうか。昼も、夜も、外敵に対して(あるいは内敵にも)せんせんきょうきょうとし、心の安まる暇もない。それが人間のほんとうの生き方でしょうか。そうした思いが青年太子の胸を絶えず去来していたことでしょう。
さらに考えられるのは、――おびただしい軍象や軍馬を飼い、それよりももっと多い兵士たちを養っていくためにはたいへんな費用がかかる。その費用はどこから出ているのか。もちろん人民から取り立てる租税からである。人民たちはその租税を納めるために、朝から晩まで汗水たらして田畑で働いている。病気になっても医者にかかることができず、道端に倒れ苦しんでいる者を見たこともある。
なんというムダであろうか。侵略さえなければ、戦争さえなければ、人民たちはもっと豊かに、もっと安楽に暮らしていけるはずだ。大国であるコーサラ国やマガダ国の人民にしても、やはり同じなのであろう。
いまは戦争がないけれど、いったんそれが始まれば、敵味方にかかわらず多くの人が死に、傷つき、そのために家族も悲しみ、苦しむ。軍費はますますかさみ、それを補うために租税はますます過酷になり、人民たちは二重も三重もの苦しみを背負わなければならない。
それなのに、人間はなぜ戦争をするのか。戦争は果たして多くの軍象・軍馬を飼い、多くの兵士たちを養っておかねばならぬものか。人間はどうしてこんな愚かなことをするのだろうか――。
このような疑問が若い太子を思い悩ませ、と同時に、争いのない、戦いのない、絶対平和の世界へのあこがれが抜きさしならぬ切実さでその胸にわき上がってきたであろうことは、容易に推察できます。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎